2025年6月1日日曜日

2025.06.01 北星クラフツマンのFを買い占めるか問題

● 北星クラフツマンのF。Fであっても,三菱やトンボのHBよりかすかに濃い。滑らかさはクラフツマン・クォリティー。
 ところで。北星のFはクラフツマンしかないのか。9606はHBしかなく,9500もHB〜2Bしかないようだ。

● Standard Products にはクラフツマンのFはまだ残っている。見つけ次第,買い占めるべきか。宇都宮の店舗(2つある)には,Fはまだけっこう残ってるんだよね。
 売れた分の補充はしないようだから(HB〜2Bは払底していて,事実上,入手不可能),買い占めというはしたない行為をしていいものかどうか,ちょっと迷ってるんだが。

● 川崎に来たので,Standard Products 川崎アゼリア店を覗いてみましたよ。Fは10箱残っていた。他に,5Bと6Bが1箱ずつ。
 10箱全部買っておくかとはならず,4箱(2ダース)だけお買い上げ。

● もちろん使うつもりで買っているんだが,ここまで辿り着けるかどうか。もう四生分か五生分の鉛筆が手元にある。オレを使ってくれと言ってる鉛筆の山をいくつも越えていかんとな。
 生きてる間に,それらを越えられるかどうかだな。常識的に考えると120%の確率で越えられない。1週間で2本くらい使えれば希望が見えて来るんだが。

● 幾山河越えさり行かば物欲の終てなむ国ぞ今日も旅ゆく

 物欲はだいぶ枯れてきたんだが,過去の物欲の科を厳しく問われるフェーズに入った感じね。齢をとるってそういうことかもしれんね。
 しかも,そのフェーズに入る直前が物欲のピークだったりするから,タチが悪い。

2025.06.01 鉛筆を削るときの個人的な問題

● ギリギリまで使って,鉛筆の神様に褒めてもらいたい。で,短くなると手削りするわけだが,削るときに芯にナイフがあたって,あたった部分の芯を削り取ってしまう。
 と,書いてる途中にそこからポッキリと折れる。さすがに Hi-uni でそれは起きづらいんだけど,ついにやってしまった。

● 悪いことに,これくらい短くなると芯を全部出してしまいたくなる。最後の2cmの芯を露出させたくなる。
 残り2cmになると芯を全露出させたくて,最後は水平に(芯に直角に当たるように)削ってますんでね。

● よく,鉛筆を削るためのナイフは切れすぎるものはいけないと言われるけれど,刃物の問題ではない。
 強いて言えば不器用とセッカチの問題ですかね。ぼくはよく切れるナイフで時間をかけずにチャチャっとやってしまいたいので。

● しかぁし。どうしてもそうしたいのであれば,せめて残り5㎜になってからやれ,ということですね。できればやるな,と。
 やってはいけないとわかっていても,やりたくなる。許してください,鉛筆の神様。

2025年5月31日土曜日

2025.05.31 いくつかの鉛筆を比較

● 三菱の9000と9800の現行品をBで比較。ぼくには違いを知覚できなかった。目隠しされたら皆目わかるまい。
 が,どちらかを選べと言われたら9800かな。ホロホロ感があるというか,髪の毛1本分ほど9800が軟らかい。そこが自分の好みに合う。

● 三菱9800の現行品(写真の上)とちょっと古い Patented をHBで比較。これは明らかに違う。
 現行品の方が硬い。古い方は,現在の北星のHBに近い(北星ほど軟らかくはないが)。
 三菱はどこかの時点で社内の硬度基準を見直したのだろうな。目下のぼくの好みは Patented だが,明日はどうなってるかわからん。

● トンボ8900と太陽8000をBで比較。製造時期が近いと思われるものを選んだつもりだが,こちらも三菱9800の現行品と Patented くらいの違いはある。
 太陽が Patented にあたる。したがって,ぼくの好みは太陽。どちらが甲でどちらが乙ということもなく,どちらも滑らかだが,そこから先は好みの問題になる。

● が,太陽と三菱9000を比べると,ほぼ違いはない。9000は9800より気持ち硬かったのだが,トンボ8900はさらに硬くて・・・・・・?
 そうではなくて,人間の感覚なんて当てにならないってことだと思いますわ。かなりいい加減なものなんじゃないですかね。
 特に,滑らかさと軟らかさを峻別するのは難しい。滑らかだと軟らかいと感じてしまうものだ。逆も然り。実際に両者には重なる部分があるのだとも思うのだが。

● そのいい加減なものをモノサシにして,アーでもないコーでもないとやってるわけですわ。それしかないわけですけどね。
 早く自動運転が普及してほしいと思いますよ。個人で完結するものは主観優先主義でいいとしても,他との関係が生じる局面では,人の感覚をモノサシにしちゃいかんですよ。

● ここまで「好み」という言葉を何度も使ってきたが,何でも「好み」で片づけるのはよろしからず。最後の最後は好みだけれども,たいていの優劣は好み以前で決まる。
 多少はメーカーを忖度するときに,「好み」を適用するのは便利ではあるが。

● が,そんなことにかまけていないで,“使って書く” ことに集中しろよ。道具をあげつらっているのは,本来のやるべきことに集中できていないからだろうよ。
 実際,現行品の鉛筆であれば,どれを使っても作業の邪魔をすることはないだろうよ。道具評論などという安直な逸楽に浸っていてどうするよ。

2025.05.31 自分にとってこれが決定版だという1本は存在しない

● 三菱鉛筆でいえば,9800と Hi-uni の違いは,HBで比べるとわりと歴然としているが,Bになるとけっこう詰まってくる印象がある。
 9800は2H〜2Bの6種しかないが,以前はもっと多彩だった。ぼくも古い9800の5Bを持っている。こうした絵描き硬度はuniシリーズで提供すればいいとなったのであろうが,9800とuniで違いを出すのが難しかったという裏(?)の事情もあったのではないかと邪推している。

● 文字書きユーザーとすれば,HBやF,Hといった硬いものはuniシリーズを使い,Bや2Bは9800や9000で良しとするのが,賢い対応であるかもしれない。セコいけど。

● 鉛筆に関しては,自分とっての決定版はなかなか決められないものだ。「自分」が絶えず揺らいでいる存在だからということの他に,Hi-uni と9800の間にビックリするほどの違いはないからだ。
 価格差ほどの違い(Hi-uni1本で9800を3本買える)があるとは思えない。わずかに良くなると,価格はドンと上がる感じ。指数関数的とまでは言わないが,直線的に比例するものではない。

● 加えて,9800で実用性は完全に満たしている。三菱なら9800→9000→uniシリーズと続くわけだが,9800で充分なものだから,その上に行くことの効用をさほどに感じることがない。
 Hi-uni の良さはわかる。わかるけれども,だからといって9800に不満を感じるわけではない。
 ぼく一個の意見は,小学生には Hi-uni を使わせた方がいいが,大人は9800でいいんじゃないか,というものだ。

● 自分にとってこれが決定版だという1本はそもそも存在しないとすれば,ずっといろんな鉛筆を使い続けるしかない。
 ただ,その範囲はある程度絞れてくるだろう。絞れてはくるが,この1本を特定することは,百年生きてもできないような気がする。

● 鉛筆に限らず何でもそうかもしれない。たとえば,ビールならスーパードライと決めてる人でも,それは怠惰の現れでしかない可能性がある。決めてしまった方が楽だから,ほどほどのところで決めているのだろう。
 そこを厳密に追求したのでは身体を壊してしまうかもされない。そんなことを本気で追求するなど,狂気の沙汰と言うしかない。ほどほどのところで収まるしかないものだ。

● が,鉛筆に関しては,ほどほどのところであっても決めない方がいいと思う。「決まらない」状態を続けるのが最適解のような気がする。
 それでも範囲は絞られてくるだろうが,じつは,その自ずと絞られてくる状態すら拒否するのがいい。

● ともあれ。自分にとっての決定版を求めること自体をやめるのが正解なのかもな,と。存在しないものを求めるのはやめる。
 万年筆でもボールペンでもなく,鉛筆を選択した時点で,絞り込みは完了しているとも言える。

2025年5月30日金曜日

2025.05.30 また,クツワ補助軸礼賛

● 補助軸は,ミミックやポイント,たんぽぽ,伊東屋など,複数の補助軸をそのときの気分で選んでいる。
 何度も書いていることなのだが,最も頼りになるのは(したがって,最も頻度高く手に取るのは)クツワ。ネジ式もノック式も鉛筆の固定に1㎜も不安を抱かせない。堅牢で,鉛筆をホールドするという補助軸本来の役割を最も遺漏なく果たしてくれる。

● 鉛筆って芯と木軸の一体性が大事な肝。なのに,鉛筆と補助軸の間にわずかでも隙間ができると,すべてが台なしになる。それがけっこうなストレス。クツワなら安心しきって委ねることができる。
 鉛筆がある程度長ければたいていの補助軸で問題なしなのだが,いよいよ短くなってきたときに,それぞれの補助軸の特性が出る。極度に短くなった鉛筆でも,クツワならガタつくかもという不安に曝されることがない。
 他の補助軸だと,少しビクビクしながら使うことになる。実用性に軸足を置いているのがクツワということ。

● 最近,STAEDTLER も多用するようになった。STAEDTLER もガッツリとホールドしてくれるが,鉛筆が短くなると,クツワとの差が出る。鉛筆がいよいよ短くなってくると,使える補助軸はクツワしかない。
 いよいよ短くなった鉛筆はクツワの補助軸でしか使えないとなると,ある程度長いうちからクツワを使ってればいいじゃないか,となる。たぶん,明瞭にそうなるんじゃないかとと思う。

● 素材はいずれもアルミ。真鍮は味わいはあるのだが,味わいだけでは補助軸にならない。実用性を完全に満たしているくれる方に傾くのは仕方がない。
 もっとも,アルミ製であることが極度に短くなった鉛筆でもしっかりホールドする理由であるのかどうかは知らない。そのあたりは,こちらのブログの解説が参考になる。

