● 記憶に残っている限りで,持って嬉しかった最初の文房具は,円を描くときに使うコンパス。
父が仕事帰りに烏山のマルマス(今はない)で買ってきてくれた。マルマスの包装紙ごと嬉しくて仕方なかった。なんであんなに嬉しかったんだろ。
もちろん,小学校で使ったはずだが,その記憶は抜けている。
● 次は,中学入学時に買ってもらったパイロットエリートS。その前に「中1コース」(学研)を年間予約するともらえる万年筆があった。これも嬉しかったね。とんでもない安物だったはず。モノがまだ貴重だった時代。
やはり使っているときの記憶はない。ノートを録るのに使いたかったけど,鉛筆以外の筆記具を使うと怒る教師がいたんだよ。
● ほんとに嬉しかったのは以上の2つ。その後はパタッとない。
小学校でクレヨンから水彩絵の具に替わったときも,ぼくは絵が下手だったので,何だか他人事のような気がしてた。
● しいていうと,初めて自分のパソコンを持ったときは舞いあがったかもしれない。富士通のFM-TOWNSⅡfresh。親指シフトキーボードが使えた。
これで自分の生活が変わるかもしれないという幻想を持つことができた。
● 今や,パソコンもスマホも何の幻想も与えてくれない。けれども,FacebookにしてもLINEにしてもさ,とんでもなくサイバーなんだよねぇ。ぼくらはすぐ馴れてしまうんだけどさ。
主には「書く」道具について書いてます。手帳,ノート,筆記具,パソコンなどの話題がメインになると思います。といっても,パソコンや文房具のマニアではありません。この分野について知るところはあまりありません。 ごくあたりまえに属することを,試行錯誤ともいえない程度に試しています。 2024年3月からは鉛筆党員になりました。
2018年1月19日金曜日
2018年1月17日水曜日
2018.01.17 旅するように毎日を過ごす
● 旅するように毎日を過ごしてほしい,というトラベラーズノートのキャッチコピーが,なんか頭を離れなくて。旅先は発見の宝庫だ。誰であっても,その人なりの水準に合った発見が必ずある。
人によっては1週間でトラベラーズノートのリフィル1冊を使い終えるかもしれない。絵を描いたり,チケットやリーフレットを貼ったりして。
● 同じだけの発券を日常で行うことは難しい。そこにあるものが前提になるからだ。それを踏んだうえで生活している。踏んでいるんだから,それが風景として目に入ることはない。
が,10年20年単位で見れば,まず自分が変化する。街の風景や風俗も変わる。10年前,20年前の自分や風景や風俗を見るときには,たぶん,旅人の視点になる。
ならば,10年後20年後の自分という旅人に,時空の旅をしてきた証を残しておいてやるといい。
● 発見されるのを待っている事がらは,あるはずなのだ。10年後には面白くなっているはずのものが,面白くもない表情をして,そこにたたずんでいるはずなのだ。
数からいえば,旅をしているときと同じ頻度で,あるはずだろう。だから,旅行中にトラベラーズノートを1冊使いつぶす人ならば,日常においてもやはり1冊使いつぶせるはずなのだ。
といって,日常でそれをやったら,それ以外のことをする時間がなくなってしまうだろうけど。
● トラベラーズノートではない別の方法で,それと自覚せずにやっている人は,昔に比べれば今は増えていると思われる。SNSだ。自分のツイートや投稿を10年後20年後に読み返してみると,10年前20年前の自分の旅の様子がわかるのではないか。
問題は,10年後や20年後にTwitterやFacebookが残っているという保証は必ずしもないということだけだ。ので,安全を期すならばノートを使った方がいいだろう。トラベラーズノートである必要はないけれど。
● が,旅するように生きている気分を味わうには,あえてトラベラーズノートを使ってみるのはアリだと思う。そう思わせるだけのたたずまいをトラベラーズノートは持っているような気がする。
ぼくはダイスキンでいいと思っているが,負け惜しみかもしれない。トラベラーズノートは高くて買えないがゆえに,ダイスキンでいいや,と思っているのかも。
