2025年11月5日水曜日

2025.11.05 鉛筆はカールの Angel 5 で削っているのだが

● 鉛筆を使うようになってそんなに長くはないのだが,当初は1ダースまとめて削って,取っ替え引っ替えして使っていくのがいいと思っていた。削る時間を最小限にするには,まとめて削った方がいい。
 が,それは自分の集中の継続力を過信したやり方であることに気づくのに,そんなに時間を要しなかった。

● 今は3本をユニットにしている。ハンドルをクルクル回して鉛筆を削るのも乙なもので,削れることが鉛筆の魅力の1つだと思うに至っている。
 鉛筆削り器のメインはカールの Angel 5。他に,Faber-Castell の鉛筆削り器も持っているが,三角太軸やドイツ製の JUMBO 鉛筆を削るためのもの。めったに使うことはない。

● Angel 5 で削ると,送り装置の鉛筆を挟み固定する箇所に歯型が付く。これを嫌がる人が多いだろうことは想像がつく。
 そこでメーカーは,その部分にゴムを巻くようになった。おかげで歯型は付かないようになった。

● しかし,鉛筆削り器で最も劣化が早いのはそのゴム。ゴムだけ簡単に交換できればいいのだが,構造上難しいのだろう。
 ゴムの寿命が鉛筆削り器の寿命になった。高校生の時に Angel 5 を買っておけば,たぶん一生保つのじゃないかと思うのだが,ゴム付きの歯型の付かない鉛筆削り器ではそうはいかない。

● 製品寿命が短くていいとなれば,筐体はオール樹脂でよく,刃も中華製でいい。値段も安く,重量も軽くできる。
 結果,そういう鉛筆削り器が市場を席巻することになった。

● それが悪いとは思わない。ひとつの選択肢としてあって当然だ。ひょっとして,人は一生モノなんて望んでいないのかもしれないしね。
 一生モノはずっとその人を縛ることになるからだ。人の側からすれば縛られることになる。そんなことを人は望むだろうか。

● だが,しかし・・・・・・鉛筆に歯型が付くのがそんなに嫌かね。ぼくは全く気にならないんだが。
 ぼくはできるだけ補助軸を使いたいので,3分の1も使えば補助軸を装着することになるしねぇ。

2025年11月3日月曜日

2025.11.03 A6 ノートカバー

● A6 Campus を鋭意使用中(?)なんですけどね。カバーもいくつか持っておりまして。
 使わないでとっておいても仕方がないので,Rollbahn のものを使ってみることにしました。いつだったか,Ecute 品川の Smith で買ったもの。

● ペンホルダーが付いてるんですね。こういうものは基本ない方がいいんですけどね。段差を作っちゃいますからね。末尾に近づくと書きづらくなるでしょうね。
 強いていうと,ペンホルダーとしてではなくて,栞の代わりになるかもしれない。書き差しのページに潜り込ませておけば。中紙48枚のノートにそんなものは要らんのですがね。

● でね,1日も経たないうちに,コクヨのクリアカバーに戻しましたよ。差込み口の幅(長さ)を始め,アソビの設定が絶妙なんですな。痒いところに手が届くのはコクヨの方。Campus に特化してるんだから当然?
 カッコいいのは DELFONICS なんでしょけど,表紙の意匠を見えなくしちゃうのも難。カバーは基本,透明ビニールでいい。

● 安い Campus を革カバーに挿しても意味がないしね。安いものを高級品に見せるってこと,今の人はたぶん,しないんじゃないかな。
 あの発想は,貧困社会が前提にあって何とか成立するものだものね。世の中には革好きもいるから,全部が全部,そうではないんだろうけど。

2025年11月2日日曜日

2025.11.02 連用日記への熱が消えた件

● 11月29日。ここ数日気になっているのが,連用日記に再びトライするかどうか。万年筆で書く機会を作りたいというのが,主な動機だ。
 新規にノートを増やす必要はないから,手持ちのノートを使ってやりたいのだが,宇都宮駅ビル(パセオ)の八重洲ブックセンターで髙橋の10年手帳を見て,ちょっとそそられた。
 A5サイズで1日あたり3行の筆記スペース。このくらいがちょうどいい。10年分の月間計画表も印刷されている。これも使えそうだ。

● が,見送った。連用日記に再挑戦するという決心がつかないためだ。
 自分が挫折したからか,こういう10年日記帳や5年日記帳を買って,最後まで続く人はさてどのくらいいるのかと思う。半分くらいの人は最後まで続くんだろうか。
 いや,そんなにはいないだろうな。2割程度か。そんなにもいないような気がするが。

● が,続かなそうだからやめておくというのはダメだろう。続くか続かないかは,やってみなければわからない。
 続かないのも一興だと思うくらいでちょうどいい。この10年手帳,買ってみるか。

● 11月31日。また,パセオの八重洲ブックセンターで髙橋の10年手帳を手に取ってみた。連用日記を再開するとしても,それ用に作られた日記帳は使いたくないなと思っていたのだが,この髙橋の10年手帳を見ると,これを使うべきかなという気がしてくる。

● これを使った方が,途中で挫折する可能性を低くすることができるのはないか。A5サイズで,1日3行という分量もちょうどいい。
 連用に特化したレイアウトになっているから,普通のノートを流用するより使い勝手がいいのは確かだろう。

