2025年12月15日月曜日

2025.12.15 銀座蔦屋書店にて

● 銀座に来た。中国人がいなくなって,銀座は静かになった。人どおりは多く,賑わっているが,静かだ。
 中国人がゼロになったわけではないので,時折り蛮声が響くが,まずまず静かになった。その静かな中央通りを歩いて,蔦屋書店にやって来た。

● つい先日,自分は貧乏なのだなと痛感させられることがあった。お金を持っている持っていないではなく(その点でも,ほくは貧乏だけれども),手間をかけない暮らし方をしているというところで,つくづく自分は貧乏だ,と。
 上流の人たちは手間がかかる暮らし方をしているのではなかろうか。むしろ,手間がかかる暮らしをしている人たちを上流と呼ぶのではあるまいか。

● 食洗機を使って手間を省くのは貧乏だという話ではなくて,たとえば,植木屋を入れたり絵や陶器を飾ったりするのは手間がかかる,ということだ。
 絵でも陶器でも,いったん置いたらそれで終わりではなく,埃を払わなければならないし,毎日乾拭きをしなければならないだろう。その前に,絵や陶器を置くのに違和感のない空間を維持するにも手間がかかる。

● 豪邸ならば放っておいてもいいというわけではない。小さな家でも手間さえかければその空間は作れるだろう。
 そういう手間をぼくは省略してしまいそうだ。そんな人間に絵や陶器を飾る資格はない。貧乏とはそういうことだ。

● これを敷衍すれば,文化を暮らしの中に取り込もうとするのは,手間を抱えることでもあるということだ。特に,伝統文化と呼ばれるものを取り込もうとすると,相当な手間,ペットを飼う以上の手間,を払わなければならないのではないか。
 面倒くさがりはそういう世界とは無縁になる。

● 蔦屋書店はそんな貧乏人は眼中に置いてない。それでも,お客さんの8割は貧乏人かもしれないが,その8割のために何かをしているわけではない。残りの2割に照準をあわせている。
 8割がいてくれないと商売にならないのだけれども,その8割は言うなら金魚の糞のようなものだ。蔦屋書店の棚を見て歩きながら,そういうことなのだろうなと思ったんでした。

● そんなわけなので,ここでぼくが買えるものはそんなにない。というか,ほとんどない。のだが,気になったのが2つあった。
 ひとつは nu の「10年メモ」。松岳社による製本らしい。
 筆記スペースがちょうどいい。10年日記ではなく,10年メモとあるとおり,たくさんは書けないのだが,連用日記はそもそもたくさん書く必要はない。というか,たくさん書いてはいけないものだろう。

● もうひとつは,MAKERS CABINET の FERRULE という製品。鉛筆セットだ。
 と言っても,メインは補助軸。金属製(真鍮かと思うが,ガラスケースの中に入っていて,手に取って確かめることはできない)でキャップも付いている。キャップをした状態だと中々にスタイリッシュ。それに鉛筆が6本と補助軸に装着する消しゴムが3個セットされている。
 お値段は22,000円。ミミックを何本か持っているので,自分のために買うことはないが,気にはなった。

● 絵画の展示・販売ももちろん実施している。米山舞「YONEYAMA MAI EXHIBITION “arc”」,ZEN「Urban Equivalence — 都市等価論」など。
 都市等価という言葉が面白いと思った。どんな意味を込めてこの言葉を使っているのかはわからないけれども。

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