2016年5月31日火曜日

2016.05.29 マウスコンピューターのWN891を初めて持ちだした

● 東京のホテルに泊まることになった。ので,スマホと充電器のほかに,マウスコンピューター製のタブレットPC「WN891」を持って出た。

● ヤフオクで落として,OSをWin10にアップグレードした。Chromeをインストールした。が,その後,一切使うことなく部屋の隅っこに放っておいた。
 何でそういうことになったかといえば,使いづらそうだったからだ。タブレットゆえの使いづらさ,Win10ゆえの使いづらさ。

● キーボードカバーが付いている。そのキーボードの使いづらさ。ファンクションキーがないとか,Enterキーが小さいとか。
 が,圧倒的にWin10であることの使いづらさが勝る。かつての「マイ コンピューター」がなく,デバイスを表示することができない(→「エクスプローラー」でできる)。使いもしないアプリが大きなタイルで表示される(→消すことが可能)。

● 結局は慣れということになる。少し使ってだいぶ慣れた気はする。が,普通にノートパソコンを買うのが正解だとも思う。
 今どきのパソコンは起動が速くて,驚くほど軽量なのがある。パソコンのほうが安定感がある。

● ま,持ち歩き用に買ったのだ。持ち歩いて実際に使ってみてなんぼだ。それと,これで高度なことをやろうとは思っていなかったのだ。テキストを書いてTwitterにツイートするためだけに買ったのだから。

● 今日1日ですこぉし,自分なりの味付けができたように思う。立ちあげ時の画面も少し変わった。少しずつ使っていこうかい。

2016年5月22日日曜日

2016.05.22 ダイソーの「GIRLS' TREND研究所」

● ダイソーは大好きだからよく行くんだけど,基本的には文具売場しか見ない。文具売場にはダイソー内ブランド(?)のArtesanoがありますな。

● 最近(といってもけっこう前),もうひとつのダイソー内ブランドができた。それが「GIRLS' TREND研究所」。文具のほかに手鏡なんかを出しているようだ。
 ダイソー内ブランドではなくて,ダイソーと「GIRLS' TREND研究所」がコラボしての商品開発かもしれない。

● その「GIRLS' TREND研究所」とコラボしての商品をひとつ買った。普通のA6ノートだ。
 B罫で中紙は80枚。中国製。透明のビニールカバーがかかっている。どこがコラボの効果なのかは,イマイチわからない。
 紙質はダイスキンと同じだろう。そのダイスキンもあるので,このノートを使うかどうかはわからない。

● それともうひとつ。「GIRLS' TREND研究所」とは関係ないんだけど,「たのしい絵はがき」を買ってみた。10枚入り。こちらは日本製。
 絵はがきといっても,淡い図柄が入っているだけなので,全面に文字を書くことができる。

● が,年賀状以外にハガキなんて書いたことがない。お世話になったらレトロにハガキで感謝を伝えるというのに憧れるところがあるんで,買ってはみたってところですかねぇ。

● っていうかですね。ダイソーに行こうが文具店に行こうが,何も買わないで終わるのが普通になっていて,どうにも店側に申しわけない。
 なので,何でもいいから買っておけというわけなんでした。買うって,それ自体に快感を伴う行為であることもあらためてわかった。

2016.05.22 紀伊國屋にもモレスキンが

● 今どきは,たいていの本屋で文具を扱っている。宇都宮でも,地元書店の雄である落合書店が文具の取扱を始めたし,TSUTAYAと組んでいるうさぎや書店も,駅ビルにある八重洲ブックセンターも,文具を商っている。
 紀伊國屋書店の宇都宮店も同じだ。文具コーナーがある。

● で,最近気づいたんだけど,文具コーナーではない書籍売場にモレスキンが入った回転ラックがあったのだった。
 本を売るより文具を売ったほうが利幅が取れるんだろう。特に,モレスキンはそうなんだろうな。だから,モレスキンを置きたくなるのだろう。

