当然,使うつもりで買っているので(他に欲しいものがあって,その抱き合わせに買ったことがほとんどだとしても),使い終えてやれやれというところ。
と言って,ドットはまったく活かしていないが。
● ドットを活かせるのは,勉強に使う場合に限られますかね。しかも,ノートをきれいに仕上げたいというとき。
東大生のノートがきれいなのかどうかは知らないけれども,あまり細部にこだわってはいないんじゃないかね。こだわらなくても,結果的にきれいになるんだろう。もし,東大生のノートがきれいなんだとすれば。
● だから,ドットを活かしてきれいに書いたとしても,それはそれだけのことで,あなたが東大に合格できるわけではない。
まして,ぼくのように単に文字列を羅列するだけだと,ドットは関係なくなる。文具店には,ドットなしとあり,両方が置いてあるが,ドットなしの方が圧倒的に売れているように見える。
● ここまで Campus を使ってきて思うのは,ノートは Campus で充分だなということ。充分と言うより,最も的確にパレート最適を達成しているノートではあるまいか。品質と価格のバランスも含めて。
勉強であれ仕事であれ,それ以外であれ,どのような使い方をするにしても,Campus で必要十分なはずだ。
● そうして,Campus は圧倒的に強い。他社が入り込む余地はない。
それゆえ,他社は “高級” をウリにしたニッチ路線を採用するしかない。無意味な “高級” であることはわかっているだろうが,わかっていても他に選択肢は存在しない。
● 基本,コクヨも他社に対して容赦はないはずだが,無意味な “高級” をコクヨが選択することはない。それはコクヨのブラントを毀損するかもしれないからだ。
その点において,他社は息をつけている。
● ぼく一個も,ノートメーカーがコクヨだけになってしまうのは甚だ良くないと考えている。それゆえ,他社の高級ノートを買ってくれる人にいてもらわなくては困る。
使う使わないはどうでもいい。購入してくれる人は必要だ。
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