● しかし、今日も購入は見送り。こうした連用日記に何を書けばいいのかも決まらない。ピントが合わない状態だ。
 参考になるのが,作家が出版することを念頭において書き続けた日記かなと思って,岩波文庫の永井荷風『断腸亭日乗』をパラパラと読んでみたのだが,人との関わりがメインのようなんだな。こうこうこういう約束だったのだが,実際に行ってみたら違っていた,といったことだ。
 交遊のエピソードが多い。仕事を含めての交遊を書いている。内的独白というものではない。
 ぼくはと言えば,仕事もなければ友人もいない。文豪のようなことは書けない。

● 帰宅して夜になったら,連用日記への熱が嘘のように冷めてしまった。ここ数日の胸騒ぎ(?)は何だったのだ思うくらい,サッと消えた。雲散霧消した。
 筆記シーンを増やそう,万年筆を使う機会を作ろう,というのは何だったのだ?
 来年も鉛筆と Campus ノートしか使わない筆記生活を継続することになりそうだ。それはそれで全然悪くないのだが。

● 11月2日。連用日記熱は完全に冷えた(またぶり返すことがあるかもしれないけれども)。今のままでいいやという気分になってしまった。
 これだけ詳細に日記的雑記を書いて,それを全部保存しているのだから,必要があれば3年前,5年前の該当月日のところを読み返せばいいだけだ。
 といっても,面倒だからという理由でぼくはやらないと思うんだけども,ログは手帳に残している。手帳ならさほど面倒さを感じずに,5年分を並べることができそうだ。

● あえて連用日記まで書かなくてもな。数年前に挫折したのも同様の理由だった。
 今回,急に熱が冷めたのも,この状況が変わっていないからか。

2025年10月30日木曜日

2025.10.30 道具自慢

● 27日には東京駅地下のトラベラーズファクトリーで色々ピックアップしてなお物色中のオジサンを見かけた。「あんたも好きねぇ」と思ったものだった。
 揶揄しているのではなくて,よかったねぇと言ってやりたい気分の「あんたも好きねぇ」だ。同士愛が基底にある。

● 世の中にはトラベラーズノートファンもいれば,ロルバーンのファンもいる。ほぼ日フリークもいる。ひとりで全部背負っている紙ものフリークも多いだろう(特に女性)。
 その言い方をすると,ぼくはコクヨフリークであり,鉛筆フリークということになる。横並びだ。たまたまコクヨと鉛筆だったというだけのことだ。トラベラーズノートフリークやロルバーンフリークと同じ土俵に立っている。

● トラベラーズノートとロルバーンには製品自体に発信力があるように思う。個性的だし,適度にとんがっているし,嫌いな人は使ってくれなくてけっこうという割り切りもある。
 その点,Campus は万人受けするというか,これぞノートという趣があって,しかも圧倒的に売れているから,誰でも知っている。ありふれている。それゆえ,商品じたいの発信力はあまりない。

● Campus を使っていると申告しても,あっ,そう,で終わるだろう。その点,ツバメやアピカならば少数派のこだわりを伝えることができる。
 ぼくが使っている道具に何の面白味もないとしても,それは結果としてそうであるだけで,ぼくの知ったことではない。

● 自分のスタイルは人様の眼を惹くようなものではない。小学生と一緒なのだから,カッコいいもないし,素敵ですねもない。最低限だし,アソビやお洒落もない。
 あるとすれば物量だ。こんなに消費してるんだよ,という。いや,使っている方だと思うんですよ。A6 Campus を月2冊使ってるんだから,多い方でしょ。使い方や消費の効用は問わないでくださいよ。

● それを自慢したのではが嫌味になる。が,𝕏 で最も多いのは道具自慢だ。金額や稀少性の自慢もあれば,たくさん買ったという自慢もある。自慢しているという意識はないかもしれないが。
 ぼくも同様であって,こんなに書いてるよという自慢なってしまう。過ぎないのが華というものだろう。

● 人と比べても仕方がない。𝕏 でも人と比べるのではなく,自分はこうだよというのを発信すればいい。
 SNSだと人と比べる楽しみというのもあると思うのだが,比べるのはいいとしても,張り合っちゃいけない。ここ,大事なとこだな。

2025年10月29日水曜日

2025.10.29 出先に鉛筆を携行するのはやめる。その理由は・・・・・・

● 出先には鉛筆3本を持ち出してるんだけども,携帯用の鉛筆削りで削るのがどうもイヤになって来て。慣れの問題だとは思うんですけどね。
 ナイフで削ればいいか。ダメだ。削りカスをどうする? 風がある戸外で削れるか? そんなことは滅多にないだろうが,可能性がゼロではない。

● ので,次からは鉛筆をやめて,北星の「大人の鉛筆」を持ち出すことにする。芯研器も北星純正。
 クルクル回す方式の STAEDTLER の芯研器の方が削ってる感があっていいんだけど,筆箱に入れたままだと,芯粉がこぼれるんだよね。北星のは蓋で閉じるからその心配がない。
 いや,もちろん STAEDTLER の芯研器も蓋はするんですよ。が,削り穴から漏れ出すんだな。北星のは密閉なのでね。