● 現在のモレスキンは,フランスはトゥールの製本業者が作っていたノートをパクったものだ(復活させたといっても,その製本業者の了承を得たという話はついぞ聞いたことがないから,パクったと言っていいのだろう)。ダイスキンはそのモレスキンをさらにパクッたものだけれども,オリジナルは元々旅行用というか,外で使うことを想定していたもの。ブルース・チャトウィンが,「この手帳をなくことは,パスポートをなくすのと同じくらい私にとっては災難だ」と語ったという。
というわけで,旅するように毎日を過ごしていく人に,ダイスキンもまたふさわしいノートなのだと思って,ダイスキンを使っていこう。
人によっては1週間でトラベラーズノートのリフィル1冊を使い終えるかもしれない。絵を描いたり,チケットやリーフレットを貼ったりして。
● 同じだけの発券を日常で行うことは難しい。そこにあるものが前提になるからだ。それを踏んだうえで生活している。踏んでいるんだから,それが風景として目に入ることはない。
が,10年20年単位で見れば,まず自分が変化する。街の風景や風俗も変わる。10年前,20年前の自分や風景や風俗を見るときには,たぶん,旅人の視点になる。
ならば,10年後20年後の自分という旅人に,時空の旅をしてきた証を残しておいてやるといい。
● 発見されるのを待っている事がらは,あるはずなのだ。10年後には面白くなっているはずのものが,面白くもない表情をして,そこにたたずんでいるはずなのだ。
数からいえば,旅をしているときと同じ頻度で,あるはずだろう。だから,旅行中にトラベラーズノートを1冊使いつぶす人ならば,日常においてもやはり1冊使いつぶせるはずなのだ。
といって,日常でそれをやったら,それ以外のことをする時間がなくなってしまうだろうけど。
● トラベラーズノートではない別の方法で,それと自覚せずにやっている人は,昔に比べれば今は増えていると思われる。SNSだ。自分のツイートや投稿を10年後20年後に読み返してみると,10年前20年前の自分の旅の様子がわかるのではないか。
問題は,10年後や20年後にTwitterやFacebookが残っているという保証は必ずしもないということだけだ。ので,安全を期すならばノートを使った方がいいだろう。トラベラーズノートである必要はないけれど。
● が,旅するように生きている気分を味わうには,あえてトラベラーズノートを使ってみるのはアリだと思う。そう思わせるだけのたたずまいをトラベラーズノートは持っているような気がする。
ぼくはダイスキンでいいと思っているが,負け惜しみかもしれない。トラベラーズノートは高くて買えないがゆえに,ダイスキンでいいや,と思っているのかも。
● 現在のモレスキンは,フランスはトゥールの製本業者が作っていたノートをパクったものだ(復活させたといっても,その製本業者の了承を得たという話はついぞ聞いたことがないから,パクったと言っていいのだろう)。ダイスキンはそのモレスキンをさらにパクッたものだけれども,オリジナルは元々旅行用というか,外で使うことを想定していたもの。ブルース・チャトウィンが,「この手帳をなくことは,パスポートをなくすのと同じくらい私にとっては災難だ」と語ったという。
というわけで,旅するように毎日を過ごしていく人に,ダイスキンもまたふさわしいノートなのだと思って,ダイスキンを使っていこう。
2018年1月13日土曜日
2018.01.13 福田屋の上野文具を覗く
● 暗くなってから,宇都宮の福田屋(竹林の方)に行った。その福田屋の3階に上野文具がある。ゆっくりめに売場を見て歩いた。
本店よりもこちらの方が,ゆっくり見られる。本店は売場面積が狭いんですよね。その代わり,ビル一棟まるごと売場って感じなんだけど,階段を昇ったり降りたりするのは,かなり億劫だからね。
めくるめく文具のワンダーランド。いくらでも時間をつぶせるわけだ。
● この世界でも上を見たらキリがない。わかりやすいのは万年筆。が,千円ので事足りている人間が10万円のに手をだす必要はない。
もちろん,10万円どころかもっと高い製品が数え切れないほどあるけれど,今のところ,自分に10万円の万年筆を許す気分にはなれない。根が貧乏性なんだろう。現実問題として,10万円で万年筆を買うなら,ほかに買いたいものがあるわけでね。
● たくさんの文具が並んでいるけれども,売れ筋というのは決まっているんでしょうね。たとえばフリクションの売上は,ボールペン全体の何割を占めるんだろう。だいぶになるんじゃないかと思うんだけどね。
