2025年5月15日木曜日

2025.05.15 筆圧問題

● 小学生の頃の筆圧をかけて刻むように書いていた記憶が,鉛筆は紙を彫るように書く筆記具だという刷り込みを作っている(ぼくだけかもしれないが)。全然,そうではない。
 筆圧など要らない。紙の上を滑らせていけば,紙の繊維の凹凸が勝手に黒鉛を削り取ってくれるのだ。使い手が圧をかける必要はない。それを最近になってやっと知った。
 作家の遠藤周作氏が原稿を書くのに Hi-uni の2Bを使っていたそうだが,僭越ながら,頷ける気がする。

● 小学校で習った習字も,鉛筆には筆圧を,と刷り込ませた原因のひとつになっているような気もする。
 小学校の書道では,大きな文字を少なく書く。4文字からせいぜい6文字だったのではないか。筆に墨をたっぷり吸わせて,ゆっくり書けと言われる。トメ・ハネ・ハライには特に注意するよう言われる。
 注意するから力を込める。グッと筆を押し込むことになる。

● 書道はそれでいいのかもしれないが,それが鉛筆を使うときも影響を与えることがあるかもしれない。硬筆書写という言葉もあるけれども,一般筆記にはその書き方はあまり向かない。
 ぼく一個の感想を言うと,「美しい文字」といったことを言い過ぎるように思う。それで飯を喰ってる人もいるからアレだけれども,普通に書きだす文字が美しくなければならない理由など何もない。悪筆という言葉もあるが,これもなくていい言葉だと思う。
 上手下手,美文字,悪筆。ことごとく余計な評価と言うべきで,自分が書いた文字は自分が読めればそれでいい。上手も下手もないし,美しいも汚いもない。

● 書は人なり,とは本当だろうか。キャッチーなコピーを安易に受けつけない方がいいと思っている。
 文字を見ればその人がわかる,といったことを言う人がいるが,いったい何がわかると言うのだろう。
 小さな文字を書く人は,几帳面だが気が小さい人だ,といった程度の,愚にもつかない決めつけを表明するための方便でしかないのではないか。三流占いにもなっていない気がするが。

● そんなことは気にしないで,筆圧をかけないで書くことを覚えれば,鉛筆は速く書けるし,長時間使い続けても疲れにくい筆記具であることを,小学生が発見してくれるといい。
 彼らが鉛筆を使う期間はそんなに長くはないのだから,その間にそれを見つけてくれれば,長じてから鉛筆に戻ってくれる可能性が高まるのではないか。あるいは,ずっと鉛筆を使い続けてくれるかもしれない。

● 教師や親は,子供たちの書く字が上手いとか下手だとか,自分の主観で軽々しく評価するな。百歩譲って評価はしてもいいが,それをいちいち口に出すな。壊れたスピーカーじゃあるまいし。
 大人の達筆すぎる文字は読めないことがあるが,子供の文字が読めないということはないはずだ。黙って読んでやれ。
 そうして,子供たちが鉛筆のそうした特性を発見しやすくなるように,できるだけ “いい鉛筆” を使わせること。

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