● 替芯(5本入り)はヨドバシで173円で買える。お安いこと。
 が,替芯は買わない方針。とにかくあり過ぎる鉛筆を消費しないとね。で,鉛筆の芯を流用する。

● 鉛筆をひと晩水につけておけば引き出せるらしい。ということはつまり,筆記具として頑健無比の鉛筆でも水に浸かっちゃいかんということね。
 洪水被害にご用心だな。といっても鉛筆は安いからまた買えばいいだけではある。
 鉛筆は「大人の鉛筆」より長いので,この作業は鉛筆をある程度使ってから行うべし。ここだけご用心。

● 要するにですね。これ以上,文具を増やすのはイヤだということですね。手元にあるものをできるだけ消費して少なくしたい。
 使うために買ってるはずなんですよ。愛玩するためじゃない。
 これくらいなら使えるだろうという線引きがめちゃくちゃ甘かったというだけです。甘かろうと何だろうと,“買ったからには使う” の方針は堅持しないとね。

2025.10.29 古い鉛筆に反応しなくなった

● 使ったことのない古い鉛筆がお手頃価格でメルカリに出ているのを見つけても,反応することがなくなりました。望ましい傾向だと思っとります。
 鉛筆なんざ(鉛筆に限らないけれども)現行品を使えばいいんですよ。

● そりゃそうでしょう。何のために書いてるんですか。書くために書いてるんじゃないでしょう。
 弘法筆を選ばずではないけれど,道具に過度にこだわるのは衰弱に通じるでしょう。あまり道具を気にするのは,書くことに集中できていないからじゃないですか。

● が。ぼくの場合は,手書きが趣味と言えるところがあって,まさに書くために書いているのかもしれないんですけどね。何をどう書くかは二の次ということね。
 同様の病を持つ人がいるかもしれない。だから,現行品を使えばいいんですよと突き放した言い方をするのはどうかとも思うんですけどね。

● いろんな鉛筆を書き比べてみたいというのもわかるつもりですよ。自分にもその気があるから。
 いろんな時代のもの,外国のもの,マイナーなメーカーのもの,を使ってみたい。書き味を確かめてみたい。別に何も悪くない。誰に迷惑をかけるわけでもない。自身のお金と時間をどう使うかは,百パーセント自身が決めていい。

● しかし,その上でなお,道具に入れ込みすぎるな,と言いたい気分がある。何のために書いているのだ? 道具を使い比べるためではないだろう。
 これがないと書けないなどと言い出すのは道具依存の最たるものだが,たかが書くのに「これがないと」はないだろう。
 それほど道具にこだわるに値するものを自分は書いているのか。書けりゃ何でもいいんじゃないか。その程度の謙虚さは持てよ。

● とはいえ,ぼくの場合はすでに手遅れ。いくら何でもこれ以上増やしちゃダメでしょ,となってから,やっと反応しなくなる。遅すぎる。
 3年後か10年後かはわからないけれども,いずれ処分しなくちゃな。こんなのを残しては遺族の手間を増やすだけだ。もらってくれる人がいればいいんだけども,まずいないでしょ。

2025年10月28日火曜日

2025.10.28 手書きの楽しみを味わうための最低限

● 相方に従いて銀座に来た。三越の地階で黒糖パンを買いたいのだという。
 彼女の買物につきあうのはこれが初めてではないが(というか,毎日,スーパーにつきあわされている),彼女にとっての銀座とぼくにとっての銀座は全く別物であることをあらためて実感した。

● ここまで来れば伊東屋がすぐそこなのだが,相方は伊東屋でぼくを解放してくれる気はなさそうだった。ので,1階にあるカランダッシュの筆記具を収めているガラスケースを眺めただけで帰ってきた。
 カランダッシュはけっこうなお値段だ。そういうものをぼくが買うことはない。

● メルカリで使いかけの鉛筆を買って,ノートはコクヨの Campus を使っている人間だ。良く言えば質実剛健。遊びを排している。厳密に言えば,鉛筆にも Campus にも遊びはあるのだが。
 小学生が使うものを自分も使うという方針だと言うと,カッコつけすぎになる。要するに,高いのは買わないということだ。カランダッシュのやうな装飾性のおる大人の筆記具はぼくには無縁なものと心得ている。

● これは貧しさに通じるだろうか。ぼくの筆記生活(?)はけっこう以上に貧しい,と。
 言えるかもな。ムダがないのであるけれども,要はケチだからだ。ぼくが使っているノートや鉛筆には,そのケチさ加減が現れているかもしれない。
 いつだったか,自動車のディーラーに行ったときに,整備担当の社員がトンボ2558で紙に書きながら説明してくれたのだが,そのときの2558はカッコよく見えた。ぼくがノートと鉛筆を使っているところを見て,鉛筆がカッコよく見える人は,たぶんいないんじゃないかな。

● 優雅な佇まいは皆無のはずだ。文具はアクセサリー的な性格も持つ。特に,アクセサリーを身に付けない男性諸氏にとっては,筆記具で自分を装飾するのは楽しいことであるかもしれない。
 筆記具に凝るのは男で,紙ものに凝るのは女というイメージがあるのだが,筆記具は男性にとってアクセサリーでもるからだろう。

● ところで。この違いも性差に数えていいものだろうか。
 だとすると,筆記の快適性を左右するのは筆記具ではなくて紙の方だろうな。快適性の実現は女性の方が長けているとしたものだよ。

● あと,筆記具は男性にとっての武器でもあるんだろうね。性能のいい武器を手にしたいとどこかで思っているはずだよね。
 ぼくも若い頃はその指向性があったから,このあたりの機微は理解できるつもりでいる。が,現在はそうした虚栄(向上心とも言うか)からは解放されている。そのことを寂しいと思う気持ちも時々顔を覗かせる。

● が,今後,そちらに行くことはないと思う。基本,鉛筆と Campus でいい。いや,それがあらまほしい。
 手書きの楽しみはそれで充分に味わえるわけだから。そこに何かを付け加える必要はない。

2025.10.28 連用日記に再挑戦する?