ノートだったら,やっぱりCampusなんだろうね。だから,売れ筋だけ置いておくんだったら,コンビニの売場面積があればいい,ということになってしまう。
が,それ以外のものがいろいろ並んでいて,それらを見て歩くこと自体が,娯楽として成立する。
● トラベラーズノートの広報誌(?)TRAVELER'S TIMES があったのでもらってきた。メインの記事はトラベラーズノートに合うというペンの紹介。もちろん,自社製品。
良くできてるなぁ。コマーシャルペーパーなんだけど,読み物として楽しめるよね。良さを語っているだけで,売ろうとしてないから。
旅するように毎日を過ごしてほしい,というトラベラーズノートのキャッチコピーも,つくづく秀逸だと思いますよ。
トラベラーズノートは,ひとつの世界を作ることに成功している。他のどれでもない独自の世界。やっぱりね,あの革カバーの風合いが大きいよね。
● 最近,ダイソーがダイソー版トラベラーズノートを出した。250円だった。250円でこれを作るとはさすがにダイソーだと思った。
カバーは合皮だけれども,その分,軽い。気軽に使えるだろう。耐久性も本家本元のトラベラーズノートとさほど変わるまい。タフに使われても大丈夫だろう。
というわけで,売行きは好調だったらしいけど,売れたあとの補充がない。縦の長さがトラベラーズノートより短いので,替えのリフィルがないというのが原因か。
● それよりも,トラベラーズノートの牙城には食い込めなかったのかもしれないね。ダイソー版はあくまでダイソー版であって,トラベラーズノートの世界とは別物ということ。そこが,モレスキンに対するダイスキンとは違う。
ダイスキンがこれほど使われているのは,モレスキンが大したものじゃないことが大きい(と思う)。トラベラーズノートは大したものだから,ダイソー版では取って代わることはできなかったのかもね。
もっとも,ダイソーのことだから,さらにブラッシュアップした商品を出してくるんだろうけど。
● Preppyが値上したようだ。200円→300円。さすがに,200円を維持するのは難しくなったか。しかし,300円でも文句は出まいと思う。
ぼくはPlaisirに移ってしまったので,それとPreppyは在庫があるので,しばらくPreppyを買うことはないと思うんだけど。
本店よりもこちらの方が,ゆっくり見られる。本店は売場面積が狭いんですよね。その代わり,ビル一棟まるごと売場って感じなんだけど,階段を昇ったり降りたりするのは,かなり億劫だからね。
めくるめく文具のワンダーランド。いくらでも時間をつぶせるわけだ。
● この世界でも上を見たらキリがない。わかりやすいのは万年筆。が,千円ので事足りている人間が10万円のに手をだす必要はない。
もちろん,10万円どころかもっと高い製品が数え切れないほどあるけれど,今のところ,自分に10万円の万年筆を許す気分にはなれない。根が貧乏性なんだろう。現実問題として,10万円で万年筆を買うなら,ほかに買いたいものがあるわけでね。
● たくさんの文具が並んでいるけれども,売れ筋というのは決まっているんでしょうね。たとえばフリクションの売上は,ボールペン全体の何割を占めるんだろう。だいぶになるんじゃないかと思うんだけどね。
ノートだったら,やっぱりCampusなんだろうね。だから,売れ筋だけ置いておくんだったら,コンビニの売場面積があればいい,ということになってしまう。
が,それ以外のものがいろいろ並んでいて,それらを見て歩くこと自体が,娯楽として成立する。
● トラベラーズノートの広報誌(?)TRAVELER'S TIMES があったのでもらってきた。メインの記事はトラベラーズノートに合うというペンの紹介。もちろん,自社製品。
良くできてるなぁ。コマーシャルペーパーなんだけど,読み物として楽しめるよね。良さを語っているだけで,売ろうとしてないから。
旅するように毎日を過ごしてほしい,というトラベラーズノートのキャッチコピーも,つくづく秀逸だと思いますよ。
トラベラーズノートは,ひとつの世界を作ることに成功している。他のどれでもない独自の世界。やっぱりね,あの革カバーの風合いが大きいよね。
● 最近,ダイソーがダイソー版トラベラーズノートを出した。250円だった。250円でこれを作るとはさすがにダイソーだと思った。