● この,文具店の学用品売場にある,工業製品然とした,鉛筆の補助軸ですよという表情しか持たない,安価な補助軸が,実用性においては群を抜く。補助軸のプロユースというものがあるのかどうか知らないが,鉛筆をヘビーに使う職業の人が選ぶ補助軸は,たぶんクツワに収斂するのでは,と思ってみたりする。

● 中には,鉛筆が木軸なのだから補助軸も木製でなきゃ,と考える人もいるようなのだが,その感覚はぼくの理解の外にあるものだ。木軸なのは鉛筆で完結しているのだから,補助軸は金属だろうが樹脂だろうが,そこにはこだわらない。
 むしろ,木製の補助軸は無意味に厚ぼったくなっていて,使う気を刺激しないものが多い。

● いわゆる工房系は,頭の毛が3本足りないヤツが使うものだという,根拠のない偏見がぼくにはあって,木製補助軸が工房系に多いこともあり,木製は選択肢に入れていない。
 工芸品あるいは工芸調の強いものは敬遠したいと思っている。工業製品であって欲しい。少なくとも,工業製品に見えるものであって欲しい。手作り感はない方がいい。あれは感興を削ぐ。

2025年5月28日水曜日

2025.05.28 貫通式補助軸

● このタイプの貫通式補助軸で真鍮無垢のものはないのかね。探せばあるのか。
 クロームメッキだとどうしてもグリップが滑りやすくなる。だいぶ暑くなってきてるしねぇ。

● クツワの双頭タイプも中仕切りなどないのだろうから,貫通式になりそうだ。が,頭が少し重くなるな。
 同じことをミミックの「マイウェイ」でもできそうだが,片方から鉛筆が頭を出したミミックなど,もはやミミックと呼べるシロモノではなくなる。それこそ頭が重くなりすぎて死にたくなるんじゃないか。

● 結局,国内で最も流布している貫通式補助軸はコイツだろう。小学校の低学年の紳士淑女を中心にね。
 ただし,貫通式として使っている人はほとんどいないだろうとも思われる。

● いや,コイツでいいんですけどね。樹脂の丸軸でも滑らないし,太さもぼくにはちょうどいい。
 貫通式補助軸なんてのはニッチの代表で,そうそう売れるものじゃなかろうから,特に大人が使えるものは少い。新製品が出ることも期待薄。安定供給も期待しない方がよい。

● “大人が使えるもの” にこだわるつもりは全然ないので,当分,この樹脂軸で行きますわ。当分というか,ずっと。
 この樹脂製補助軸はこうして逆向きに挿しても,けっこう使えたりする。というか,逆なのに気づかずに使っていたりする。

● ところで。クツワの双頭式は MADE IN CHINA なのね。クツワなら絶対的に安心と思っていたが,中華製か。日本の下町の町工場で作られたものじゃないのか。
 いや,だからダメってことではまったくないが。最終的に残す補助軸はクツワになるはずだが。

● さて。ここまで言っておいて何なのだが,じつは,鉛筆を裸の状態で持つことに,違和感が少なくなってきている。特に,丸軸は裸でも手に馴染むようになった。 
 努力して慣れたわけではない。何となく慣れてしまった。おそらく,筆圧を抜いて書くことができるようになったことが関係していると思う。

● 補助軸は,長さの他に太さを鉛筆に与えるためのものだと思っていたが,長さだけを加えるものになってきた。なりつつある。
 こうなると貫通式の補助軸をわざわざ使うこともない。補装具は使わないですめば,それに越したことはないわけで。

● まだ細すぎる感がわずかにあるので,現時点では貫通式の補助軸やクツワの “ぷにゆグリップ” を装着しているが,それらが不要になる可能性が出てきた。
 自分がそうなりつつあるので,貫通式補助軸などニッチで当然なのだなとあらためて思っとります。

● 鉛筆の唯一最大の弱点が軸が細すぎることだと思っていたのだが,そこが弱点から外れると,鉛筆は死角のない筆記具になる。
 細かいことを言えば,ノートが擦れるとページが汚れるとか,ま,いくつかあるにはある。けれども,現存する筆記具の中で最も長い歴史を持ち(つけペンの方が古いんだろけど),消しゴムで消さない限りは経年劣化に対する抵抗力がインクよりもはるかに強く,プリミティブでどう操作すればいいのか迷うところが一切ないという,魅力的な筆記具が鉛筆というもの。
 ページか汚れるのが嫌なら,薄めの硬度の芯を使えばあらかた解決するしね。

2025年5月27日火曜日

2025.05.27 三菱9800 vs トンボ8900

● トンボ8900の70周年記念の鉛筆を使い始めたのがキッカケで,8900の市中品との違いなんかを弄ぶことななった。
 もう一方の雄である三菱9800はどうなんだろうと思って,HBでちょっと比べてみるかと思ったんでした。

● 両者とも長く続いているブランドなので,かたやかなり昔に製造されたもの,かたや最近のものという製造年代の違いがあってはまずいから,両方とも現在,文具店で売られている現行品で比較。
 良くも悪くも,古いのが比較的簡単に手に入るのが鉛筆の特徴。品質劣化が少ないから古くなっても実用性を保持しているのが第一の理由。

● 第二に,必要以上に買ってしまう人が多いこと。少しばかり買いすぎるのではなく,必要量の3倍4倍と買うのが普通なのかと思える。あと,文具店に眠っていたデッドストックが相当量あること。
 要するに,過剰生産。これは鉛筆に限るまい。現在でも文具のほとんどは実需を超えた量が生産されているだろう。それらが,ヤフオクやメルカリの登場とともに市場に出やすくなった。

● で,両者を比べたところ,ほとんど差はなかった。濃さ,硬さはほぼ同じ。
 書き味は9800の方が気持ち滑らかに感じたんだけれども,気のせいかもしれない。違いがあるとしてもその程度のもの。目隠しして比べたら,たぶん当たらないと思う。

● 三菱,トンボ,北星を比べると,同じHBでも北星が最も濃く,トンボ,三菱の順番と思ってた。北星が最も濃く軟らかいのは訂正の必要がないんだけれども,三菱とトンボの間には順位は付かない。
 なぜトンボの方が濃いと思ってしまったんだろう。9852と2558を比べたらそうだったのか。

● 三菱とトンボのどちらを支持するかは,成行きと偶然で決まるかも。
 ぼくは,9800と8900ならどちらも支持。9852と2558ならトンボ支持。三菱の9800と9852は芯は同じであるように思う。トンボは8900と2852の芯を変えている。

● 9800も8900も,現在でも最も広く使われている鉛筆だろう。深緑色とオリーブグリーンの代表者でもある。
 三菱からもトンボからも,それ以外のメーカーからも,9800や8900を凌ぐ鉛筆はいくつも出ている。それでも鉛筆の代名詞になっている製品はこの二つ。

● 鉛筆なんて安いんだから,9800や8900にこだわらないで,いい鉛筆を使えばいいのだ。それでもこの二つが選ばれる。
 メーカー品の中では最も安価だからというのも理由だろうけれども,三菱やトンボの社員でも9800や8900を選ぶ人が多いんじゃないかと推測している。実用性において欠けるところはなく,戦後ずっと存在してきたという限りない安心感。

● 鉛筆のメインユーザーである小学生は,9800や8900を使っているんだろうか。三菱もトンボも,別なものを使わせようと誘導したがっているように見えるのだが。
 彼らが大人になる頃には9800や8900はどうなっているだろうか。相変わらず生産が続けられて,最も選ばれる鉛筆であり続けているだろうか。


(追記 2025.05.28)

● 今日は9800より8900の方に滑らかさを感じた。滑らかさも互角。
 この両者を使っているうちに,この程度の硬さの方がB罫ノートの両面使用には合うんじゃないかと思えてきた。

● 北星ならHB,三菱とトンボならBか2Bが自分の好みにフィットするんじゃないかと思っていたんだけれども,北星ならF,三菱とトンボならHB,といったあたりに好みの軸が動きそうな予感。
 ちなみに,北星だと9606はHBしかなく,9500もHB〜2Bしかないっぽい。北星のFを使おうとするならクラフツマンを確保しておかないといけない。

● クラフツマンは高級ダイソーの Standard Products でしか取扱いがなく(Amazon にもない),その Standard Products でもHB〜2Bは入手困難な状態にある。補充もしない方針らしい。店頭からなくなったらそれまで。
 が,幸いなことにFは残っている店舗が多い。少なくとも,宇都宮東武百貨店に入っている Standard Products にはけっこう残っている。押さえておくべきやいなや。

2025年5月26日月曜日

2025.05.26 鉛筆についてのあれこれ

● 目下の課題は,鉛筆が長いうちは “ぷにゅグリップ” や貫通式補助軸を使っているが,それらを使わないで裸の状態の鉛筆を持って書けるようになることだ,と思っている。
 一方で,その種の努力は今さらだなと思う気持ちもある。ずいぶん慣れては来ているのだが,まだ太さを補う方が書きやすい。

● このままでいいんじゃないかとも思っている。努力しないと直らないんだったら,直さなくてもいいんじゃないか,と。
 鉛筆を使っていくうえで大事なことは,極力,努力をしないこと。便利な補装具をどんどん使っていくこと。そうして,鉛筆をたくさん使うこと。

● 鉛筆のフォルムの美しさを愛でたいと殊更に思うこともあるのだが,鉛筆を使っているときに鉛筆のフォルムを愛でることなどできない。そういうのは鉛筆を使っていないときにやるものだ。
 貫通式補助軸で鉛筆を覆ってしまうと,フォルムを隠してしまことになるのだが,それによるデメリットはほぼゼロだ。鉛筆を覆っているときは鉛筆を使っているときなのだから。

● 貫通式の補助軸は,メルカリで鉛筆を買ったときにオマケで付いてきたアルミ製のものと樹脂製のものしか持っていないが,樹脂製のは10本程度ある。
 児童が使うものだが(大人はあまり使わないだろう。特に,仕事シーンで使うことはないはず),還暦を過ぎてしまえば大人も子供もない。児童が使うものを使っていこうと思う。

● 鉛筆はどれがいいか。普及タイプの三菱9800,トンボ8900,北星9500の中では9500がいいと思っているのだが,その理由は最も滑らかであることだ。
 3つの中で最も濃く軟らかい。つまり,ぼくは軟らかめが好きなのだが,同じ理由で嫌う人もいるだろう。
 が,その9500でもザラつくことがある。芯のムラを完全になくすのは難しいようだ。

