2014年11月12日水曜日

2014.11.12 あまりにシリアスなものは

● メモノート(ダイスキン)には何でも書く。憂さの捨て所だ。グチもこぼすし,人の悪口もぶつけている。
 あとで読み返したときに楽しく読めるようにいいことしか書かないなんて,そんな気遣いは自分に対してしていない。そもそも,読み返すことなんか想定していない。
 であればこそ,どこかに落として,誰かに拾われて読まれてしまうとまずい。人の悪口が書いてあるんだから。その人に知れたら,まぁ,ちょっとね。

● 困ったことも書くし,嬉しかったことも書く。何でも書く。
 備忘録的なことも,TODO的なことも,やってみたいと思ったことも,何ということのない思いつきも。
 打合せの内容も,奥さんに言われたことも,お昼に食べたラーメンが旨かったことも。

● ところが,ホントに自分が試されるような事態が発生すると,それを書くことは難しい。書くことじたい,辛くなる。書くことから逃げるようになる。
 別のどうでもいいことを延々と書いたりする。あとになってから書く。あるいは,あとになっても書く気にならず,結局,書かないままで終わったりする。
 そういうときは,手帳も空欄の日が続く。

● そういうときこそ,きちんと書いておくべきなのだと,頭では思う。が,本当にシンドイときは書けなくなる。
 弱いのか,それが自然なのか。

● 逆にいうと,普通に書けているときには,たいしたことを書いていないのだろうと思う。たいしたことじゃないから書けるのだ。
 だから書くまでもないことなのだ,とは思わないけど。

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