● 連用日記について。普段書いている日記的雑記との棲み分けが難しいとの理由で,手を出さないことにしてるんだけども,別の理由で食指が動いている。
 鉛筆だけではなくて,以前のように万年筆やサクラのピグマで書いてみたくなることがあるのだ。そのための筆記シーンを作るかな,と。鉛筆は今までどおり使い続けて,それとは別に万年筆を使うシーンを作りたい。

● ただし,連用日記用の日記帳を買う必要はない。普通のノートを使えばすむ話だ。
 ノートならいろんなのが売るほどある。要は頁数が366頁あればいい。2冊に分けてもいい。

● 渡邊製本の SEVEN SEAS BUNCO は384頁ある。ちょうどいいかもしれん。
 1日あたり4行程度の筆記スペース。これまたちょうどいい分量だ。

● あるいは,モレスキンのラージ。240頁ある。真ん中に縦線を引いて,1頁に2日を割り当てる。ラージだと,分量的にもそのくらいがちょうどいい。たくさん書くわけではないのだから。
 恥ずかしながら,モレスキンもラージ,ポケットともに相当量を保有しちゃっている(ああ,恥ずかしい)。使わなきゃしょうがない。
 いや,モレスキンならミディアムがいいか。208頁。前後期に1冊ずつ割り当てる。2冊使えるな。
 唯一の不安は,モレスキンの強度で連用日記の用に耐えるかという点。

● が,どうするかまだ決めかねている。一度,失敗しているのでね。
 当時と状況が変わっているわけではないから,同じようにやればまた同じように失敗する。

● 万年筆を使いたいというのが,どれほど本気で,持続するものであるかってことだな。
 わがことながら,それほどのものでもないような気がする。となると,やっぱやらないかな。

2025年10月27日月曜日

2025.10.27 測量野帳を探しに

● 原宿に移動して「Think of Things」。測量野帳を3種購入。左から,1,100円,880円,550円。 
 550円のはすでに持ってるような気がするが,在庫管理をしてないから,判然としない。

● KO KU YO の文字をデザインした野帳が壁に展示してあった。じつはこれが欲しかったんですよ。

 これは売り物じゃないですよね。

 申しわけありません。売り切れてしまったんですよ。

 そうですか。

 でも,時期は未定ですが,再入荷の予定はありますよ。

 品川にもないですよね。

 品川キャンパスでも扱ってますが,そちらの在庫状況はこちらではわからないんですよ。

● というやり取りがあってね。というわけで,コクヨの品川キャンパスへ。で,こちらには残ってました。ルンルン。
 色と文字の配置なと細かいデザインの違いで,全部で何十種かあるんだけども,好みのものを選んで買うことはできない。銀色の袋に入っていてね。何が出てくるかは開けてみてのお楽しみということなんですよ。

● これも1冊1,100円もするのでね,あるだけ全部買ってくるなんてことはできませんわ。
 2つ買ったんですけどね,開けてみたらこんなのでした。赤が欲しかったんですけどね。
 300円のガチャのようには行きません。この2冊で良しとします。そうするしかないからね。

2025.10.27 日本文具資料館

● 浅草橋の日本文具資料館に来た。住居表示は柳橋になる。最寄駅が浅草橋。黄色い総武線が停まる駅ね。
 ここに来るのは3回目。が,前回は休館だったので,展示を観るのは2回目。

● 感じたことは2つ。散逸を防ぐためにはこうした博物館は必須だということ。個人が史料になるような貴重品をいつまでも抱えていてはいけない。
 もう1つ。博物館は観る人を選ぶということ。ぼくも文具好きで,文具に関する知識は世間一般の水準より少し上だと思うのだが,手も足も出ないというか,歯型もつけられないなと思う分野が多々ある。

● 博物館は何かを教えてくれると言うよりも,自分で自学自習するキッカケをくれるところなんでしょう。
 が,そのキッカケを得られる人と得られない人がいるわけで,博物館に来る前に,ある程度の自学自習はやっておくべきなんでしょうな。

● 最初に金印のレプリカ(純金製)が出迎える。インパクトはあるが,展示の仕方はこれでいいのか。
 徳川家康や伊達政宗の鉛筆のレプリカもあるが,内部がちょっと暗くて,細部がよく見えない。こちらの老眼の問題か。

● ここに展示されているもので自分も持ってるのがある。ゼブラのミリペンだ。
 これは展示に値するものなのか。極細サインペンの嚆矢になったんでしょうかね。ミリペンって,今は一般名詞になっているからな。