● 加えて,そこそこ売れるのだろう。ぼく的にはモレスキンが売れる理由がまったくわからないんだけど,それでも売れるものは売れる。
 言いたかないけど,バカが買っている。さらに言いたかないけど,世界はバカで満ちている。でっちあげられたモレスキン伝説に引っぱられてみたり,高価と高級の区別がつかなかったり。

● もうひとつ。モレスキンをまとめて置いておくと,店内景観のアクセントになる。景観をまとめやすくなる。そんな気がする。
 ので,店側にとっては,けっこう便利な商品なのかもしれない。

● が,景観を考えるならば,モレスキンを置くときに大切なことがひとつある。「見本」を作らないことだ。
 これを作ってしまうと,ビローンとだらしなく延びたゴムバンド,表紙カバーから剥離した中紙といった,いかにもな感のモレスキンが登場することになってしまう。景観の一角を崩してしまう。

2016年5月21日土曜日

2016.05.21 フリクションを買った

● 一番安いタイプのやつだと思う。180円。0.38㎜のブルーブラック。宇都宮駅ビルで営業している八重洲ブックセンター宇都宮店の文具売場で買った。

● 唐突になんでフリクション? B7メモパッドのカバーを買った。そこにダイソーで買っておいたペンホルダーを装着した。
 そこに収めるペンが欲しい。細身のペンじゃないと入らない。一番いいのは,ダイソーで売っているプラチナ製の手帳用ボールペンだ。A7のカバーにはそれを挿している。

● なんだけど,行きつけのダイソーにはそのプラチナ製ボールペンがなかった。では,別なのをと探していたところ,フリクションの細いやつがあったというわけだった。
 これならダイソーのペンホルダーに収まる。

● なので,ペンホルダーに挿したところで満足した。ので,まだ使っていないんですよ。
 要するに,フリクションを使いたくて買ったわけではないので。細いボールペンなら何でもよかった。

2016.05.21 モスでノートを広げた

● 1週間前,モスに入ったんだけど,ノートを開いて何かを書くことなく終わった。ごく最近までは,モスに入るのはそのためだったんだけど。
 手書きの楽しみを忘れてしまったのか,オレよ。

● ただし,手書きの楽しさっていうか,楽しい手書きっていうのが成立するのは,書くことに苦痛を伴うことがないからだ。
 苦痛を伴うことがないのは,書く対象が,できれば忘れたいこと,思いだすこと自体が苦痛であるようなことではないからだ。もうひとつ,文章に苦吟することがないからだ。
 要するに,最小限の運動エネルギーですむからだ。

● でも,書いて残しておくべきなのは,苦痛を伴うもののほうなのだろう。楽しんで書いたものは,書いた本人はいいとして,それを誰かが読んでも,何でこんなことをわざわざ書いたのだ? と思うのだろうな。

● とはいえ,そういうことのために何かを書いている人はあまり多くはないだろう。テレビを見たり,友だちとダベッたり,そういう軽い楽しみ。いうなら自分とダベる。
 そういうノリで書いている人が大半のはず。もちろん,ぼくもそうだ。苦痛を伴うことに耐えられる強い人は,そんなに多くはないだろうと思いたい。

● 今日はモスでノートを広げて手書きを。
 これをキッカケにして,その軽い手書きの楽しさを味わう生活に戻れれば。

2016.05.21 今はTwitterが“最初の大元”

● 今はその“最初の大元”がTwitterになっている。まずTwitterにつぶやいておく。いくつかに分けてつぶやいたものは,ひとつにまとめてFacebookにあげる。
 そこからさらに膨らんだものはブログに持っていく。

● もちろん,Twitterで止まるものも多い。ともかく,Twitterを見ればそこにすべてがある。
 もちろん,その“すべて”は所詮たいしたものではない。が,それはノートのときでも同じだったわけで。

● Twitterだとノートではできなかったこともできる。写真だ。写真を残しておける。
 これでどうなったかというと,明らかに残す価値がないと思われるものも写真で残すようになった。たとえば,その日食べた弁当の写真とか,夜に飲んだハイボールのジョッキの写真とか。
 が,こうしたカスのようなものが残っていく安心感がたしかにあるのだ。これがTwitterから抜けられない理由のひとつであることは,たぶん間違いない。