● 9500がいいというのはHBで比較した場合のことだ。Bや2Bではどうなのかわからない。
 9800のBはすでに使っているのだが,なかなか以上に快適だった。9500のHBよりいいかもしれない。

2025.05.26 日光にて

● 日光に来た。観光はしない。まっすぐホテルへ。明日はホテルからまっすぐ帰る。
 で,家でやっているのと同じことをホテルでする。場所を変えて同じことをするのは楽しいものだが,だったら家にいろよ,というアンビバレンツ。

● ホテルの客室に置いてあるメモパッド。この紙,かなりいいんだが,販売はしていない。
 では販売してたら買うのかと問われると,たぶん買わない。メモパッドを使うシーンがない。

● 今回は筆箱を忘れずに持参した。つくづく高級感のカケラもない筆箱だ。鉛筆を中心にすれば,こうならざるを得ない。
 それに抵抗しようとすれば,ミミックや大西製作所の補助軸,ファーバーカステルのパーフェクトペンシル(伯爵コレクション)などを導入することになるだろうが,基本,筆箱に高級感など不要。秩序も要らない。

● 使い勝手優先。優先というより,使い勝手が100パーセントだ。人に見せるものじゃなし。
 SNS に上げるのも余計なことだ。秘めておくべし。

● って,それがなかなかできない。つい主張してみたくなる。野暮の極みだが。
 賢者はこんなこと,しないだろうねぇ。

2025年5月24日土曜日

2025.05.24 コクヨ「鉛筆シャープ」と北星「鉛筆屋のシャープペン」

● 右の写真はコクヨ「鉛筆シャープ」の廉価版。上の黒いのは文具店で売ってるやつ。真ん中の白いのは Seria で取り扱ってるやつ。下の青いのは Campus Junior Pencil。
 Seria 版は Campus Junior Pencil なわけね。
ぼくはグリップ太めを好むので,Seria版を良しとする。

● ガイドパイプが本体に収納される構造なので,缶ペンケースに入れても安心だ。しかも,樹脂だから軽い。
 図面を引いたり絵を描くならともかく,単に文字を書くだけなら,シャープペンは Campus Junior Pencil を以て最上とする。

● 外見はかなりチャチだから,すぐに壊れるかと思いきや,なかなか頑丈だ。部品の数が少ないせいもあるんだろう。
 樹脂がダメになるか,ノックのバネがダメになるか,どちらか早い方が,このシャープペンの寿命になりそうだ。それより早く壊れることはどうやらなさげ。

● 「鉛筆シャープ」の唯一の欠点は,Campus Junior Pencil もそうなんだけども,加水分解してベタベタしがちなこと。
 重曹だの酢だのアルコールだの,除去の仕方は色々あるようだけど。

● というわけで,「鉛筆シャープ」はかなりいいと思うんだけど,では使っているかというと,ほぼほぼ使っていない。だって鉛筆があるんだから。
 が,魔が差すことはあるもので,1本追加してしまった。北星の「鉛筆屋のシャープペン」。

● 0.7㎜芯。予めセットされている芯は2B。色は濃緑にした。
 軸の太さは「大人の鉛筆」とほぼ同じで,長さは2㎝短い。多くのシャープペンと同じ身長。一番使いやすくなった鉛筆の長さでもある。「大人の鉛筆」はノック式には長すぎるんだよね。

● 当然,芯を削る手間がない。芯ホルダーは芯を研ぐのが面倒なんだな。
 鉛筆を削るのを面倒と感じたことはないのに,不思議なことだが。

● 握り具合と書き心地はすこぶる快適。鉛筆をやめてこちらにするかと思ったが,これまでの行きがかり上,そうも行かない。
 時々,思いだしたように使う程度に留まる予定。鉛筆の顔を立てるのが,当面の営業方針なので。

2025.05.24 Win11 にアップグレードする?

● パソコンをどうするか? つまり,Win11 にアップグレードするかどうか。
 つっても,使い続けるのであれば,それしか選択肢はないでしょうけどね。

● パソコンを起ち上げることがめっきり減った。MS-Office はもうパソコンに入ってない。表計算は時々使うけれども,Google の無料のやつで充分だ。  
 パソコンを使うのは,CDをリッピングするのと文書スキャナをつなぐときだけになった感じ。それ以外はスマホでOK。映画を観るのはタブレット。

● が,この2つがあるゆえ,Chrome OS を入れて Chrome Book にしてしまうわけにも行かない。
 10のまま使い続けるか。ホントにそれしか使わないんで。

● ヨドバシを覗いてきたんだけども,標準は20万円。ちょっと高くなると30万円。
 そりゃ,昔はね,今じゃ考えられないような低スペックのパソコンが30〜40万円してましたよ。そういうのを買ったもんです。
 ThinkPad や DynaBook には70万円のもあって,指をくわえて眺めてたもんです。

● ぼくが最初に買ったパソコンなんて RAM が6MBだったからね。ハードディスクが120MBだったかな。
 100MBもあれば,一生モノと言われたもんです。ギガ? そんなの何に使うんだよ,ってなもんでした。テキストしか扱わなければ,そうかもしれません。
 今でも,5G? そんなの,個人に必要なのかよ,とやってるから,ま,人間とはそんなもの。

● でも,毎日が日曜日になったワタクシには,20万円も出してパソコンを買うことが,途方もないことのように思われるんですな。
 費用対効果の問題ですね。パソコンは使わなくなってるのに,そんなものの買い換えに20万円かよ,っていうね。

2025年5月23日金曜日

2025.05.23 70周年記念のトンボ8900を使ってみた

● 70周年記念のトンボ8900(HB)。“THE JAPANESE CLASSIC 70th ANNIV.” と印刷されているが,この時点でとっくに MADE IN VIETNAM になっている。
 それはともかく。相当いいじゃないですか。トンボのHBにしては,濃い。濃いめ好きのぼくとしては,北星9500と甲乙つけがたいと受けとめた。

● 70周年記念ゆえ,ちょっといいものにしてるんですかねぇ。そんなことはないのか。いや,缶ペンケース付きとはいえ,6本で890円で販売したのだから,市中品の8900と同じものを入れてるわけではなさそうだ。
 もしこれが市中品と同じなら,生産拠点をベトナムに移して,さらに品質が上がっていることになる。

● トンボが8900を世に出したのは,日本が史上空前の窮地に置かれた1945年。以来,トンボは8900の品質改善を不断に行ってきたはずだ。
 少なくとも,今の8900はぼくが子供の頃だった8900とは別物になっているだろう。

● トンボに限らず,各社ともそうだろう。三菱とトンボの凄いところは,はっきり変えたところでも同じ品番で吸収してきたこと。それくらい品番自体が屹立したものになっていた。
 もちろん,コロコロ変えたものも一方ではあるのだが,“不滅の法灯” を一つでも二つでも持てたメーカーはやっぱ大したものだ。そもそもの発端はたとえ偶然であったとしても,だ。

● ぼくの年代は当時の鉛筆で鉛筆のイメージを作ってしまっている。大人になって鉛筆から離れると,そのイメージをアップグレードしないままだから(どうせもう使わないのだから),鉛筆を過小評価することになる。
 鉛筆にとっての不幸だ。年輩者の記憶にあるのより,たぶんずっと良くなっている。

● 40年前に使いかけにした8900を使ってみた。70周年記念と比べると,はっきり硬いし薄い。黒鉛を節約している感じ?
 こちらの方を好む人もいるだろうが,これがトンボ標準だとすると,ぼくならトンボはBを使いたい。




(追記 2025.05.25)

● 70周年記念と市中の8900が同じなのか違うのか。40年前のものではなくて,現在のと比べてみないとね。
 やっぱり違うようだ。8900という品番はそのままに,不断に改良を加えてきたに違いないのだが,現在の8900は70周年記念よりは40年前の8900に近い。

● 70周年記念の方は,2558を彷彿させる書き味。市中品の8900より濃いめ,軟らかめ,したがって書か味が滑らか。
 2558はさらに滑らかなような気がするのだが,かなり近い。ひょっとすると,2558の芯を使っているのかもしれない。 

2025年5月22日木曜日

2025.05.22 ダイソーの削り器付きの鉛筆キャップ

● 写真の削り器付きの鉛筆キャップはダイソーで買ったもの。3個セットだったと思う。
 消しゴム付き鉛筆にこれを付ければ,書く,消す,削るができる。

● 可能的にはファーバーカステルのパーフェクトペンシルと同じになるわけだが,じつはこのキャップはパーフェクトペンシルを凌ぐ。削りカスを内部に溜めておけるからだ。
 内部に一時保存できるかどうかはかなり重要でしょ。近くにゴミ箱はないし,ポケットティッシュも持ちあわせていないってこと,あるからね。その状況ではパーフェクトペンシルなどまったくの役立たずだ。

● 鉛筆専用の筆箱を作ろとしたときに,一番の関所になったのもここだった。薄い缶ペンケースを使いたかったのだが,鉛筆削りが厚くて入らない。
 削りカスを内部に溜めておかなくていいなら,いくらでもある。が,内部に保存できるものとなると,なくもないのだが,削り具合に満足でいるものはなかった。
 クツワの BABY-K は切れ味はいいのだが,角度がキツくて,結局,受け入れがたかった。BABY-K が悪いわけではない。超小型なんだからそうならざるを得ない。BABY-K に限らず,薄型缶ペンケースに収納できる鉛筆削りはすべてそうだと思う。

● ダイソーのこのキャップに付いている鉛筆削りでも同じことになるだろう。三菱鉛筆の Palette を携帯したかったので,薄型缶ペンケースは諦めることにしたのだが,このキャップの鉛筆削りも鉛筆削りとして使うことはなさそうだ。
 が,いざというときの保険にはなってくれるかもしれない。

● あと,これだけ長いと補助軸としても急場を凌ぐことができる。写真の短さだったら,このキャップは補助軸になる。
 ただし,そういう使い方をしたことはない。実際の削り具合いも上記の理由で試していない。

