2024年6月29日土曜日

2024.06.29 純正鉛筆族はどうして生まれるのか

● 3月から鉛筆をメインの筆記具にしているのだけれども,なぜ鉛筆になったのかというと,再生紙野帳(セ-21N)を使うことになったからだ。

 万年筆だと(プラチナのブルーブラックでも)裏抜けすることがあるので,絶対に抜けない鉛筆を使ってみるか,と。


● が,再生紙野鳥にも個体差があって,万年筆でも裏に抜けないものもある。そういう場合は,鉛筆よりも万年筆がいいような気もしたが(文字を書くだけなのでね),基本的には鉛筆を使い続けている。

 再生紙野鳥は鉛筆で通してみようと決めたからでもある。が,それだけではなくて,鉛筆を使い始めてそれなりの期間が経ってみると,やっぱり鉛筆っていいよね,となってきているわけだ。


● となると,鉛筆以外の万年筆やボールペンも山ほど買ってしまっているので,それも誰かもらってくれる人がいないかなぁ,となるのだけれども,いないよねぇ。

 よほど高価なものなら格別,ぼくが持っているのは4桁止まりだからな。


● ま,それはそれとして,鉛筆のこの快適さは何なんだろう。この快適さを小学生のうちから感得していれば,シャープペンに移行することもなく,そのまま一生,鉛筆を使い続けることになったかもしれない。

 筆圧をかけないで人差し指で滑らせれば,ほどよい抵抗感を残しつつ,文字が紙の上に残っていく。


● 筆圧をかけないというのが,小学生のときにはできなかった。ぼくが小学生だったのははるかな昔だが,Hとか2Hの鉛筆でガチガチに筆圧をかけて書くのが流行っていたような記憶もある。

 俺なんか4Hだぜ,みたいな自慢をしてみせていたんじゃなかったか。ずっとそういうふうだったということではないが,鉛筆とは筆圧の代名詞だった。


● 筆圧は要らないのだと体得できていればずっと鉛筆を使い続けたもしれないというのは,しかし,成り立たないだろうね。シャープペンと万年筆への関心は抑えることができなかったと思う。

 メカニカルなものに少年は憧れるものだし,削る必要がないところにも惹かれたはずだ。


● ぼくが子供だった頃は,中学の入学祝いは万年筆が定番だった時代だ。元服のお祝いは,当時の価格で2千円か3千円の万年筆。パイロットのエリートSが売れていた時代だ。大橋巨泉のハッパフミフミの台詞の全部を,ぼくは今でも諳んじている。

 大人になりたくてしょうがない年齢だから,おとなしく鉛筆だけを使っていたとは思えない。


● が,中にはそういう人がいるわけで,どういう理由でそういう人が生まれるのか。メカニックや大人の象徴の誘惑に乗らずにいられたのか。あるいは,乗ってはみたものの,ごく短期間で見切ることができたのか。

 だとすれば,いかなる理由でそれができたのか。その年齢で鉛筆の快を知るところまで行っていたんだろうかね。

 だとしたら大したものだな。少数派の栄冠を獲得できた人だよ。


● ここから別の話。

 ぼくもこの齢になって,鉛筆の良さを半分くらいはわかってきた気がする。わかってしまった以上は鉛筆を使い続けることになるわけだが,万年筆やボールペンたちよ,汝を如何せん,という問題が発生しちゃうわけだよね。

 鉛筆だって三度生まれ変わっても使い切れない本数があるので,鉛筆のほとんども汝を如何せんなのだが。


● 根っからの貧乏性のせいだと思うのだが,文房具というものに使用価値以外の価値を見出だせないでいる。

 これまで夜に出た文房具の中にはニューヨーク近代美術館で保管・展示されるようなものもあるんだろうけども,そうしたものには興味を持てない。

 これは,たとえば茶道具や磁器陶器に興味を持てないことにも通じるのだろう。形やたたずまいに対する美感が決定的に欠けている。


● 戦後に限っても,国産鉛筆は(海外製も同じかもしれないが)ブランドは同じでも,小さな変化を数限りなく刻んできている。たとえば,トンボ8900は世に出てからそろそろ80年になるのだが,当初の8900のまま今に至っているはずがない。

 ダース箱の変化など,外からわかることだけでなく,芯質や木軸の使用材も変わっているはずだ。それも一度や二度ではないだろう。


● そうした変遷を辿ってみよう(当初の8900から現行品に至る過程の中のいくつかを並べて,どこがどう変わったのかを実地に確認し,味わってみよう)とはサラサラ思わない。そういう系統を詳らかにすることに興味はない。

 貧乏性とは何かというと,腹の足しにならないことには興味を持てないことを指すようなのだ。

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