● 残せる情報量が圧倒的に増えた。質は増えないけど。それがデジタル化の恩恵と言っていいのか。が,当然ながら,質の伴わない量の増加は自分以外の人間からは顧みられることはない。

2016年5月20日金曜日

2016.05.20 手書きから離れつつあるとはいっても

● 数日間,ジークエンスに何も書かない日が続く。それがしばしばあるようになった。明らかに手書きから遠ざかっている。

● しかし。とはいうものの,普段は1日に見開き2ページを消費している。見開き単位で使っているので,左ページしか使わなかったときも,翌日は次の見開きに移行することにしているんだけど。
 1日2ページというのは,見ようによってはけっこうな量だ。これを日記に見立てた場合には,日記をここまで書いている人はそんなに多くはないかもしれないぞ。

● つい最近までは,1日でダイスキン6ページほど書いていた。つい最近のことのはずなんだけど,今となってはいったい何をそんなに書くことがあったのかと思う。
 が,そこに戻りたいと考えている自分もいる。

● ノートに書いたことをたとえばブログにしてみたりってことはごく普通にあった。ノートは“最初の大元”。
 そこにすべてが入っていて,そこから必要に応じて必要なものを取りだして,ブログにしたりFacebookの投稿にしたりする。
 だから,まずはノートに書きつける。そのままブログに持っていけるものもあるし,頭の中で膨らませてからブログに仕立てるものもある。
 ノートにはでもすべてが入っている。そういうふうであった(美化しすぎているか)。そこに戻りたいと考えることがある。

2016.05.20 ダイスキンは安定供給が続いている,けど・・・

● 2年前の8月に,それまで見かけることのなかった黒のダイスキンを発見(?)した。やったぁ,黒が復活したぞ。
 A6,B6とも黒が登場したけれども,B6に関しては,赤・橙・黄のダイスキンは中紙が72枚なのに対して,黒は60枚だった。
 その後,A6も黒だけ96枚から80枚になった

● ところがついに,赤・橙・黄のB6も60枚になってしまいましたね。たいしたことではないといえば,たいしたことではないんですけどね。
 60枚だって相当書けるわけで。しかも108円なんだから。

● いずれ,A6の赤・橙・黄も80枚になるんでしょうね。だったら,今のうちに96枚のダイスキンを買いためておくか。
 それはない。すでにその96枚ダイスキン(A6),72枚ダイスキン(B6)の在庫を抱えすぎるほど抱えているわけだから。

● ので,ぼくにはあまり関係のない話なんだけど,黒以外のダイスキンも薄くなる。
 その代わりというか,ダイスキンは安定的に供給されるようになったなぁ。こうなるんだったら,在庫なんか持つんじゃなかったよ。

2016年5月19日木曜日

2016.05.19 手帳をどうするか?

● 手帳はずっと能率手帳を使っている。もう30年以上になると思う。綴じの能率手帳のほかに,A5サイズやバイブルサイズのBindexを取っ替え引っ替え使ってきた。
 最近10年間はバイブルサイズBindexを使い続けている。

● ずっと使っているくらいだから,不満などない。紙質といい,レイアウトといい,色使いといい,長く使われてきた実績とユーザーの意見を反映して,目立たないながらも完成度の高さは相当なものだと思われる。
 堅牢性も申し分ない。綴じ手帳はもちろん,Bindexのリフィルの堅牢性は何事かと思うほどだ。

● ただし,高度にシステム化された使い方をしているわけではないし,そういうものを手帳に求めるつもりもない。
 だから,Bindexでなくても,他の手帳を使っても間に合ってしまうはずだ。

● 手帳はシーズンになる度に見て歩くんだけど,結局,気になるのは次の2つだ。
 ひとつは,ダイスキン手帳。これも複数あるんだけど,A6ダイスキンと同じサイズのがいい。中身は能率手帳とほぼ同じ。レフトタイプのウィークリーがメインになる。