● 結局,この鉛筆削り付きキャップが役に立つ具体的な局面はなさそうではある。
 ちなみに,ファーバーカステルのパーフェクトペンシルの鉛筆削りはどうか。左の写真はマグナムのものだが,これならマグナムの太い鉛筆でも受忍限度内の角度に収まるかもしれない。あとは,切れ味の問題だけだ。世評によると,あまりよろしくないらしいが。
 が,こちらも実際に削ったことはない。それ以前にパーフェクトペンシルを使ったことがない。言っておくが,もったいなくて使えないのではない。

2025年5月21日水曜日

2025.05.21 福田屋の上野文具で

● 宇都宮の福田屋3Fに入っている上野文具。2Fには LoFt もある。さすがに,上野文具でも LoFt には太刀打ちできないだろうと思ってましたよ。
 ところが,そんなことはなかった。ぼくも上野文具にに行くことが多い。その理由を語ると長くなるので(しかも,あまり面白い話でもない),ここには記さない。

● お菓子のパッケージの文具。子供に売れ。親にねだらせろ。こういう売らんかな精神が横溢していないとね。
 これがないと,文具店は地味で静かな存在になる。大人だけを相手にしてるんなら,それでもいいんだけど。っていうか,その方がいいのかも,だけど。
 ちなみに,お菓子柄の鉛筆は88円。

● こちらは少女(のつもりのオバサンも含む)に宛てたもの。こういうのもメーカーが作ってるんですよね。市中の文具店で独自にやってるわけじゃない。
 これをやるのはむしろ販売店の仕事じゃないかと思うんだけども,少ない人数で,しかもパートやバイトで賄っているんだから,手が回らないのもわかる。

● リアルの少女が使いかけにした鉛筆を使用中なので,こういうものも気にはなる。ここにあるのは,カミオジャパンとクラックスが販売元になっているもの。大半はカミオジャパン。
 匂い付きなんてのもある(ま,昔からあるものですな)。その匂い付きのみ MADE IN TAIWAN で99円。残りは日本製で,価格は66円から110円まで。

● この中にぼくが使っているのと同じ柄はない。そんなものは千変万化し続けているだろうから,同じものがないのは当然と思うけども,ぼくが使ってるのは,たぶん,これじゃないと思う。

● これを見ると,女児の間でもパステル調が人気なのかと思えてくるが,それじゃ面白くない。ギンギンギラギラの原色メインじゃないとつまらんよ。
 実際はどうなんだろ。母親がパステル調を勧めるということかい? 子供に寄り添ってるようで,じつは母親に寄り添ってる? メーカーとしてはお金を払ってくれる人がお客さんだからな。

● マルマンとナカバヤシが組んで出した “測量野帳”。「グリッドノートA6スリム・図案柄」というのが商品名らしいが,コクヨの登録商標である測量野帳と呼んだ方が伝わりやすい。
 3㎜方眼で判型も中紙の枚数も測量野帳と同じ。製本の仕方は違う。

● 打ち上げ花火かと思っていたけど,定番化したんですかね。発売時の2023年4月から同じ価格(550円)で販売中。コクヨのレギュラー野帳は286円だけど。
 紙質が絵を描くのに向いたものなんですかねぇ。発売時に2冊ほど買ったんだけど,まだ使えていない。

● uniball ZENTO のシグニチャーモデルが再びお目見えしたのか。発売は2月だったか。初日に売り切れて,現在まで供給なし。
 こんなのがアリなのかと思ってましたよ。アリなんですかね。いや,ぼくは買いませんけどね。


2025年5月19日月曜日

2025.05.19 地元のダイソーで

● 地元のダイソー。こんな鉛筆も並ぶようになりました。真ん中(キャプテン翼)はダイソー印。左(王様戦隊キングオージャー)と右(鬼滅の刃)はサンスター文具が販売元。
 左のみ中華製。右は2本セットで文具店で買うと132円。他は3本セット。

● 王様戦隊キングオージャーと鬼滅の刃は,ダイソーで販売するのを前提に生産されてるものではないと思う。それをダイソーでも置くようになった。
 Campus ノートがダイソーにあるのと同じこと。ダイソーに特化した,Campus をパクったノートがあるにもかかわらず。

● 文具店で扱っているものをダイソーにも出すとなれば,それなりの圧力も受けるのだろうが,それに抗わせるだけの魅力がダイソーの棚にはあるんでしょう。ダイソーの集客力は凄いもんな。
 ダイソーもまた,売れそうなものは売る,1円でも利益が出れば売る,界隈の秩序など知ったことか,という構えなんでしょ。だから,ダイソーは面白いのでもある。

● ので,こうしたキャラクター鉛筆は売れるんだろうな,と想像できる。ダイソー特化型の4本セットもあるのに,その隣にこうした鉛筆を置くんだからね。
 誰が買うのかといえば,小学生の親だろうけど,いったん爆発したキャラクターの生命力は長く保つのかもしれない。

● ダイソーは貧乏人御用達の店ではない。富裕層も来ている(と思う)。収入や階層に関係なく,万人が集う(とはいえ,国民の大半が貧乏人。1億総中流は夢のまた夢)。
 自分は百均商品を使うような人間ではない,というプライドはむしろ貧乏人が持ちやすいものだと思うが,その根拠のないプライドもだいぶ薄まってきているのではないか。

2025.05.19 しつこく,リアルの女児が使いかけた鉛筆について

● リアルの女児が使いかけにした鉛筆(B)を使っている。木軸に黒い染料を染み込ませた2本を使い切れたので,次は塗装にラメが入っている3本を使ってみる。
 鉛筆の塗装にラメですよ。女児の世界は爺の常識を受け付けない。受け付けてるようじゃ,彼女に未来はないけどねぇ。

● ちょこっと使ってみた感じでは,果肉の黒い鉛筆と同じ。ただし,真ん中のだけちょっと違う。芯質が落ちる。
 この子が使っていた鉛筆はかなりいいものだ。Hi-uni と比べてもさほどに遜色はないというか。

● と言っても,そのわずかな違いが,使い込むほどにものを言うようになるんだろうけど。微差が大差になる。

● 弘法筆を選ばず,は正しくもあり,正しくもなし。“選ばず” は選べる立場にあることを前提としている。選べるから,あえて選ばないという選択ができる。選べない立場にある場合は,選ばずも何もあったものではない。
 小学校に入学した1年生が選べる立場にあるわけがない。そういうときは,親が代わって選んでやらなければならない。

● この鉛筆を使っていた女児の親は,結果において,いい選択をしたように思われる。
 鉛筆の値段なんて知れているとは言っても,それでも安いのに走ってしまうのが庶民感覚というものだろう。彼女は経済的に恵まれた家に生まれた子なのかな。

● せっかくのラメなのに,補助軸に挿してしまうんだな。まだ補助軸なしで使える長さなんだけどね。
 鉛筆の細さに慣れて,太さを補わないで使うようにした方がいいのかねぇ。


(追記 2025.05.21)

● 上の写真の3本のうち,真ん中のだけ芯質が落ちると書いてしまった。訂正する。
 芯質が落ちるのではなく,硬度がこれだけ違っているのだ。同じBでも他の2本より硬い。他の2本がBなら,これはHBだ。
 その違和感が,芯質が落ちるという表現になってしまった。芯質が落ちるのではないです。

2025年5月18日日曜日

2025.05.18 描かせろ,デコらせろ,自己満足させろ

● 久方ぶりに宇都宮東武百貨店7Fの Standard Products を覗いてみた。といっても,ぼくが覗くのは文具売場のみ。
 格別の変化はなかった。北星クラフツマンのHB〜2Bは欠品のまま。未来永劫,補充されることはなさげ。

● マルマンとのタイアップで,3㎜方眼のリングノート(スケッチブック)をいくつか販売中。北星の12硬度セットと色鉛筆も一緒に。売るための工夫は色々としてますよね。
 A6サイズもあって,わずかに食指が動いたが,買わず。

● Standard Products としては,書くよりも描いてもらいたいでしょ。描いてもらう方が,たくさん売れる。“描かせろ” が基本方針。
 Standard Products に限らず,すべての筆記具メーカーと販売店の狙いだろう。描いてもらえば,多品種の商品が売れる。書いてもらうだけじゃ,広がりに欠ける。

● デコも描くに準ずる。デコってもらえば,いろんなものが売れる。
 色鉛筆,マーカー,マステ,黒や赤以外のインクやボールペンが売れる。システム手帳におけるミニ6やマイクロ5の隆盛もデコと無縁ではないように思う。

● デコは消費の裾野を大きく広げてくれる。新製品開発の間口を広げてもくれる。
 描くのは難しくても,デコならハードルは低い。デコらせろ。紙の上で化粧させろ。カラフルに遊ばせろ。

● 文具消費を牽引するのは女性になって久しいが,デコが通奏低音なのだから,当然そうなる。
 男はできないし,少なくともデコが得意だという男は少ないだろう。

2025.05.18 今が華?