カバーは合皮だけれども,その分,軽い。気軽に使えるだろう。耐久性も本家本元のトラベラーズノートとさほど変わるまい。タフに使われても大丈夫だろう。
というわけで,売行きは好調だったらしいけど,売れたあとの補充がない。縦の長さがトラベラーズノートより短いので,替えのリフィルがないというのが原因か。
● それよりも,トラベラーズノートの牙城には食い込めなかったのかもしれないね。ダイソー版はあくまでダイソー版であって,トラベラーズノートの世界とは別物ということ。そこが,モレスキンに対するダイスキンとは違う。
ダイスキンがこれほど使われているのは,モレスキンが大したものじゃないことが大きい(と思う)。トラベラーズノートは大したものだから,ダイソー版では取って代わることはできなかったのかもね。
もっとも,ダイソーのことだから,さらにブラッシュアップした商品を出してくるんだろうけど。
● Preppyが値上したようだ。200円→300円。さすがに,200円を維持するのは難しくなったか。しかし,300円でも文句は出まいと思う。
ぼくはPlaisirに移ってしまったので,それとPreppyは在庫があるので,しばらくPreppyを買うことはないと思うんだけど。
2018年1月12日金曜日
2018.01.12 数年前の手帳を見返してみた
● いろいろビッシリ書いてあって,面白かった。大したことを書いているわけではない。その日の出来事や,食べたものがシャープペンで書かれている。
その日見たテレビ番組も書かれていた。新聞の番組欄から切り抜いて縮小コピーしたものが貼られている。そんな程度だ。
● テレビは見なくなったから,今じゃそんな面倒なことはしなくてすむ。食べたものを書いても仕方あるまいと思って,それもやめている。
その頃はSNSはやってなかったので,書いている量は今の方が多い。それでも,SNSよりも紙の方が,読み返しの楽しみは味わいやすい。
● 今はTwitterをログを残すためのツールとして使っている。外に対して物申すというよりは,チマチマした自分の行動記録としてのツイートが多い。
写真も使えるし,なかなか便利だと思っているんだけども,唯一,読み返すのが大変だ。一覧性に欠ける。Twilogを併用しても,この部分はやはり苦しい。
● Twilogなら自分のツイートを検索できる。けれども,検索して読み返すんじゃなくて,ボーッと読み返すというか,パラパラと目的なしに読み返すことはできない。
まぁ,Twitterは自己完結のためのツールではないわけだから,以上はグチであります。ないものねだりをするつもりはないんです。
● ではあるんだけど,無目的に自分の記録を読み返すというのは楽しいものなのだった。その楽しみを味わうには,紙の手帳の方が適しているよねっていうこと。しかも,ある程度書きこまれていた方がいいな,って。
今の自分の手帳を数年後に読み返してみても,あまり楽しくはないかもしれないと思った。
その日見たテレビ番組も書かれていた。新聞の番組欄から切り抜いて縮小コピーしたものが貼られている。そんな程度だ。
● テレビは見なくなったから,今じゃそんな面倒なことはしなくてすむ。食べたものを書いても仕方あるまいと思って,それもやめている。
その頃はSNSはやってなかったので,書いている量は今の方が多い。それでも,SNSよりも紙の方が,読み返しの楽しみは味わいやすい。
● 今はTwitterをログを残すためのツールとして使っている。外に対して物申すというよりは,チマチマした自分の行動記録としてのツイートが多い。
写真も使えるし,なかなか便利だと思っているんだけども,唯一,読み返すのが大変だ。一覧性に欠ける。Twilogを併用しても,この部分はやはり苦しい。
● Twilogなら自分のツイートを検索できる。けれども,検索して読み返すんじゃなくて,ボーッと読み返すというか,パラパラと目的なしに読み返すことはできない。
まぁ,Twitterは自己完結のためのツールではないわけだから,以上はグチであります。ないものねだりをするつもりはないんです。
● ではあるんだけど,無目的に自分の記録を読み返すというのは楽しいものなのだった。その楽しみを味わうには,紙の手帳の方が適しているよねっていうこと。しかも,ある程度書きこまれていた方がいいな,って。