● 手帳をスクラップ帳としても使ってきた。新聞記事を縮小コピーして貼ったり,お菓子の包装紙を貼ったり,そんなこともしている。そのためにはバイブルサイズ程度に大きいと便利だ。
 が,これもTwitterを始めてから少々変わりつつある。記事をスキャンしてTwitterにあげてしまうことが増えてきた。

● あるいは,手帳ではなく毎日使っているノートのほうに貼ってもいいだろう。となると,手帳にスクラップ機能は求める必要がなくなる。
 のであれば,ダイスキンの大きさのウィークリーで問題はないだろう。

● もうひとつは,コクヨのSYSTEMICだ。A6用のSYSTEMICを買ってはみたものの,現在まで使う機会がない。
 SYSTEMICにはノートを2冊収納できる。CampusノートとCampus手帳を入れておけば,それだけで情報のすべてを持ち歩けることになる。

● Campus手帳のスケジュール欄はブロックタイプのマンスリーだったと思う。もうすぐ定年を迎える身であれば,スケジュールなんかマンスリーで充分だ。っていうか,スケジュールは手帳に書くまでもなくなるだろう。
 それと,ぼくは蠅の頭のような小さな字を書くので,面積あたりの文字数は相当多くなるのだ。マンスリーのひとマスの中にかなり書ける自信がある(こんなところで自信があっても仕方がないのだが)。

● というわけだ。来年はどうしようか。
 すぐにSYSTEMICはない。なぜなら,ダイスキンの在庫が大量にあるからだ。20数冊まとめて若い元同僚にもらってもらったけれども,そんなものではとてもとても。
 まずダイスキンを消費しなければならない。だったら,手帳もダイスキン手帳か。

2016.05.19 ジークエンス+SARASA

● ダイスキンに替えてジークエンスを,Preppyに替えてSARASAを使っている。SARASAはブルーブラックの0.5㎜。
 このコンビネーションでジークエンスの半分まで来た。あと半分使えば,「ダイスキン+Preppy」に戻れる。と思い思いしてきた。

● だけども,ここに来てこの「ジークエンス+SARASA」も悪くないぞと思うようになっている。結局は慣れの問題で,ようやく慣れてきたということなのかもなぁ。
 このままジークエンスを使い切るまでSARASAで書いていると,SARASAも2本目のリフィルを使い切ることができるかもしれない。

● かといって,次もジークエンスを使おうとは思わない。ダイスキンに戻す。ダイスキンに戻す以上は,ペンもPreppyに戻す。
 平常時にはダイスキンがちょうど程がいい。が,たとえば長期の旅行に出るときには,ジークエンスを何冊か抱えていくのが吉かもしれない。

● ジークエンスには向き不向きがある。いや,不向きはないか。デスクかテーブルのうえに広げて座って書くというのに向かないわけではまったくないけれども,測量野帳的な使われ方がジークエンスの得意とするところかもしれない。
 360度折り返せる。ワイルドに使える。ので,立って使うときにジークエンスは本領を発揮するかも。

● そうして使うときには,たぶん,横罫よりも無地か方眼がいいんだろな。横罫か無地か方眼かというのも,それが使われるときのシチュエーションによって,向いているものとそうじゃないものが変わってくる。
 もっとも,この点については,ユーザーの好みのほうがシチュエーションを大きく上回って尊重されるべきものではある。

2016.05.18 メモパッドを鋭意,消費中

● メモパッドは昨年の夏あたりから色々と買っていて,それなりに溜まっている。そこはぼくのことだから,安いのしか買っていないんだけどね。主には百均製品ということになる。

● その中のひとつ,SeriaでかったUTOR。A7サイズで5ミリ方眼80枚のやつ。ロディア様のメモパッド。ロディアに比べると,ピッと切り離す快感が弱い。つまり,切り離せないことがある。A6はピッと行けるんだけど。
 このUTORはロディア1冊の値段で2冊買えるんだけど,その程度ではさほどにお得感はないんだよね。ピッの快感がないことを考えあわせると,むしろロディアを買ったほうがトータルで安いんじゃないかと思ったりする。