● リアルの女児が使いかけにした鉛筆をルンルンで使ってるんだが,使いかけなもので,販売元の表示が削られてしまっている。製造しているメーカーがどこなのかまでは知らなくてもいいけれども,販売元くらいは知っておきたい。
 文具店で確認すると,サンリオ,サンエックスの2つなんだけども,価格は88円と110円。なかなかいい値段なんですな。

● ダース箱は置かれてなくて,バラ売り主体。そりゃそうだ。同じ柄じゃ飽きてしまう。1本ごとに別の柄じゃないとね。
 世のお母さん方は,どれにする? と言いながら,娘さんと数本の鉛筆を選んでいるんですかねぇ。
 で,だいたいは実需を超えて買いすぎることになり,それがメルカリを通じてぼくのところに流れてくる。

● さすがに,いい齢した爺様が文具店でこれらの鉛筆を買うわけには行かないからねぇ。いや,孫娘にあげるんだよ,と装って買いますか。
 けど,この値段だったら uni か MONO を買うでしょうしね。

● 今はメルカリも遮断したので,この種の鉛筆を買うこともないと思う。手元にあるものを使って終わりにする。
 けど,まだずいぶんあるのでね。使い切るのはだいぶ先になりそうですよ。

● こういうのはサッサと使ってしまって,10グロスほどはあろうかと思われる(在庫管理をしていないから,正確なところはわからない)未使用の鉛筆を使い始めたいのだが,じつは女児の使いかけを使わせてもらっている今が華の時期なのかもしれないな。
 たぶん,そうなんですよ。幸せは過ぎてから気づくものなんですよ。渦中にいる間にはなかなか気づけないものなんですよ。

2025年5月16日金曜日

2025.05.16 外出用の筆箱に補助軸も

● 外出用の筆箱の中身を一部変更。鉛筆の太さを補う補装具として,クツワのぷにゅグリップを入れていたんだけど,キャップを外せば貫通式にもなる樹脂製補助軸に替えることにした。
 長い鉛筆は意匠を愛でる楽しみもあるのだが,貫通式補助軸はそれを隠してしまう。けど,使いやすさを優先。

● 意匠以前に,鉛筆のフォルムっていいじゃないですか。ぼく一個は,鉛筆は筆記具としては軸が細すぎるから,太さを補うのは必須だと思っている。
 鉛筆は補助軸が使えるほどに短くなって一人前だと考えるのだけれども,一方で鉛筆のフォルムの美しさは長さがないと成立しない。
 貫通式の補助軸はそのフォルムも壊してしまう。それでも,やはり使いやすさを優先。

● ちなみに,ステッドラーやファーバーカステルのジャンボ鉛筆には,その美しさは感じないから,あの細さがないと鉛筆の外観は成立しないのだな。
 鉛筆のアンビバレンツはここにあるねぇ。細すぎて太さを付加しないと使いづらいが,細くないと鉛筆じゃない,という。

● この樹脂製の補助軸は安価なうえにグリップが滑らないという点で優れているのだが,金属製の補助軸と同じように締めつけると,ヒビが入りやすいからご注意。そんなにキツく締めなくてもしっかり鉛筆を固定してくれるから大丈夫。
 あと,この補助軸はぼくが持ってる補助軸の中では最もグリップが太いものになる。ぼくは持ちやすいと感じるのだが,人によっては太すぎて使いづらいと感じる向きもあると思う。

● グリップが太くなると,書く字が自然と大きくなる。ぼくは蝿の頭のような小さい字を書くので,この補助軸がそこのところを自然に矯正してくれないかな,とも思っている。
 だったら,普段からこの補助軸を使えばいいじゃないか,って。そうも行かない。他にも,特徴のある補助軸がある。そちらも使いたい。

● この筆箱,厚さがあって収納力は文句なし。安っぽい樹脂製で,小学校低学年の女児が持ってそうだ。大人っぽさは皆無。大人を卒業したいぼくにはピッタリだ。
 それ以上に,安物主義だからね,ぼくは。単なる貧乏性なんだけど,安物の方が落ち着くっていうかさ。高級品,高額品はぼくのフィールドじゃないと思ってるんですよ。
 補助軸ではミミックをいくつか持ってしまってるんだけど,ぼくには要らないものだったかもしれません。

2025年5月15日木曜日

2025.05.15 筆圧問題

● 小学生の頃の筆圧をかけて刻むように書いていた記憶が,鉛筆は紙を彫るように書く筆記具だという刷り込みを作っている(ぼくだけかもしれないが)。全然,そうではない。
 筆圧など要らない。紙の上を滑らせていけば,紙の繊維の凹凸が勝手に黒鉛を削り取ってくれるのだ。使い手が圧をかける必要はない。それを最近になってやっと知った。
 作家の遠藤周作氏が原稿を書くのに Hi-uni の2Bを使っていたそうだが,僭越ながら,頷ける気がする。

● 小学校で習った習字も,鉛筆には筆圧を,と刷り込ませた原因のひとつになっているような気もする。
 小学校の書道では,大きな文字を少なく書く。4文字からせいぜい6文字だったのではないか。筆に墨をたっぷり吸わせて,ゆっくり書けと言われる。トメ・ハネ・ハライには特に注意するよう言われる。
 注意するから力を込める。グッと筆を押し込むことになる。

● 書道はそれでいいのかもしれないが,それが鉛筆を使うときも影響を与えることがあるかもしれない。硬筆書写という言葉もあるけれども,一般筆記にはその書き方はあまり向かない。
 ぼく一個の感想を言うと,「美しい文字」といったことを言い過ぎるように思う。それで飯を喰ってる人もいるからアレだけれども,普通に書きだす文字が美しくなければならない理由など何もない。悪筆という言葉もあるが,これもなくていい言葉だと思う。
 上手下手,美文字,悪筆。ことごとく余計な評価と言うべきで,自分が書いた文字は自分が読めればそれでいい。上手も下手もないし,美しいも汚いもない。

● 書は人なり,とは本当だろうか。キャッチーなコピーを安易に受けつけない方がいいと思っている。
 文字を見ればその人がわかる,といったことを言う人がいるが,いったい何がわかると言うのだろう。
 小さな文字を書く人は,几帳面だが気が小さい人だ,といった程度の,愚にもつかない決めつけを表明するための方便でしかないのではないか。三流占いにもなっていない気がするが。

● そんなことは気にしないで,筆圧をかけないで書くことを覚えれば,鉛筆は速く書けるし,長時間使い続けても疲れにくい筆記具であることを,小学生が発見してくれるといい。
 彼らが鉛筆を使う期間はそんなに長くはないのだから,その間にそれを見つけてくれれば,長じてから鉛筆に戻ってくれる可能性が高まるのではないか。あるいは,ずっと鉛筆を使い続けてくれるかもしれない。

● 教師や親は,子供たちの書く字が上手いとか下手だとか,自分の主観で軽々しく評価するな。百歩譲って評価はしてもいいが,それをいちいち口に出すな。壊れたスピーカーじゃあるまいし。
 大人の達筆すぎる文字は読めないことがあるが,子供の文字が読めないということはないはずだ。黙って読んでやれ。
 そうして,子供たちが鉛筆のそうした特性を発見しやすくなるように,できるだけ “いい鉛筆” を使わせること。

2025.05.15 三菱 Hi-uni vs 北星 9606

● リアルの女児が使いかけにした鉛筆を使っているのだが,また Hi-uni のBを併せて使うようになっている。これもメルカリで手に入れた使いかけシリーズということになるのだが,最も短くなっていた1本を使って,あとは女児の使いかけ鉛筆をすべて使い終えてから,Hi-uni の世界に浸るつもりでいた。
 いくら短くなっているといっても30本もあるのだから,Hi-uni の世界に浸るには充分だ。合わせるノートも Campus で何の問題もなし。存分に浸ろうと思っていたわけだ。

● が,それを待たずに2本目の Hi-uni を使っている。ということは,指が Hi-uni を持ちたがっているということだ。
 女児が使いかけにした鉛筆と Hi-uni の間にそれほどの差異はないと,頭では捉えているのだが,指はその小さな差異を無視せずに,Hi-uni を持ちたいと訴えているのだろう。わずかだとしてもオイラはやはり Hi-uni がいいよ,と。

● 基本,身体の訴えを優先させるべきだと思うので,女児の使いかけ鉛筆を全部使ってからだと訴えを退けるようなことはしない。Hi-uni を持たせることにしている。
 そうして,頭では捉えきれない,Hi-uni の何がいいのかを身体が教えてくれるのを待つことにする。焦らず,指先からの伝言を待つことにする。

● しかし,まぁ,現に使っていると,すぐにでも言語化できないかと思うのだが,すでに書いたことに付加するところはまだ出てこない。
 滑らかに書ける。芯がなかなか減らない。芯を長く出して,かつ細くしても,芯が折れない。書いているときに芯の硬さは感じないので,硬い軟らかいの他に,芯の剛性が別にあるのだろうか。

● 2日前に北星9606推しであると言ったのだが,9606と比べても Hi-uni が優れていることは間違いないと思う。何が違うのかというと,芯の湿り気のようなものだ。
 9606の方が湿っぽい感じがする。Hi-uni は少し紙を突き放すようなところがある。だからといって,書きづらいとかそういうことはなくて,しっかりと紙を捕らえてくれる。

● 紙に捕まる度合いが Hi-uni の方が少ない。思うさま速度を出して書くなら,9606より Hi-uni がいいだろう。
 Hi-uni の方が滑らか度が高いと言ってもいいのかもしれないが,普通に書いてる分には,書いてる最中の感触はそんなに違わない。9606も充分に滑らかで,力を抜いて書いても筆線はしっかり残る。
 さらに言葉を換えると,Hi-uni の方が自在度が高い。紙に捕まらない分,こちらの意思がすばやく伝わる。

● ただし,価格は,9606は Hi-uni のほぼ3分の1。

2025年5月13日火曜日

2025.05.13 北星鉛筆9606を推す

● 北星鉛筆は,9500,9606,クラフツマン,が3本柱。それ以外にもあるけれども,Amazon と実店舗で入手しやすいのはこの3つ。
 9500は外出用の筆箱に入れている。旅行先でも自宅にいるときと同じことしかしないので,ホテルや街なかのデスクやテーブルに座って,取りだす。
 これなら家にいた方がいいんじゃないか,と思いながらね。家にいるときにやってることを,場所を変えてやることの楽しさってのも,あるにはあるんだけど。

● クラフツマンは和製 BLACKWING の趣がある。特に,クラフツマンの2Bは BLACKWING の Balanced とどこが違うのかわからないほどだ。
 BLACKWING 自体が,鉛筆本体は,芯も含めて,和製なので(ぼくは北星が製造しているんじゃないかと睨んでいる),この言い方はちょっとおかしいのだけど。
 クラフツマンだけは Amazon でも扱っていない。高級ダイソーである Standard Products の専売なのだが,HB〜2Bが入手不可能な状態にあるのは残念だ。

● 初回入荷分を売り切ったら再入荷はしないという方針のようだ。店舗によってはHB〜2B以外でも入手できないことがあるが,売れ筋のHB〜2Bはどの店に行ってもない。
 ぼくの知る限り,ひとつもない。銀座にも川崎にも青森にも宇都宮にもない。

