が,そうした妄想は消えても,ミミックの別格感は残っている。
● せいぜい150円しかしない鉛筆,しかも短くなった鉛筆を使うための補助軸に1万2千円を投じるのは,アンバランスといえばアンバランス。
そういうアンバランスは美しくないといえば美しくない。アンバランスこそ美しいのだという向きもあるだろうけど。
● けれども,ミミックで包んでやることによって,鉛筆は鉛筆でありながら鉛筆ではない何物かになる。いや,鉛筆として十全なものになる。
ミミックを与えられることによって,鉛筆はそのポテンシャルを余すところなく外に向けて発散できるようになる。ほどよい太さと重量を鉛筆に付加される結果だろうか。
● パーフェクトペンシルは実用性を損ねる結果を生んでしまっているが(鉛筆に諸々の負荷をかけ過ぎているのだ),ミミックは実用性の次元をひとつ上げたような感じ。
あなたが今まで思っていた実用性というのは,実用性の半分でしかなかったのですよ,と諭されたというかね。
● これは鉛筆のヘビーユーザーであるはずの小学生に使わせたい。ミミックの廉価版を小学生向けに作るのではなく,この質感のミミックをそのまま小学生に使わせる。
大量生産はできないであろうから,全国の小学生に行き渡らせるのは現実的ではないだろうが,こういうものこそ小学生が使うべきで,大人はその他の残り物でいい,というのが本然であるべきだとは思う。
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