● で,これも職場に持ちこんで仕事で消費することにしている。でも,なかなか減らない。まだ半分以上残っている。
 A7を使い切ったらA6を使わなくちゃ。

● こういう紙片はね,アイディア出しとかブレーンストーミングとかね,そういうのに使うといいんだろうなと思うんですよね。ひとりブレーンストーミングをやるとかね。
 ぼくはそういうのと無縁というか,単純な事務しかやっていないっていうか。そういうのって,知的生産をテーマにする雑誌の特集とかでよく登場する。すごい人がいるもんだなぁと思って読むんだけどね。

● でも,ひとりブレーンストーミングが効果的な局面ってのは,誰でもいきあたるものだろうな。しかも,しばしば。
 どんどんそういうことをやって,メモパッドやメモブロックを使っていかないと,一生かかっても使い切れないぞ。

2016年5月17日火曜日

2016.05.17 A7とB7のメモパッド

ロディアカバーを装着したA7。LIFEカバーを装着したB7。
● ロディアのNo.11を嚆矢に,A7メモパッドを時々使っている(いた?)。その後,ダイソーがB7メモパッドを出したので,使ってみるかと思った。
 で,それを買い,カバーも買って,今日に至る。

● A7も使っているうちに入るかどうか。B7に至ってはほとんど使っていない。それで言うのも何なんだけど,メモとしてはA7のほうが使いやすい。しかも圧倒的に。
 もちろん,使い方によるだろう。ぼくは,わからないことを確認したときの備忘録,伝言メモ,(年に1回か2回だけど)出納メモ,そんなところだ。
 これだとA7で充分で,充分ならばB7より小さいA7が勝る道理だ。立って書くのでも,A7のほうがしっかりホールドできて使いやすいのではないか。

● ダイスキン(今のところはジークエンス)に書くようにメモパッドに書くんだったら,B7がよろしかろう。
 メインとして使うんだったら,A7では小さすぎる。B7程度の面積はあったほうがいい。

● A6のメモパッドも持っている。職場に持ちこんで,仕事でたまに使っている。A6になると,ぼく的にはノートだと思える。切り離せる普通のノート。携帯してまで使ってみようとは思わない。

2016.05.15 久しぶりにモスバーガーに入ってみたんだけど

● ついこの間まで,モスに入って(タリーズやスタバでもいいんだけど)カウンター席に座り,ダイスキンとPreppyを鞄から出して何事かを書きつけるのが,自分の最も幸せな時間だと思っていた。
 休日に宇都宮に出かけて,宇都宮駅構内のモスに入る。いや,モスに入ってダイスキンに何かを書くために宇都宮に出かけていく。

● ところが,手書きから遠ざかってしまうと,モスにもタリーズにも行かなくなった。こうなってみると,ハンバーガーが食べたくてモスに行っていたんじゃなくて,手書きを楽しむ舞台が欲しくて行っていたんだってことが,いよいよハッキリする。

● 今日,そのモスに入ってみた。だけども,鞄からダイスキン(目下のところ,ジークエンスを使用中)を取りだすことはしなかった。
 以前は,モスに入れば反射神経のようにダイスキンとPreppyを目の前に置いたものなのに。

● わずかの間に,手書きは遠くなりにけり。スマホでTwitterを開き,いらいらしながらもフリックで文字を打ち,ネットにツイートするほうを選んでいたのだった。

● あ,でも,ひとつ発見した。モスの野菜バーガーはかなり美味しいね。

2016年5月11日水曜日

2016.05.11 手書きに戻れない 2

● 手書きが減ってしまったのは,Twitterに手を染めたからだ。が,どうもそれだけではない。あとひとつある。
 ダイスキン+Preppyの300円システムから離れているからだ。たぶん,これもけっこう大きな理由ではないかなと思う。

● 3月17日からジークエンス+SARASAに換えた。ジークエンスは4㎜方眼。紙質もいいし,丈夫だし,中紙は128枚もあるし,そのわりには安価だし,いいノートだと思う。
 SARASAもゲルインクボールペンの傑作。それ自体に対する不満は何もない。