今の自分の手帳を数年後に読み返してみても,あまり楽しくはないかもしれないと思った。
2018年1月10日水曜日
2018.01.10 ダイスキンにも手抜かりはある
● モレスキンほどではないのだが,ダイスキンにも手抜かりはある。今使っているダイスキンは,カバーと中紙のズレの差に,表紙と裏表紙で違いがある。っていうか,表紙と裏表紙でカバーの横幅の長さが違っている。
ずっと横積みにしていたので全体的に歪んでしまった,のではない。気になるかといえば,別にさほどではないのだが。
と言いたんだけど,じつは少ぉし気になっている。まぁ,ダイソーの百円ノートなんですけどね。
● このダイスキン,大量に在庫があるんだよねぇ。数年前に,職場の若い同僚に赤ダイスキンを23冊,もらってもらったんだけど,それでもまだ50冊くらいはあるんじゃないかと思う。
ずっと供給が不安定だったんですよ。あるときに買っておかなきゃっていうわけで,見つけ次第,ダイソーの売場にあるものを全部お買い上げってのをやってたら,こんなことになってしまった。
今では供給不安は解消されている。早まったね。生きてる間に使いきれるかどうかわかりませんわ。
● とはいえ,ダイスキンは今のところ,一番のお気に入り。これがあれば,測量野帳もトラベラーズノートも要りません。
まして,高いばかりで紙質粗悪なモレスキンを使っている人の気持ちはわかりません。モレスキンの適正価格はせいぜい3百円だと思うが。それに2千円を投じるというのはね,わかりませんよ。
● ところで,以前に買っておいた『嶋浩一郎のアイデアのつくり方』を読んでいる。嶋さんはモレスキンにペリカーノジュニアで書いているらしいのだが,裏抜けはしないんだろうか。
この本は2007年の刊行。モールスキンと呼ばれていた頃のモレスキンはちゃんとしてたんだろうかなぁ。
● ネットでは中国製になってからモレスキンの質が落ちたという人が多いようなんだけども,モレスキンは最初から中国製だったらしいんだよね。
ジェームズ・ウォード『最高に楽しい文房具の歴史雑学』の96ページに「モレスキンは最初から中国で製造されていたが,その事実がどこにも記載されていなかっただけなのだ」とある。
● 嶋さんは情報をどんどん「二軍ノート」に集める。昆虫を捕まえて虫かごに放り込むがごとし。企画マンはこういうことをやっているのか。情報にラベルを貼って整理してしまわないで,「放牧」しておくことが大切だという。雑居状態にしておくこと。
ぼくのは日記を書いているようなもの。「放牧」も何もない。
ずっと横積みにしていたので全体的に歪んでしまった,のではない。気になるかといえば,別にさほどではないのだが。
と言いたんだけど,じつは少ぉし気になっている。まぁ,ダイソーの百円ノートなんですけどね。
● このダイスキン,大量に在庫があるんだよねぇ。数年前に,職場の若い同僚に赤ダイスキンを23冊,もらってもらったんだけど,それでもまだ50冊くらいはあるんじゃないかと思う。
ずっと供給が不安定だったんですよ。あるときに買っておかなきゃっていうわけで,見つけ次第,ダイソーの売場にあるものを全部お買い上げってのをやってたら,こんなことになってしまった。
今では供給不安は解消されている。早まったね。生きてる間に使いきれるかどうかわかりませんわ。
● とはいえ,ダイスキンは今のところ,一番のお気に入り。これがあれば,測量野帳もトラベラーズノートも要りません。
まして,高いばかりで紙質粗悪なモレスキンを使っている人の気持ちはわかりません。モレスキンの適正価格はせいぜい3百円だと思うが。それに2千円を投じるというのはね,わかりませんよ。
● ところで,以前に買っておいた『嶋浩一郎のアイデアのつくり方』を読んでいる。嶋さんはモレスキンにペリカーノジュニアで書いているらしいのだが,裏抜けはしないんだろうか。
この本は2007年の刊行。モールスキンと呼ばれていた頃のモレスキンはちゃんとしてたんだろうかなぁ。
● ネットでは中国製になってからモレスキンの質が落ちたという人が多いようなんだけども,モレスキンは最初から中国製だったらしいんだよね。
ジェームズ・ウォード『最高に楽しい文房具の歴史雑学』の96ページに「モレスキンは最初から中国で製造されていたが,その事実がどこにも記載されていなかっただけなのだ」とある。