● 6B〜4Hの12硬度セットはあるので,そちらを買えばいいのだが,硬度別のバラ売り,半ダース箱売りは,初回入荷分のみらしい。
 12硬度セットは絵を描かない人には不要なものだし,絵を描く人でも12硬度を均等に使うことなどあるまいから,ここはぜひとも改善してもらいたいところだが,Standard Products としては,使わなくてもセットで買ってもらわないと手間に見合わないのかもしれない。

● けれども,上記の3本柱の中で,ぼくの推しは9606だ。HBしかないが,北星ならHBが一般筆記にも最善。北星のHBは,他社よりだいぶ濃いし,軟らかだ。
 B罫のノートに文字を書いていくなら,北星であればHBが最適。トンボならB,三菱なら2Bと続けたくなるのだが,そこまで言ってしまうと筆が走りすぎの感があるな。

● ノートに文字を載せていくときの滑らかさ,紙と協働で奏でる筆記音,指先に受ける快感。今まで使ったことのある鉛筆の中で(と言っても,そんなにたくさんは使っていないのだが),使っていて最も楽しいのは9606。
 正直に言うと,コスパもある。今なら Amazon でダース657円で買える。1本55円はお買い得どころではないレベルだと思う(ただし,Amazon はもっと安いことがある。1本46円のときがあった)。

● 消しゴム付き鉛筆の消しゴムを使うことはまずない。字を消すには普通の消しゴムを使う方がストレスがない。
 あれは単なる装飾品だと心得ているので,消しゴム付きであることのメリットは享受していない。鉛筆としてすこぶる優秀ということだ。

● その意匠からして,9606は社会人に宛てているのだと思うのだが,こういう鉛筆は小学生にこそ使ってもらいたいものだ。
 低学年の児童は,カラフルな絵柄が印刷された鉛筆を使いたがるかもしれないが,大人になろうと背伸びを始める4年生くらいになっていれば,受け入れるんじゃないかと思うのだが。

● いいものは子供にこそ使わせるべきなのだ。大人なら多少は粗悪であっても,騙し騙し使うこともできるし,上手く手なずけることもできるかもしれないが,子供はそうはいかない。
 だから,子供にこそいいものを。子供なのだから安物でいいというのは間違っている。大人には安物でもまぁまぁいいけれども,子供に与えるものを安物ですませてはいけない。
 子供だから雑に使うし,飽きるのも早いかもしれない。何より,しばしば失くす。そうであっても,子供にはいものを与えるべきだ。

● その伝でさらに言い募ってしまうと,いい齢をした大人が,AよりBがいい,Cはここがちょっと,などと雨夜の品定めに興じているのは,少々以上に浅ましい気がする。
 ぼくもまた,ここでこうして同じことをしているわけなので,浅ましい連中のひとりなのだが,大人になっていれば与えられたものを使いこなして見せろ,とは思う。
 目利きは自分より子供のために使え。

2025年5月12日月曜日

2025.05.12 不定形テキストのためのカード型データベースソフト

● 四半世紀前に「Sidekick95」というソフトを使っていた。基本のスケジューラーの他に,定型カード型データベースと “メモ帳” というテキストエディタが付いていた。
 “メモ帳” もデータベースソフト的な見せ方(タイトルをズラッと縦に並べるだけだが)をしてくれてて,数少ないお気に入りのソフトだった。

● Microsoft が Outlook を出すまでは,その分野を代表するソフトだったらしいのだが,Outlook が出た後に速やかに消滅した。
 カード型データベースソフトのデータは, CSV を介して Excel に持っていった。Excel で何の問題もないんだけど,あの使い勝手は今でもちょっと懐かしい。

● Outlook なんて使う気にならなかったでしょ。Outlook Express は使ってましたけどね。Gmail はない時代だったから。
 Microsoft は余計なことをしてくれたものだ。Sidekick95,面白かったんだけどな。わざわざ秋葉原のラオックスまで買いに行ったんですよ。北関東の田んぼの村からね。

● ちなみに,今は MS-Office は使っていない。退職しちゃうと,会社のパソコンと同じソフトにしておくかなどと考える必要もないし,スマホの比重が爆上がりして,パソコン自体をあまり使わなくなった。このブログもスマホでフリック入力している。
 でも,表計算ソフトをパソコンで使うこともたまにあるので,Google のスプレッドシートを時々使ってますよ。

● パソコンはどんなデータも1件として処理しているんだろうから,すべてのデータがカード型データベースに入っているようなものでしょ。
 ほとんどのアプリケーションソフトはカード型データベースソフトのようなものじゃないですか。

● 今だと,ブログにしろ 𝕏 にしろ,個々の投稿なりポストなりは,不定形のテキストを載せたカードのようなものですよね。
 ブログも 𝕏 も不定形のテキストを扱えるカード型データベースソフトだと考えると,シックリ来る感じ。写真や動画や音声も添付できる,便利なカード型データベースソフトだ。

● たまたま,外に向けて公開もされるので,他者とのやりとりも発生することがあるが,それはついでのようなもの。
 非公開に設定することもできるから,公開は本質ではない。

● 問題は,𝕏 の場合がそうなのだが,自分のポストをすべて読むことがデフォルトではできないこと。検索機能も弱い。
 ポスト数が万を超えると,目当てのものを探すには全文検索をかけるしかないのだけれども,文字どおりに全文を検索対象にしているのかどうか。

● 𝕏 の仕様はデジタルメモとして秀逸なので,とりあえずメモに落としておくのに使いやすい。そうした使い方をしている人も多いのではと想像する。
 そのためには,公開が時に邪魔になる。非公開を貫くためには最初から非公開に設定しておいて,フォロワーがひとりも発生しないようにしないといけない。自分も誰もフォローしないのが前提だ。

● そのためのアカウントと普通にリア充自慢をするためのアカウントを作って,両者を使い分けるのは甚だ厄介だ。面倒くさい。若者たちはあたりまえのようにそうしているらしいのだが。
 𝕏 の仕様を真似たメモアプリもある。画像も音声も添付できる。それを使ってカード型データを溜めて行くか。しかし,同様に,これは 𝕏 にあげていいのか,メモアプリにすべきかと,一瞬でも考えなければならない。

● おそらく,最善解は公開を完全にやめて,𝕏 を完全非公開にするか,メモアプリしか使わないことなのだが,この時代,なかなかそこには踏み切れない。
 公開の誘惑というのがある。自分を世に見せたいという浅薄な悪魔の誘惑を振り切るのが難しい。
 不定形テキストに対応したカード型データベースソフトは溢れているのだけれど,公開という悪魔が心安くそれらを使うことを阻んでいる。

2025年5月11日日曜日

2025.05.11 限定品戦略に乗せられる

● 目下は A6 Campus を使っているが,基本,ぼくは測量野帳派。でも,𝕏 で “ロルバーン” “モレスキン” “トラベラーズノート” で検索して,出てきたポストを見ていくと,皆さん,それぞれ楽しそうにやっている。
 みんな違ってみんないい,ってことね。でも,諸君,測量野帳はいいぞぉ。

● メーカーは売るために一生懸命に努力している。そのために最もよく採用されるのが限定品戦略だ。表示柄を替える。
 それによって,ノートがコレクションアイテムになる。コンプリートを目指すか人がいるのかどうかは知らないが,必要量を超えて買う人はけっこう出るんじゃないか。いや,コレクションだとすると,すべて必要なのかもしれないが。

● しかし,20年後か30年後には,すべてが白紙のまま,ゴミとして捨てられることになるだろう。
 通常の用途に使うだけが「使う」ではないかもしれない。限定柄の表紙を眺めていっときの憩いや癒やしにするのも,「使う」の一種であるのかもしれない。

● が,昭和原人のぼくは,なかなかそれを認めることができない。必要なだけ買えばいいではないか。
 そもそも,コレクションというのはそれ自体が悪趣味ではないか。多様な限定柄を溜め込んでどうしようというのだ。

● 冷めててクールだが嫌味なヤツだな,と思われることだろう。さよう,然り。ぼくは嫌味なヤツなのだ。
 加えて,自分のことは棚に上げる癖があるのだ。つまりですね,測量野帳の限定柄をけっこう集めちゃってるんですわ。

● ロルバーン,モレスキン,トラベラーズノートを比較すると,限定柄を出すのに最も熱心なのはロルバーン。四六時中出してる感じ。
 次がモレスキン。トラベラーズノートも東京駅限定だの,プラだとコラボしたり,BLACKWING とコラボしたりと,色々出してはくるが,ロルバーンやモレスキンと比べるとその頻度は低いような気がする。

● 問題は測量野帳だ。コクヨが限定柄を出すのはゼロに近い。その年の干支になる動物をあしらったのを少量出しているが,それだけではないか。あ,品川キャンパス限定と Think of Things 限定があったか。
 が,コクヨの与り知らないところで,ジャンスカ出ている。測量野帳は薄くて軽くて安価なためか,ノベルティに使われることが多い。その際に,その企業のロゴ入りが出ることになる。

● 博物館や美術館が出すことも多い。伊東屋やナガサワ文具センターも表紙の絵柄を変えて,オリジナル野帳を何度も繰り出している。LoFt オリジナルもあったな。スタジオジブリもやっている。
 ご当地野帳,イベント野帳など,いったいいくつあるのか,正確な数は誰も知らないだろう。

● 海からバケツで水をすくうように,ぼくも200か300か数えたことはないけれども,集めてしまった。しかし,きりがないのでもうやめた。
 やめてしまうと,アホなことにうつつを抜かしたものだと思うのが,これまた定番というもの。

2025.05.11 使い終える間際の鉛筆

● もうすぐ使い終えそうになると,鉛筆をこんなふうにしてしまう。芯だけにしてしかも全体を細く尖らせる。シャープペンの芯を長く出したような状態というか。
 芯がポッキリ折れることもあるわけですね。だから,こんなふうにはしない方がいい。

● しかし,こうしても,しかも筆圧をかけても,折れない鉛筆がいい鉛筆。
 この鉛筆は折れないだろうと踏んだので,あえてこうした。

● はい,折れなさそうです。ただし,書きづらくはなる。
 こうされてしまった鉛筆は,半分殺されたようなものだ。木軸を剥ぎ取られて芯が裸にされてるわけだもんね。芯だけでは鉛筆たり得ない。