● 現存する文具メーカーの宣伝機関という側面が全くないわけではない。運営主体を考えれば,純粋な学術機関になれと言うのは無理な注文かもしれない。
 が,宣伝臭が鼻につくことはない。文具の歴史をザクッと辿ることはできそうだ。ザクッとね。

● 電卓を含めた計算機と算盤の展示が多い。筆記具に偏っているわけではない。明治期のノートもある。
 各年代を万遍なくフォローしているわけではない。古代と近現代は豊富に展示しているが,中間があまりない。仕方がないと思うけれども。
 つまり,中間は遺物自体があまり残ってないんじゃないか。画期となる製品がないんですかね。

● 今行くと,記念のボールペンがもらえるよ。こんな安物要らねーや,なんて言わないでもらってくださいね。記念ですからね。

2025.10.27 ANGERS と CanDo

● ANGERS 丸の内店に来た。欲しいものはないんだけども,何か買いたい。“買う” という行為をしたい。
 で,こんなのを買いましたよ。909 Ceres。アメリカの鉛筆ね。

● メーカーの「Musgrave Pencil Company は,アメリカの鉛筆産業の全盛期,1916年に設立され」たらしい。紆余曲折を経て今に至っているのだろう。
 目視だが,芯の組成も軸の貼り合わせ方も塗装も,国産鉛筆に比べるとずいぶん雑。国産が過剰なのかもしれないけどね。

● BLACKWING に話が飛ぶ。あれは日本メーカーが白木の鉛筆の状態でアメリカに送り,アメリカで塗装と消しゴムの取り付けを行って,各国に輸出しているのかと思ってたのだが,違うね。
 BLACKWING の塗装は日本のものだな。消しゴムの取り付けも日本でやってる? 最終製品にするところまで日本でやってるね。

● もうひとつ,ロディアのメモパッド。使い捨てのメモにロディアを使うなんて贅沢を,ぼくのような人間がやっていいのだろうか。
 しょうがない。何でもいいから,何か買いたかっただけなんで。

● ま,ロディアって世評ほどにいいものかね,とも思ってるんだけどさ。
 ロディアの No.11 よりオキナのプロジェクト・ペーパーのA7の方が良くない?

● 東京駅地下のトラベラーズファクトリーに立ち寄ったら,リフィルやらタグやらシールやら,ごっそり抱えて,さらに物色を続けている人がいてね。お金持ちなんだなぁと思ったことでしたよ。遠方から来たのかもしれないね。
 今日は,珍しくガイジンがいなかった。

● 次は,CanDo 丸の内オアゾ店で写真の4点を。コナンのアクリルスタンドだけ440円。まぁ,これは文具には入らない。
 彫刻刀は短くなって手削りするようになった鉛筆の最後の最後,削り面を水平にする(芯に対して直角にする)ために使おうかと思って。そんなことをほんとにするかどうかはわからないけどね。

● つけペンセットを使うことはない気がする。何となく気になったので買ってみた。
 ディズニーのメモパッドはね,メモパッドなんてこれで充分だよねということで。ミッキーの表紙はビニール製のケースに紙を差し込んでいるだけで,メモパッドの1枚目(表紙)ではない。

● 100円ショップに来るたびに思うことだが,文具はここで揃う。紙質がどう,耐用年数がどう,微妙な使い勝手がどう,と色々言いたがるが,アンタがやってることなら,100円ショップで売ってるやつで充分でしょうよ。紙質や耐用年数なんて高次元の話は,要らぬお世話じゃないのかい。
 まして,丸の内オアゾという場所柄か,華やぎもあるし,売場面積も広い。充分に祝祭空間になっている。買物の愉しさも味わえる。

● ところで。百均製品の供給国は依然として中国がメイン。中国が経済成長を遂げ,人件費が上昇してくると,百均製品の供給国も中国からベトナムやバングラデシュに移行するのだろうと思っていたのだが,今のところ,そうなっていない。
 最近の中国は不動産バブルが弾け,西側から切り離しを受けて,経済はズタズタになったか,なりつつあるか,今後なる。

● 世界はインフレで推移するが,中国だけはデフレだ。西側に輸出できなくなると国内で消費するしかなくなるが,生産量は国内消費量を大幅に上回っている。かといって,生産を縮小するなどできるはずがない。
 中国は各国にデフレを輸出してきたと言えるが,その輸出分が国内に滞留することになる。中国からのインバウンドは放っておいても減る。

● 百均製品はもっと高品質でもっと高機能のものが増えるかもしれない。DAISO や Seria にとっては,中国を買い叩く好機到来ではないか。
 逆に,中国を消費市場と捉えていた企業は大打撃を受ける。少なくとも,今後50年,中国に明日はない。
 そうした動きは人智を超えるところがあって,読み切れるものではないが,これからどうなっていくのか,こちらは高みの見物を決め込めばよいだけだ。

● 丸善丸の内本店にも行ってみた。大阪万博のミャクミャクグッズを販売しているコーナーがあってね。A6ノートもあるかな,覗いてみるか,と思ったんですけどね。入場規制なんてのをやってたんで,やめときました。規制されてまで買う理由はないぜ。
 いや,理由があってそうしているのはわかるんですよ。わかるんだけれども,規制されてまで買う理由はないな,やっぱり。

