STAEDTLER の製図用シャープペンに通じるメカメカしさに惹かれるんだろうか。軸の太さもいい。グリップもこのくらいザラつきがあると滑る心配は皆無だし,このくらい太い方が自分の好みに合う。
MADE IN JAPAN なのだが,さて,どこがこれを作っているのだろう。
● STAEDTLER の補助軸は Amazon で買ったのだが、その後,メルカリで買った鉛筆まとめ売り(メインは使いかけの Hi-uni のBが30本)に付いていたのを専ら使っている。
タダ同然で手に入れたものの方が気安く使えるということだ。グリップ部の汚れを中性洗剤で洗って使っている。Amazonで買ったのは予備役。
● 今は STAEDTLER に波が来ているが,また潮の流れが変わって,たんぽぽ補助軸やミミックの波がやってくるはずだ。
人は飽きやすいのだ。ぼくだけではあるまいと思う。おまえ一筋というのは人間関係でも難しいが,対物関係でも同じ。
● 遠藤周作が原稿を書くのに Hi-uni の2Bしか使わなかったというのは(「趣味の文具箱 2024年4月号」p68〜),逆に稀有な例ではあるまいか。
彼の時期は Hi-uni が突出した存在だったのかもしれない。すぐに他社からエピゴーネンが出たはずだが,パイオニアの Hi-uni が孤高の存在だったのかも。そういった事情があって,実質的な選択肢が現在より少なかったのかもしれないと思ってみる。
● 何より,彼は書く人であって,文具マニアや鉛筆マニアではなかった。単純に,あるいは純粋に,鉛筆を道具として捉えていた。マニアのような不純な興味とは無縁だった。だから彼はHi-uniの2Bに特化することができた。
けれども,凡庸で文具をいじることを道楽にしてしまった者には,それは許されない。いや,いくらでも許されるのだが,特化することを自ら潔しとしない。
● 屁のつっかい棒にもならないことをアレコレ試して楽しむことをやめられない。児戯に類することなのだが,その児戯から離れられない。
どれかに特化してそれを継続することは,児戯ではない。凡庸マニアには難しいことなのだ。
● というわけで,補助軸のような地味なものでも,波ができてしまう。現在は STAEDTLER が来ている。
ただし,どんな波のときでも,クツワは併存している。あくまでぼく一個はそうだと言うにすぎないが,クツワの補助軸なしでそれ以外の補助軸だけでやれるかというと,とてものこと,それはできない。
実用性において盤石であるクツワの補助軸が底辺を支えてくれるので,STAEDTLER もミミックも存在できている。
● 波が来ていると言っても,その程度のことではある。
だから,どれかひとつしか持ってはいけないとなれば,STAEDTLER には目もくれず,クツワの安い補助軸を選ぶことになる。
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