● ただ,こうすることにも利点はある。筆圧をかけずに紙の上を滑らせるように書くのが身につくことだ。
 筆圧をかけてもかけなくても,筆線の強弱や濃さは変わらない。筆圧をかけたからといって筆線の表情が豊かになるわけではない。ならば,筆圧など余計なものだ。排除すべし。

● 筆圧をかけると芯が折れそうな状態にすると,否応なしに筆圧を抜くようになる。鉛筆は万年筆と同様に疲れの少ない筆記具であることが実感される。
 子供の頃はそれができなかった。小さい手ではできなくて当然だったと思うが。

2025年5月10日土曜日

2025.05.10 鉛筆はいいものだ

● 鉛筆というのは,じつにどうも使いでのある筆記具だ。その鉛筆,少なくとも社会人になってからは,自分が常用することはないと思っていた。
 若い頃はモンブランの万年筆なんぞに興味を持って,颯爽とモンブランを使っているカッコいい自分をイメージしたりしていた。文具すきな若者たちにずいぶんいたであろう群衆の一人だった。

● 鉛筆はカッコいいものではなかったのだ。鉛筆なんて子供が使うものとする決めつけ度は,半世紀前の方が今より強かったかもしれない。
 それが棺桶に片脚を突っ込む年齢になって鉛筆を常用するようになったのだから,非常に大げさに言えば,人生はわからないものだ。
 しかも,実際に使ってみると,鉛筆とはいものだと思っているのだから,いよいよわからないものだ。

● 子供の頃には当然,鉛筆を使っていた。記憶をまさぐってみても,鉛筆の心地よさは出てこない。
 が,今は心地いいと感じるのだ。鉛筆じたいが半世紀前よりも良くなっているのは確かなのだろうが,そこに理由を求めるわけには行かない。
 鉛筆は頑丈で劣化が少ないからか,半世紀前の鉛筆が今でもフリマアプリに出てくるし,都市部ではリサイクルショップにあったりする。比較的入手しやすい。それらは心地よくないかといえば,そうでもないからだ。

● 子供の頃は,させられる勉強のために鉛筆を使っていた(鉛筆は使わされるものだった)のに対して,今は自発性によっているからだ,というのも心地よさの理由にはならないような気がする。
 子供の頃は鉛筆しか使ったことかなかったから,他の筆記具と比べることができなかった。それゆえ鉛筆のよさがわからなかった?

● 一番シックリ来るのは,子供の小さな手では鉛筆を十全に取り扱うことが難しかったからというものだ。
 が,そもそも記憶が正しいとは限らないから,これ以上は考えないでおこう。
 今は,鉛筆に心地よさを感じるがゆえに常用している。心地いいと感じるのがなぜかは,依然としてよくわからない。

● 滑り具合,黒煙の黒さの程のよさ,といったところだろうか。黒々しい黒というのがインクの世界では流行っているらしいが,ぼくは好きになれない。重さを感じて鬱陶しくなる。
 万年筆を使っていた頃も黒インクは避けていた。ボールペンも然り。黒は可能な限り使わない。
 その点,黒鉛で描かれる黒は受けとめやすい。黒は黒鉛程度の濃さ(薄さ)でちょうどいいのだ。

● 鉛筆は日本で生まれたものでもないし,日本だけで使われているのでもないが,日本では鉛筆を硬筆と呼んだりする。
 日本の書道にあたるものは世界の各地にあるのかもしれないが(カリグラフィーはその範疇に入れたくなる),硬筆と言うのは言い得て妙だと思う。文字に濃淡や強弱を付けやすい。

● 万年筆でも同様にそれは可能だから,鉛筆だけの特徴にするわけにはいかないのだが,水分を含まないのに鉛筆には微かにしなる感じを受ける。芯は焼き固めているのだから,物理的にしなるはずはないのだけれども,径が2㎜もあると力の吸収力を持つのだろうか。
 シャープペンだと1.3㎜でもその感覚を覚えることはないから,2㎜という太さが必要なのか。あるいは,鉛筆の木軸がその役割を担当しているのか。

2025.05.10 SYSTEMIC からクリアカバーに替えて気分転換

● コクヨの SYSTEMIC は,ノートカバーの中で最も機能的というか,痒いところに手が届く配慮がなされているというか,さすがコクヨだと思わせる逸品だと思う。
 SYSTEMIC の良いところは,Campus ノートを測量野帳に変えるところだ(モレスキンに変えると言ってしまっては,Campus ノートに失礼だ。Campus の紙質はモレスキンほどひどくない)。表紙に厚みと硬さを与える。堅牢性も付与するような気がする。

● ぼくの場合は立って書くことはないので,ノートの表紙に厚みを加えることもないっちゃない。Campus ノートを測量野帳に変える必要はないわけだ。
 ただし,机やテーブルで書くときにも,表紙が厚く硬い方が書きやすい。立って書くなんてことはない人でも,SYSTEMIC を使うのはけっこうお勧めだ。

● ので,Campus ノートをずっと SYSTEMIC に装着していたのだが,気分を変えたくなった。
 ビニール製のクリアカバーに変更。軽快感が出る。しばらく,軽快感を優先してみることにする。

● 軽快感とは,見た目にもひと回り小さくなることであり,厚ぼったさが取れて薄くなることであり,Campus を丸めて掌に収めることができることだ。
 SYSTEMIC は表紙に厚さと硬さを与え,無線綴じの Campus ノートであっても手を離しても綴じないように机やテーブルに表紙を固定してくれるが(それでも中紙は浮き上がってしまうけど),若干容積を増やすし,分厚くするし,丸めるなんてことはできなくなる。

● 測量野帳のカバーもそうだが,このビニール製のカバーは意外に丈夫で長持ちする。ビニールってすぐに破れたりすり減ったりするイメージがあるが,今どきのは耐久性があるのだね。
 Campus ノートはあと20冊ほどあるのだが,このカバー1枚ですむと思う。カバーを買い足すことはないんじゃないかな。

2025.05.10 Xperia10Ⅲを使いだして,そろそろ3年

● スマホは Xperia10Ⅲを使用中。色はピンク。iPhone ではなくて,Android 派。
 昔,一度だけ iPhone を使ったことがあるのだが,2ヶ月で忍耐の限度を越えた。囲われてる感が鬱陶しい。

● 8月で丸3年になる。同じ機種を3年も使い続けるのは,ひょっとすると初めてかも。
 Ⅳが出てからⅢを買ったのだが,新古品で26,000円だったかな。

● 10Ⅲはカメラ機能に苦情が多いらしい。が,素人が 𝕏 にあげるだけの写真を撮るのに,機能を問題にすることはない。
 きれいな写真を撮ることに情熱を傾ける人もいると思うが,ぼくが写真を撮るのはメモ代わりのことがほとんどだ。写ってりゃいい。

● 次に買うのも Xperia10Ⅴで決まり。Ⅶが出てからⅤを買うことになりそうだ。
 Ⅴでスピーカーがステレオになった。ⅥはⅤからそんなに変わってないんじゃないか。Ⅶにも画期的な変化があるとは考えにくい。

● 最もリソースを喰うのはゲームだろう。ゲーマーの皆さんは1か5を買って下さい。
 ぼくくらいの使い方(𝕏 や You Tube を見たり,ちょこっとフリックでテキスト入力をする)なら,そもそも最新型である必要がない。記憶容量も128GBもあってはもてあますほどだ。

● もはや,パソコンやスマホに3万円以上出す気はなし。コモディティ化というのだそうだが,スマホはそういうものになった。職業や収入や年齢に関係なく,誰でも持っている。
 今日のフラッグシップが明日はあたりまえになる。そういうものに大金はかけられない。そもそも,大金なんてないけれど。

● 最新型を追っかけるマニアが昔はいたが,今もいるんだろうか。いたとしても,よほど少なくなっているのではないか。変わり者として白い目で見られる存在になっちゃってそうだ。
 変わり者は嫌いではないし,白い目で見られることを気にすることもないと思うが,自分がその列に並ぶことはない。おそらく,そういう人が多数派のはずで,ぼくもその多数派の一人という,つまらない話ではある。

● ちなみに,Xperia を携帯用の音楽再生プレーヤーとして使うことはない。専用機(WALKMAN)を使っている。
 が,自宅で音楽を聴くときには,Xperia からBTスピーカーに飛ばして聴いている。それ以外の聴き方をすることもない。そもそも,ぼくはCDプレーヤーもレコードプレーヤーも持っていない。
 

2025年5月9日金曜日

2025.05.09 ブログは消えるのか?

● So-net が3月いっぱいでブログサービスを廃止したことを,最近知った。So-net ブログを利用していた人は引っ越しに大わらわだったでしよ。
 テキストは問題ないはずだが,写真もまとめて保存できたんですかね。これができないと,引っ越すのは呪いたくなるほどに面倒だったはずだが。

● ネット上の無料サービスは突然なくなることがある。有料のものも同じ。Google のような大手であっても同様で,それは所与の前提としなければならないものだった。
 とにかくフロンティアを切り拓くようなもので,過去になかったものを出すわけだから,上手く行くかどうかなんてやってみなければわからない。使う側もそういうものだと覚悟して臨まなければならない。

● ネット上のサービスは燎原の火のごとく広まるのも速いが,消えるのも同様に速い。ダメとなったらあっという間にダメになる。
 日本企業の So-net は,悪く言えば素速い決断ができずに,ズルズルと現状維持を続けてしまったのだと思うのだが,それでも結局,ブログサービスを捨てることになった。

● ブログって時代から見捨てられてますかね。人様に読んでもらうためにではなく,自身のためにログを残すには 𝕏 より便利なんだけどね。
 𝕏 って昔のやつは読めなくなるからね。Twilog 併用が必須だけれども,𝕏 になった際に不安定さが浮き彫りになったしね。

● かといって,Facebook なんてノイズが多すぎて使う気にならんでしょ。Instagram もこれに準ずる。 
 ノイズが多いというのは,たとえばFBの友だちが彼の友だちにバースデーメッセージを出すと,それがこちらのTMにも表示されてしまうといったことね。それを防ぐ手立てがない。
 ああいうものは祝われる人にだけ届けばいいものでしょうよ。あの仕様は耐え難かった。今はどうなってるのか知らんがね。