2025.10.26 ツタンカーメンの測量野帳

● 横浜みなとみらいで「MYSTERY OF TUTANKHAMEN−体感型古代エジプト展」が開催されている。行ってきた。
 というのは嘘。展覧会は観ていない。

● エジプト文明にもプラミッドにもナイル川にも1㎜の興味もない。高校の世界史で習った知識で充分だ。それ以上に知りたいとは思わない。
 1㎜の興味もないというのはそういう意味ね。

● けど,会場には行った。その展覧会のミュージアムショップに行ってきたんですよ。
 なぜなら,記念野帳が販売されているから。その野帳を買うためだけに行ったんですよ。

● 今日は天気が悪くてね。傘を持って家を出たんだけど,案の定,途中でなくしてきた。傘を持って出て,その傘を家まで持ち帰れたことは,一度もないとは言わないけれども,かなりの僥倖に恵まれた結果だ。とにかく傘は持ちたくない。
 桜木町駅からは傘なし。土砂降りではなかったんで,傘なしでも何とかなった。

● で,買ってきましたよ。880円。レギュラー野帳は286円だから,ツタンカーメンの箔押しが600円ってことね。調子こきすぎてないかと思いましたよ。
 色違いで4種あった。せっかく来たんだからというわけで,しかも雨の中を傘も持たずにね,全色買いましたよ。1つでよかったかもね。

● 他に,鉛筆やボールペンもありましたけどね。買いませんでしたよ。クソッタレのボッタクリ価格だろうからねぇ。
 つっても,入場料だけで費用を賄えるわけもない。グッズ販売でコスト回収に努めなきゃいけない。利益も出したいしね。

2025年10月24日金曜日

2025.10.24 連用日記

● メルカリのおすすめに5年日記が出てきてね。 
 小説家が出版を前提に書いた日記をいくつか読んだことがある。◯◯なり,と結ぶ文章を自分も書いてみるかと思うが,それを迂闊にやるとバカ丸出しになるのでね。とりあえず,自分のバカは隠しておこう。

● それよりも,これ,一度試みて挫折してるんですよね。3年目で挫折した。
 毎日どうでもいいことをノートに書いている。勢い,日記的雑記になるわけですよ。その他に連用日記に何か書こうとすると,何を書こうが,同じことをもう一度書くことになる。
 耐え難かった。よく3年も我慢したものだ。

● 日記的雑記のダイジェスト版を作るのはもっとつまらない。その日の動きを書くのは,手帳とダブる。ログは手帳に残しているので。
 というわけで,連用日記に独自の役割を持たせる方途が見つからない。

● うまく棲み分けができるといいんだけれども,連用日記を書くためにどう棲み分けるかを考えるのも本筋じゃないような気がする。
 同月同日の過去5年分が1ページにまとまっているのは,なかなかいい感じなんだけども,その “いい感じ” を手に入れるための代償が大きすぎては何をしているのかわからない。

● これって,表示の問題だから,デジタルの得意とするところでしょ。書くときは連続した1日単位だけれども,3年,5年,10年単位で同月同日のものを並べて表示できるようなアプリがたぶんあるんでしょ。
 とは言っても,日記をそっくりクラウドにあげることには心理的な抵抗がありますわね。そんなことをしたら,逆に綺麗事しか書かなくなりそうだ。他者の眼を意識しちゃうでしょ。

● 日記は紙に限るということでしょう。紙に書いたって,自分をさらけ出すことはなかなかできるものではないのだけど。自制がエンジンブレーキのように作動してしまうからさ。

2025.10.24 Seria で保存用のバインダーを買う

● 那須烏山市の「ベイシア」に入ってる Seria でお買い物。A4のレバー式ファイル2冊。これは「TRAVELER'S TIMES」を保存するため。
 スキャンして本体は捨てていたんだけども,「TRAVELER'S TIMES」は本体を残しておくことにしようと思って幾星霜。
 2穴バインダーに綴じてるだけど,こっちに乗り換えるかな,と。めくりやすいでしょ。

● ぼくはトラベラーズノートのユーザーではないし,一連のブラス製品にも若干否定的な見解を持っているのだけれども,それはそれ,これはこれ。

● あと,A5 6穴バインダー。A5システム手帳を使っているので,その保存用。
 手帳をトラベラーズ手帳にしているので,保存用バインダーは年に2冊必要。

● ダイソーで同じものを10冊買っているのだが,所々に違う色を挿した方が見やすいかなと思ってね。
 Seriaではクラフト製のも出してましたよね。今では見なくなったけど,青森市のさくらの百貨店に入っているSeriaに2冊残っていたので,今年はそれを使ってますわ。

● ちなみに,A5システム手帳というのも,Seria の週間バーチカルをバラして,パンチで穴を開けて,なんちゃってシステム手帳に仕立ててるんですけどね。
 手帳は全面的に百均依存ですよ。老いぼれにはそれで充分なんですわ。お高い手帳は然るべき人たちに使ってもらえばいいんです。


(追記)

● 「TRAVELER'S TIMES」の保存には,2穴バインダーの方がいいようなんでした。
 34穴を開けられるパンチがあれば,ルーズリーフバインダーに綴ると思うけど,そんなの持ってないから,このまま2穴バインダーで行きます。

2025年10月23日木曜日

2025.10.23 LAMYのノート

● LAMYのノートなんですけどね。メルカリでポチったものです。大阪の興國高校のノベルティ。興國高校にはお金持ちの子弟が通っているのかね。
 ゴムバンドがあって,紙ポケット付き。中紙は96枚。厚くて硬い表紙。ここまではモレスキンと同じ。