● 嶋さんは情報をどんどん「二軍ノート」に集める。昆虫を捕まえて虫かごに放り込むがごとし。企画マンはこういうことをやっているのか。情報にラベルを貼って整理してしまわないで,「放牧」しておくことが大切だという。雑居状態にしておくこと。
ぼくのは日記を書いているようなもの。「放牧」も何もない。
2018年1月9日火曜日
2018.01.09 手帳は今年もBindexのNo.011
● 昨年4月から仕事では2,3歩退いたところに位置するようになった。それ以前に比べると,仕事がらみのことで手帳に書くことはグッと少なくなった。
部下なんていう面倒な者もいないし,管理の仕事もないし,一兵卒でも後衛に回っている。手帳を仕事にしか使わないなら,手帳ははっきり不要なものになった。
● ので,今年からは薄いマンスリーでいいと思って,一度はマンスリー手帳を用意した。のだけれども,マンスリー手帳を使うのは完全引退してからの楽しみに取っておくことにして,今年は引き続きBindexのNo.011を使っていく。
レイアウトは能率手帳そのものだから,左側にスケジュール欄に書くこともあまりなければ,右側のメモ欄はほぼまったく使わない。メモはダイスキンに書くので。
● で,これは以前からそうなんだけど,右側はスクラップ帳の代わりにしていた。貼るためのスペース。足りなければ,白紙リフィルを追加するという形でやってきた。
が,その“貼る”も昨年4月から激減した。ならば“貼る”もダイスキンに回して,手帳はいよいよマンスリーでいいのではないかと思ったわけだった。
● 貼らなくなった理由のひとつはTwitterにある。スキャンして心覚えのメモを付けてTwitterに上げてしまえば,それがそのままログになる。Twitterがスクラップ帳になる。
今はどうなのか知らないけれど,Evernoteが一世を風靡していた頃,メモは何でもかんでもEvernoteに放り込んでおけ,とEvernote解説書は推奨していた。
それを真に受けた人がいたのかどうかは知らない。が,ぼくはTwitterをスクラップ帳やメモ帳として使うことがある。
● それとアナログとの使い分けを考えだすと,袋小路に迷いこむことになる。“ポケットひとつ原則”がこういう場にも当てはまるのだとすると,いよいよどうしていいかわからなくなる。
そういうものはどうにかしようと思わない方がいい。行き当たりばったりでいいのだと割り切ってしまう。
● Twitterには上げるわけにはいかないものもある。そういうものをどんどんBindexのメモ欄に貼っていくことにしたい。
“貼る”を復活させることによって,Bindexも復活させていこうと,今のところは考えている。貼れるものを探すことになりそうだ。
部下なんていう面倒な者もいないし,管理の仕事もないし,一兵卒でも後衛に回っている。手帳を仕事にしか使わないなら,手帳ははっきり不要なものになった。
● ので,今年からは薄いマンスリーでいいと思って,一度はマンスリー手帳を用意した。のだけれども,マンスリー手帳を使うのは完全引退してからの楽しみに取っておくことにして,今年は引き続きBindexのNo.011を使っていく。
レイアウトは能率手帳そのものだから,左側にスケジュール欄に書くこともあまりなければ,右側のメモ欄はほぼまったく使わない。メモはダイスキンに書くので。
● で,これは以前からそうなんだけど,右側はスクラップ帳の代わりにしていた。貼るためのスペース。足りなければ,白紙リフィルを追加するという形でやってきた。
が,その“貼る”も昨年4月から激減した。ならば“貼る”もダイスキンに回して,手帳はいよいよマンスリーでいいのではないかと思ったわけだった。
● 貼らなくなった理由のひとつはTwitterにある。スキャンして心覚えのメモを付けてTwitterに上げてしまえば,それがそのままログになる。Twitterがスクラップ帳になる。
今はどうなのか知らないけれど,Evernoteが一世を風靡していた頃,メモは何でもかんでもEvernoteに放り込んでおけ,とEvernote解説書は推奨していた。
それを真に受けた人がいたのかどうかは知らない。が,ぼくはTwitterをスクラップ帳やメモ帳として使うことがある。