● もうひとつ。広告という名のノイズ。しかも,個人情報を抜き取ったり,詐欺を働いたり,ウィルスをばら撒いたりする,かなりヤバいものでも,金さえ払ってくれるんだったら全部載せるよ的な拝金主義をザッカーバーグは体現しているのか,と思わせるようなところがあった。
 おそらく,反ユダヤ主義を助長するのに彼はひと役かったのではないか。

● 実際,ブログは読まれなくなっている。黎明期にはどうでもいい日記でも読んでもらえたろうが,今はそうではない。
 人様に読んでもらうことを第一義にするのであれば,ブログという選択はあり得ないものになっている。読んでもらえないのだから,アフェリエイトの手段にもならない。

● しかし,ブログは消えるかというと,そんなことはないとも思う。細々と残るだろう。少なくとも,現在まで生き残っている SNS サービスよりも長生きするのではないか。
 読まれなくてもいい,私は自分のために記録を残している,という人が,トータルすればけっこうな数に昇ると思うからだ。

2025年5月8日木曜日

2025.05.08 スマホが入力マシンに

● 𝕏 はもちろんスマホでやっているが,ブログの更新はパソコンでしかできないと思っていた。それのりに長い文章を書くことになるのだから。
 が,去年だったか,那覇に向かう飛行機の中で,このブログを1本更新した。

● 何だ,ちょっと面倒だけれども,スマホでやれるじゃないか。
 何度か繰り返すうちに “ちょっと面倒” の度合いが薄くなり,今ではスマホで更新するのが当たり前になった。

● パソコンは持ち歩く気にならないが(外国人は,女性でも,持ち歩いてる人がけっこういる),スマホはいつも持ち歩いているわけだから,ちょこちょこと入力を続けて,とりあえずの完成形に持っていくという使い方ができる。
 入力はパソコン,スマホは閲覧専用と思っていたけれども,外付けキーボードなしでも,スマホが入力マシンにもなっている。

● 実際,パソコンを起ち上げる機会は大きく減った。CDのリッピングや文書スキャナをつなぐことがなくなれば,パソコンは不要かもしれない。
 パソコンでは無理だがスマホならできることは色々あるが,その逆はそんなにない。

● Windows11 へのアップグレードがなかなか進まないらしいが,そもそもパソコンは昔ほど使われなくなっているのだろう。MS が Windows を更新するとパソコンの買い替え需要が発生して,業界が沸き返ったのはすでに遠い過去のことになった。
 企業や役所では今でも Windows パソコンが使われているのだろうが,パソコンは今や,会社でしか使われないものになりつつある?

● もっとも,だからこそ自分はパソコンを使う,というへそ曲がりがいて当然で,そういうへそ曲がりの中に大物が潜んでいるような気もする。

2025.05.08 忘れるために書く

● ブログや SNS に書くと,その内容をキレイに忘れてしまう。書いたことそのものを忘れることまであったりする。
 それで良いのだと思う。忘れるためにブログや SNS にログをまとめているという人が少なくないのではないか。

● 手書きで書いたものはどこかに残るような気もするが,それもブログや SNS と比べた場合の話で,“書くと忘れる” は一般則として認めていいような気がする。
 児童・生徒は憶えるために書くのであるが,大人は忘れるために記録するのだ。だから,何度も同じことを書くことにもなる。同じことを何度も思いだして,思いだすとまた書くのだから。

● もちろん,書いたのだからこのノートの山のどこかにはあるはずだ,という信頼を自分自身に対して抱けるから,心安らかに忘れることができるのだ。
 であれば,全文検索できた方がいいから最終的にはデジタルにしておくべきではないかというと,さにあらず。

● 書いたものの大半は忘れてしまっても,忘れたままでいても,差し支えないものだからだ。ブログやSNSにしても,自分が書いたものを検索することはあまりない。
 手書きのノートにしても同様で,後で検索しやすいようにと施すアレやコレやの工夫の大半は,それ自体が余計なものだ。

● 書きっ放しにするのがいい。読み返す必要もない。いや,読み返してもいいのだが,読み返さないことを反省する必要はない。
 書いたことはキレイに忘れて,脳内メモリを記憶に用いることを防げれば,書いた甲斐があるというものだ。忘れていいものを忘れるためにこそ,書くのである。

2025.05.08. 文具の広告を見るのが楽しい 2

● 広告で上手いのはパイロットだと思ってますが,パイロットからはジュースアップの2つを。
 勉強の成果を出すのを「ゆるーく応援」してますよっていうね。頑張らないとね,お勉強をね。

● ゼブラからはマイルドライナーの広告。これも人気があるらしい。
 ぼくは使わないんだけれども,マーカーは画材にもなるらしいし,暗記すべきところを強調するのにこんなにいいものはないだろうから。
 ぼくが受験生の頃にはなかった気がする。アンダーラインという言葉がありましたよ(今でもあるんだろうけど)。赤や青の色鉛筆でアンダーラインを引くのが一般的だったような記憶がある。塗りつぶすことはなかった。そのための道具がなかったと思うんだよね。

● 次は三菱鉛筆。どこかの紙製品メーカーと組んでのものですかね。
 これは受験生や勉強中の生徒に向けてのものではなくて,すでに社会人になった人たちに宛てているようだ。たいていの男たちは色には鈍感だろうから(よく言えば,質実剛健),女性に訴えているんでしょう。
 パステルカラー人気は今も続いているようだ。これはパステルカラーというより,全体的に白っぽいという印象なんだけど。

● サクラクレパス。これはゲルインクのリフィルですか。ラメ感って乙女たちに響くんですかねぇ。乙女をとうに過ぎた年齢の女性にも響くんだろうかな。
 ぼくはリアルの女児が使いかけにした鉛筆をメルカリで買って使ってるんだけど,鉛筆の塗装にもラメを入れたのがあるんですよね。使うのがちょっと楽しみなんだけど,さすがに新品のラメ鉛筆を買う気はしないよね。

● 学用品の売場にはこんなのもあった。これはサクラクレパスの製品ではなくて,シードの消しゴムだったり,某社の鉛筆なのだが,サクラってこういうのに都合のいい社名だな。
 神頼み,縁起かつぎは,当然,受験生とその親に宛てたもの。これはもう鉄板でしょうね。太宰府天満宮をはじめ,いろんな神社が合格鉛筆を出してるもの。メーカーにとっても一定の需要をあてこめる,ありがたい習俗行事なんだと思いますよ。受験ってね。

● 神頼みや縁起かつぎから超然としていられる人はそんなに多くない(と思う)。自分も超然としたいられるほど強い人間ではない。超然人間に憧れはするけど。受験なんて案外どうでもよかったものだと気づくのは,歳を重ねた後のことだ。
 五角軸の合格鉛筆も,ぼくが受験生だった時分にはなかったものだ(あったのか)。そういうものを買った記憶はないから。もしあれば,1本くらいは買っていたと思うわ。

● 次は紙製品からいくつか。これはコクヨ。
 写真では隠れてて読みにくいが,「デキる大人は使い分けている。」というコピーが添えられている。本当かねとまず思うけど,売る側の立場になって考えてみなさいよってことね。
 それでも,ぼく一個は使い分けるなと言いたいが。

● トラベラーズノート。「旅を愛するすべての人たちへ」というコピーが入っているこれは,広告と意識することもなく文具店でしばしば目にしている。
 旅を愛する人たちは少なくないだろうし,自分は旅を愛する人間だと思っている人たちはもっと多いだろうから,トラベラーズノートという命名自体が上手いなぁと思う。やられましたって感じ。ロゴもいいじゃないですか。

● これはデルフォニクスのもの。「旅するロルバーン」。
 中紙を入れ替えられるロルバーンは以前からあったと思う。それを旅に使ってねと持ってきた。やっぱ,「旅」ってアピールするんでしょうねぇ。

● ぼくも「旅」の記録は残すことにしているが,ノートではなく手帳でやっている。それをするために,無地のリフィルをいくらでも差し込めるシステム手帳を使っている。
 トラベラーズノートの提唱する,旅するように日常を生きるのに最も合ったやり方は,専用のノートを用意することではなくて,手帳をそのために「も」使うことだと考えている。

● ミドリのMDノート。「書く」を愉しむ。最高の境地でありましょう。
 愉しむのに高価なノートを使う必要はない。愉しみを阻害するような劣悪なノートでは困るけれど,そんなノートは百均でも置いてない。
 MDノートも何冊か持っているが,まだ使うに至っていない。そのときを楽しみに待つとする。

● その他。手帳を使うか使わないかの違いは,人生に何らかの差異をもたらすかもしれないが,どの手帳を使うかによって幸せになったり望みが叶ったりということは,まずまずないでしょ。
 手帳の解説本も多いが,その理由は手帳に過度な期待を持つ人が多いからじゃないかと思うこともある。写真にあるコピーを見ると,愚民ビジネスという言葉が頭をかすめたりもする。

● 「貼る」と「書く」を同居させられるのが紙のいいところ。デジタルだと写真にして載せるしかない。現物はネットに載らない。
 逆に,現物を保存すると,とにかくかさばる。重量のあるものがどんどん重なっていく。ため息とともに,それらを眺めることになる。

● カラースタンプペン。どんなものか,おおよそ見当はつくけれども,手に取ることはなさそうだ。
 現在の文具の扱われ方の潮流を作っているのは女性だ。開発する側も女性が増えているに違いない。ぼくのような人間は文具の開発はとてもできない。

● 付箋といえば,今でもポスト・イットが代表なんだろうけど,付箋の使われ方も,雑に言えば,多様化しているに違いない。
 ぼくなんぞは隠居の身だから,そのあたりの実態を垣間見る機会もないのだが,若い女の子たちはどんなふうに使っているのかね。メーカーはそういったことにも目配りして,新製品を開発してるんでしょうな。

● ハサミこそ,女性のフィールドに属するもの。男たちの多くは,単純な切り貼りにしか使っていないだろう。
 そのくせ,切れ味がどーだ,持ち具合がどーだ,バランスがどーだと,利いたふうなことを抜かす。黙って使ってろ,このボケがッと言いたくなりませんか。