● 違うのは,まず Made in Italy であること。サイズは正規A6でモレスキンポケットよりひと回り大きい。スピンは2本。ペンホルダーも付いている。
 表紙は充分に厚くて硬いのだが,それでもソフトカバー。当然,もっと硬いハードカバーがある。
 罫線が独特。4㎜方眼と8㎜横罫を合体させたような罫線。

● メルカリには同じサイズの LAMY ノートが5冊出ている。4冊は同一人の出品。それらをまとめて買うかどうか,少し悩んでいる。
 最大の問題は4㎜方眼の罫線。一方で,4㎜幅にビッシリと文字を埋めていったらさぞや壮観だろうと阿呆なことを考えているわけだ。小さな文字でビッシリと埋め尽くされたノートをイメージするとゾクゾクする。

● ただし,そのために支払うことになるコスト(?)を考えると二の足を踏みたくなる。いくら小さな文字を書くからといって,書いていて最も自然なのはB罫だ。C罫でも問題なく書けるのだが,少々窮屈さを感じる。
 それが4㎜となれば,書けなくはあるまいが,C罫以上に窮屈になるわけだから。つまり,それがコストだ。

● 筆記具は鉛筆ではなく,極細の万年筆を使う。Preppy の0.2㎜なら行けるだろう。でなければ,0.1㎜かそれ以下のピグマ。
 目をショボショボさせながら書き進めて行って,そうやって使い終えたノートが6冊できる。自然に反する書き方を続けて,その結果,残る6冊。
 圧巻の光景を作ってくれるんじゃないだろうか。コストに見合うような気もすふんだよね。

● こうした使い方をすると,6冊使い切るのに1年かかってしまうかもしれない。ノートはすでに充分以上に足りている。
 要不要の観点からすれば,残り5冊のLAMYノート を買うのは,明らかに不要なものではあるんだけどね。


(追記 2025.10.29)

● メルカリに落ちていた5冊を全部拾った。左の2つがハードカバー。それ以外はソフトカバーだが,充分に硬い。モレスキンのソフトとは訳が違う。
 4㎜方眼にびっしり書いてやりますよ。鉛筆では無理なので(無理ではないけど厄介),プラチナのデスクペン(極細)を使おうと思ってます。

2025.10.23 小さい字を書く

● 2019年にコクヨとショウワノートが共同企画した「あのころノート」の Campus。歴代表紙の5冊。
 サイズはA7変形(72X102㎜)。中紙は30枚。罫線は3㎜横罫。価格は1冊162円(本体150円)。メルカリに5冊セット500円の出物があったので,拾ってみた。

● 当然,使うつもりだったのだが,さすがにこれどけ小さいとテーブルに広げる気にはなりませんなぁ。
 けど,この3㎜罫に収まるように書くことに挑戦してみようか,と思ったりね。挑戦というほど大げさなことでもない。蝿の頭のような小さな字を書くので,たぶんできそうな気がする。いや,さすがに無理か。

● 3㎜でも横罫だとけっこう広く見える。これなら行けるんじゃないかと思うわけです。
 それが3㎜方眼になると,この一升に一字を収めるのはとても無理だと思うんだよね。錯視というやつですね。

● 「蝿の頭のような」小さな字を書くので,鉛筆の芯はかなり頻繁に削る。2㎜芯のほとんどは捨ててしまだているだろう。
 丸まった芯の書き味も知っているつもりだけれども,そっちには行かない。文字しか書かないんだから。図を書くこともカットを添えることもない。ひたすら文字列を埋めていくだけなので。

● 小さい字でそれをやるんだから,鉛筆よりシャープペン向きなんだと思うんですよ。0.3㎜でも折れないようになってますからね,今のシャープペンと芯は。
 でも,鉛筆なんですわ。シャープペンではダメだ,などとは全然思わないけど,鉛筆なんですよ。

● 文字しか書かないということは,テキスト入力しかしないわけだから,ポメラでいいんじゃないかとも思う。
 ポメラなら使用済みのノートが溜まっていくこともない。生前に処分しなきゃなと考える必要もない。

● けど,手書きの楽しさ(?)と同等のものををキーボード入力で味わえるのか。ぼくも令和を生きているので,パソコンも時々だが使う。キーボードでテキストを入力することもある。
 今のところ,全部をそれに置き換える気にはなれない。かつてはそうだったのだけれども。

2025年10月22日水曜日

2025.10.22 地球儀とは不思議なものだ

● 地球儀とは不思議なものだ。得られる情報はあまりない。ザックリとこの国はここにあったのかと確認する程度。載せられる文字数も少ないから,詳細はわからない。
 飛行機でA地点からB地点に飛ぶときの最短ルートはを知ることはできるけれども,そんなものを知ろうとする人はあまりいないだろう。東京はずいぶん南にある首都なのだなとわかって,ホホゥと思うくらいのものだ。