● それとアナログとの使い分けを考えだすと,袋小路に迷いこむことになる。“ポケットひとつ原則”がこういう場にも当てはまるのだとすると,いよいよどうしていいかわからなくなる。
そういうものはどうにかしようと思わない方がいい。行き当たりばったりでいいのだと割り切ってしまう。
● Twitterには上げるわけにはいかないものもある。そういうものをどんどんBindexのメモ欄に貼っていくことにしたい。
“貼る”を復活させることによって,Bindexも復活させていこうと,今のところは考えている。貼れるものを探すことになりそうだ。
2018.01.09 2018年も手書き派で
● この年末年始12月28日から1月8日まで12日間も休んでしまった。たった12日間を“も”というのは,われながら情けないが,まずまずいい休暇になった。
● 何泊かはホテルで過ごした。Chromebookを持っていって,TwitterやFacebookに投稿を続けた。それがそのまま,自分の行動記録になる。あるいは,つまらない思いつきもツイートする。
したがって,その間は,手書きでダイスキンに何かを書くっていうのがなくなる。
● では,出かける際にいつもChromebookを持っていくかといえば,そうはならない。
第一に,出先でパソコンを使う時間はごくわずかだ。そのためにいつもパソコンを持ち歩くというのは,あまり現実的ではない。ノートとペンですむのだ。
● 第二に,パソコンを広げると,メモをとってハイ終わり,にするのが難しい。特にWi-Fiが使えるところでネットにつながってしまうと,ついついネットを見て時間をつぶしてしまうのだ。
ノートとペンの方が時間をムダにしないですむ,というこれが決定的な理由だ。
● しかも,第三に,ペンで書いていると,筆記行為それ自体が,さらに書くべきことを誘発することが多い。パソコンのキーボードで打っていると,頭の中にあるものを吐きだすだけで終わってしまう(ような気がする)。
逆に,頭の中にすでにあるものを吐きだすには,キーボードの方が向いている。手書きより速いわけだから。
● 直接パソコンに打ちこめば,最初からデジタルになる。したがって,その後の加工や取り回しが楽になると考えがちだ。
が,いったん手書きしたものをパソコンに打ち直す手間は,じつは大したものではない。そもそもそんなにたくさん書くわけではないからだ。打ち直すときに,文章を整えることもできる。
● というわけなので,メモに関しては,今までどおり手書き派でいようと思う。その方が,粗末は粗末なりに,実りが大きくなるような気がするのだ。
● 何泊かはホテルで過ごした。Chromebookを持っていって,TwitterやFacebookに投稿を続けた。それがそのまま,自分の行動記録になる。あるいは,つまらない思いつきもツイートする。
したがって,その間は,手書きでダイスキンに何かを書くっていうのがなくなる。
● では,出かける際にいつもChromebookを持っていくかといえば,そうはならない。
第一に,出先でパソコンを使う時間はごくわずかだ。そのためにいつもパソコンを持ち歩くというのは,あまり現実的ではない。ノートとペンですむのだ。
● 第二に,パソコンを広げると,メモをとってハイ終わり,にするのが難しい。特にWi-Fiが使えるところでネットにつながってしまうと,ついついネットを見て時間をつぶしてしまうのだ。
ノートとペンの方が時間をムダにしないですむ,というこれが決定的な理由だ。
● しかも,第三に,ペンで書いていると,筆記行為それ自体が,さらに書くべきことを誘発することが多い。パソコンのキーボードで打っていると,頭の中にあるものを吐きだすだけで終わってしまう(ような気がする)。
逆に,頭の中にすでにあるものを吐きだすには,キーボードの方が向いている。手書きより速いわけだから。
● 直接パソコンに打ちこめば,最初からデジタルになる。したがって,その後の加工や取り回しが楽になると考えがちだ。
が,いったん手書きしたものをパソコンに打ち直す手間は,じつは大したものではない。そもそもそんなにたくさん書くわけではないからだ。打ち直すときに,文章を整えることもできる。
● というわけなので,メモに関しては,今までどおり手書き派でいようと思う。その方が,粗末は粗末なりに,実りが大きくなるような気がするのだ。