若い頃はモンブランの万年筆なんぞに興味を持って,颯爽とモンブランを使っているカッコいい自分をイメージしたりしていた。文具すきな若者たちにずいぶんいたであろう群衆の一人だった。
● 鉛筆はカッコいいものではなかったのだ。鉛筆なんて子供が使うものとする決めつけ度は,半世紀前の方が今より強かったかもしれない。
それが棺桶に片脚を突っ込む年齢になって鉛筆を常用するようになったのだから,非常に大げさに言えば,人生はわからないものだ。
しかも,実際に使ってみると,鉛筆とはいものだと思っているのだから,いよいよわからないものだ。
● 子供の頃には当然,鉛筆を使っていた。記憶をまさぐってみても,鉛筆の心地よさは出てこない。
が,今は心地いいと感じるのだ。鉛筆じたいが半世紀前よりも良くなっているのは確かなのだろうが,そこに理由を求めるわけには行かない。
鉛筆は頑丈で劣化が少ないからか,半世紀前の鉛筆が今でもフリマアプリに出てくるし,都市部ではリサイクルショップにあったりする。比較的入手しやすい。それらは心地よくないかといえば,そうでもないからだ。
● 子供の頃は,させられる勉強のために鉛筆を使っていた(鉛筆は使わされるものだった)のに対して,今は自発性によっているからだ,というのも心地よさの理由にはならないような気がする。
子供の頃は鉛筆しか使ったことかなかったから,他の筆記具と比べることができなかった。それゆえ鉛筆のよさがわからなかった?
● 一番シックリ来るのは,子供の小さな手では鉛筆を十全に取り扱うことが難しかったからというものだ。
が,そもそも記憶が正しいとは限らないから,これ以上は考えないでおこう。
今は,鉛筆に心地よさを感じるがゆえに常用している。心地いいと感じるのがなぜかは,依然としてよくわからない。
● 滑り具合,黒煙の黒さの程のよさ,といったところだろうか。黒々しい黒というのがインクの世界では流行っているらしいが,ぼくは好きになれない。重さを感じて鬱陶しくなる。
万年筆を使っていた頃も黒インクは避けていた。ボールペンも然り。黒は可能な限り使わない。
その点,黒鉛で描かれる黒は受けとめやすい。黒は黒鉛程度の濃さ(薄さ)でちょうどいいのだ。
● 鉛筆は日本で生まれたものでもないし,日本だけで使われているのでもないが,日本では鉛筆を硬筆と呼んだりする。
日本の書道にあたるものは世界の各地にあるのかもしれないが(カリグラフィーはその範疇に入れたくなる),硬筆と言うのは言い得て妙だと思う。文字に濃淡や強弱を付けやすい。
● 万年筆でも同様にそれは可能だから,鉛筆だけの特徴にするわけにはいかないのだが,水分を含まないのに鉛筆には微かにしなる感じを受ける。芯は焼き固めているのだから,物理的にしなるはずはないのだけれども,径が2㎜もあると力の吸収力を持つのだろうか。
シャープペンだと1.3㎜でもその感覚を覚えることはないから,2㎜という太さが必要なのか。あるいは,鉛筆の木軸がその役割を担当しているのか。
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