● だけど,ジークエンスを使い始めて2ヶ月近く経つのに,まだ半分しか消費していない。使用頻度が激減しているんだから仕方がないんだが。
 少なくともあと2ヶ月はこれで行かなくてはならないのか。いやいや,もっと保つだろうな。

● どうもね,安い300円システムに戻りたくてしょうがないんですよ。だったら戻ればいいじゃんってことなんだけど,最後まで使わないとモッタイナイというケチ根性と,最後まで使ってやらないと申しわけないという憐憫の情(?)があって,使い始めた以上は最後まで使おう,と。
 だから,最後まで使うつもりでいるんだけども,300円システムのほうが自分には合っている。

● まず,方眼より横罫のほうが自分の書き方には合っている。方眼を使えば書き方のスタイルが変わるんじゃないかとの期待もあったんだけど,そういうことはどうもない。
 ボールペンより万年筆のほうが書いていて気持ちがいい。ボールペンは紙にインクを載せていくという感覚だけれども,万年筆は紙を刻む。その感覚が快だ。

● では300円システムに戻せば手書きが旧に復するか。なかなかそうはいかないだろう。

2016年5月10日火曜日

2016.05.09 手書きに戻れない

● 4月27日から5月8日までの12日間,ジークエンスのノートを開くことが一度もなかった。黄金週間中は手書きをせず。
 持ち歩いてはいるんですよ。持ち歩いてはいるんだけど,鞄から取りだすことがない。

● モスバーガーのカウンター席で,小さいノートを開いて何事かを書きつけるのは,最も楽しい時間だった。モスでノートに書きたいがために,食べたくもないのにチーズバーガーを注文したこともある。
 でも,最近は,モスに入ること自体がグンと少なくなった。っていうか,入らなくなった。

● Twitterにちょこちょこ書いてツイートしているので,書きもれ感というのはあまり感じていない。Twitterというのは,他者と交流するためのツールというより,自分のよしなし事をところかまわず垂れ流すためのツールかと思えてくる。
 そのためのツールとしては,じつによくできていると思う。

● 写真を保存できるのも大きい。Twitterを始めてから,スマホのカメラ機能を使うようになった。気になったものを撮っておく。
 Twitter以前はカメラを向けるような気になることは存在しなかった。が,Twitterを始めてからは気になることがグンと増えた。これもまたTwitterの効用といえるのだろう。
 うがった見方をすれば,ムダを増やしているとも言えるのかもしれないけど。保存する必要のないものを保存するようになった,という意味で。

● もちろん,Twitterには載せられないことがある。基本,自分以外の人間を登場させるわけにはいかない。だから,ノートに書くことはなくならないはずだと思っていた。
 ところが,ノートに書くことがなくなってしまった。その理由をしいてくっつけるとすれば,そうしたものはシリアスな内容のものになりがちで,そればかりを書くのはけっこうストレスをもたらす。それが書くことに壁を作る。ということにしておこう。

2016年5月8日日曜日

2016.05.07 使用中の付箋は2種

● 今も継続して安定使用(?)している文具は付箋だけになりつつある。いかんなぁ。文具オヤジとしては,これはアイデンティティクライシスに繋がる危機であるぞ。何とかせねばのぅ。

● ところで,その付箋。メモを書いたりするのに使っているわけではない。読書の友だ。線を引く代わりに目印がわりに貼っておく。
 したがって,小さくて薄いほうがいい。

● 2014年11月にSeriaで「極細紙ふせん」(800枚)を2つ買った。が,使うことなく入れっぱなしになっていた。
 が,少し前から使い始めている。「A罫ノートの目隠しにもピッタリ」とある。受験勉強にも役立ちますよ,と。でも,そうした使い方をしている受験生はどれだけいるか。

● 何だかんだいって,ダイソーの「蛍光カラー極細インデックス」(600枚)を最も多く使っている。フィルムなので多用しても厚くならないのがいい。これをひと山,表紙裏に貼っておけば,ヒョイヒョイと使えて便利だ。
 Seriaのは7㎜幅なのに対して,ダイソーのは4㎜。ここまで極細でちょうどいいんですな。

● ただ,ダイソーのには問題点がひとつだけある。糊がつきすぎているのだ。糊が次の付箋の表面にも移っていて,どっちが糊付きの面なのかわからなくなることがある。
 全部が全部,そうだってわけじゃない。それがないのもあって,そういうときはラッキーってなものだ。

● せっかく買った「紙ふせん」も使っているけれど,これがなくなったあとはダイソー「蛍光カラー極細インデックス」に統一する予定。
 結局,あれだ。108円で600枚っていうところが一番ありがたいと思っていたりするわけなんだが。

2016年5月6日金曜日

2016.05.04 ANGERS上野店へ

● はぁ,暇だったものだから。フラッと電車に乗って上野駅まで運んでもらって,ANGERSを覗いてきた。
 「TOM'S cozy ROOM‐大好きな文房具と暮らす‐」なる企画展(?)を開催中。トムの居心地のよい部屋。その居心地を作るのは輸入文具,という。比較的安価な文具が並んでいる。

● 書籍と若干の雑貨も扱っているけれども,書籍の取扱点数は減ったかもしれない。そうでもないか。
 この書籍の選び方が(少ないだけに)その店のキャラを表現できる手段となる。無印良品の一部でも同じことをやっているけれども,キャラとはいいながら時代の空気には逆らえないよね。逆らうべきでもないと思うし。

● 何か買いたい。消しゴムを1個ずつ買っていこうかと思った。ペリカンやSEEDなど数種あり。それらを1個ずつ。けど,やめた。消しゴムを使う局面がない。鉛筆もシャープペンも使っていない。
 消しゴムを使うために鉛筆画でも始めてみるか。それもちょっと違うような。

● あとは何だろ。ペンケース? そうだな。使うとすればペンケースくらいかな。一応,持ってはいるけれども,雑誌の付録だしな。
 でも,結局,何も買わずに出た。

● ノートにペンで手書きすることがいよいよなくなってきている。それが大本の理由で文具に対してだんだん冷めて来ちゃってるんだな。何とかせねば。

2016.05.03 LIFEメモパッドとカバーを買う

● 矢板市に行く用事があったので,帰りに「うさぎやTSUTAYA 矢板店」を覗いてみた。「うさぎや」の文具売場にスタイル文具と銘打たれた一画があった。

● そこに置かれていたのは,LIFE製品。ノート,メモ帳,メモパッド。その中にひとつだけ,カバーに収まっているB7のメモパッドがあった。
 メモパッドに関しては,まずロディアのNo.11を買った。カバーも一緒に。しばらくそれを鞄に入れて持ち歩き,ときどき使った。

● ロディアのNo.11はA7サイズ。そのうち,ダイソーでB7を見かけたので,方眼タイプを購入。ついでにカバーを物色。ロディアNo.12がピッタリだろうと踏んで購入に及ぶも,No.12はわずかにB7より小さい。
 そこで,ダイソーメモパッドの台紙を少し切り取ってロディアカバーに挿しこんだ。

● それも何だかなぁと思っていた。そこへ偶然,LIFEのB7カバーを発見。はい,購入。
 帰宅後,LIFEのメモパッドをはずしてダイソー製品を挿してみた。同じくB7を謳っていても,両者の大きさは同じではない(ダイソー製品が小さい)。が,ともかく,これで台紙を切り取るなんてことをしなくてすむことになった。
 ただし,ロディアNo.12カバーは無用の長物になった。

● そのLIFEとダイソーの製品をしみじみ見ると,ダイソーはLIFEの意匠を(よくいえば)真似していると思われる。が,LIFEがダイソーを訴えてみても,裁判で勝てるかどうかはかなり微妙。
 ダイソー製品の価格はLIFEの3分の1。加えて,品質に問題はない。となれば,ぼくは節操なくダイソー製品を買ってしまう。

● ただし,だ。それ以前の大問題がある。LIFEカバーに収めたメモパッドをぼくが使うことはたぶんあるまい,と思われることだ。