● 「平面の地図では距離,面積,形のひずみがないように表現できないが,地球儀は地球と同じ球体であるため,その全てについて正確性を追求することが可能となる」ことによって得られる情報は,その人の職業や趣味によっては大きなものになるのだろうが,ぼくのような平凡な一般人にとっては,さほどに特筆すべきものではない。
 唯一,ほぼ日の「アースボール」だけはスマホアプリと連携して,詳細な情報を引き出すことができる仕様になっているようだが(エピゴーネンがいくつか登場しているようだ),従来型の地球儀では無理なことだ。

● 世の中は,ぼくと同様な平凡な一般人で満ちているものだろう。それでも,地球儀を傍らに置いている人は相当な数に昇るのではないか。
 彼らは何のために地球儀を持っているのだろうか。どのくらい使っているんだろうか。どういうときに使うんだろうか。

● かく申すぼくも,小さな地球儀を持っている。2代目だ。
 どういうときに使っているかと言われても,何にも使ってはいない。地図帳はしばしば見るが,地球儀は年に1回か2回,手に取ってクルクル回してみるだけだ。

● 「地球儀を回して世界百周旅行」ができるわけもない。詳細な情報を取れるわけでもない。にもかかわらずなぜ捨てないで持っているのかと言うと,部屋のオブジェ,アクセサリーとしてですかねぇ。
 絵を飾るのと同じような。ぼくには絵心がないから絵を飾る趣味もないのだけれども,地球儀は絵心を要求して来ない。しかも,オブジェとしてなかなか落ち着きがいい。

● 昭和の50年代くらいまでは応接間という言葉があった。自宅に客を通すための部屋を作る。普段は居間になっていたのだろうが,その応接間に百科事典や世界文学全集を置く。読むためではなく,見栄のためだ。あるいは重厚感を出すためだ。
 今からすれば,何でそんなバカなことをしていたのかという話にしかならない。しょせんは貧乏人の貴族ごっこに過ぎなかった。が,当時は大真面目にそういうことをしていたのだ。
 地球儀を置くのもそれと同じと言っては,いくら何でも言い過ぎの感がある。装置としても比較にならないほどに小規模だし,応接の機能は皆無だ。

● 結局,地球儀は実用品ではない。が,地球儀のたたずまいは気分を落ち着かせる効果がある(ような気がする)。
 たまに手にとってクルクル回していると,地球を掌に乗せている気分になる。塞ぎ込みがちなときには地球儀を回してみるといいのではないか。

2025年10月21日火曜日

2025.10.20 黄色い消しゴム付き鉛筆,書き比べ

● ムーンラビット3600を試しに使ってみたんですがね。その後にトンボ2558を使ってみると,ダンチ。つまり,2558がはるかにいい。
 ムーンラビットは今はない。こういう鉛筆しか作れなかったんだとすると,そりゃ生き残れないわ。

● 記憶にあるコーリン710と似たようなものと感じた。念のためにコーリン710を使ってみると,記憶よりずっと滑らかだったので驚いた。
 ???と思ったのが三菱9852で,ずいぶん硬い。HBなのに,FというよりHの感じ。9852ってこんなだったっけ。

● ついでに,アイボールの JANOME “GOLDEN SWORD” も。滑らかでした。
 2558よりもシットリしている感じ。2558に粘り気を加えた感じ。

● さらについでに,キリン6000も。これはムーンラビットに近い。
 ムーンラビットほどにはザラつかないが,昔の鉛筆はこうだったと遠き日を思いださせる。

● 試し書き程度では意外にわからんのだが,以上(黄色いゴム付き鉛筆のHB)の中では2558をもって最上とする。

● 念のために。“昔の鉛筆” と括ってしまうのは間違いね。uni は1958(昭和33)年から存在しているのだし,その6年前にトンボの HOMO が登場している。
 2558は1950年。当時の書き味が今と同じだったのかどうかは知らないが,鉛筆には長命な製品が多い。消えた製品も多いから結果としてそうなっているのだ,と言われればそれまでだけど。

● 「昔の鉛筆はこうだった」というときの “昔の鉛筆” とは,当時の小学生が使っていた鉛筆ね。当時の大衆鉛筆というか。
 その大衆鉛筆はザラザラしていたと記憶している。その記憶がアテにならないのが困るんだけども,ザラつきが記憶にインプットされているためか,ザラつく方がむしろ好みという人もいるだろう。

2025年10月18日土曜日

2025.10.18 ほぼ日手帳アプリ

● 昨日(17日),ほぼ日手帳アプリをインストールした。ある程度の期間,使ってみてからでないと評価できないんだろうけども,以下に感想を述べる。
 最も期待していたのはメモ機能。メモは Google Keep とツイメモを使っている。𝕏 もメモと言える。それらをほぼ日手帳アプリに移行するか。

● 画像はクラウドにアップロードされない。ほぼ日手帳アプリにあげたからといって画像データを削除してしまうと,この世から画像が消えてしまう(Amazon Photo や Google Photo を使っている人が多いだろうから,その辺の問題はない場合が多いかもしれないけどね)。
 画像もクラウドにあげるためには有料会員にならなきゃいけない。無料会員のままだと,Google Keep やツイメモに取って代わるメモアプリにはならないんだな。

● その代わり,無料アプリなのに広告がない。ほぼ日関連の告知はあるけどさ。
 年額4,980円を支払ってプレミアム会員になるか。少し考えどころね。このアプリがいつまであるのかってのもあるしね。

● “センパイ” のコメントはけっこう面白い。というか,癒されますよ。「今日のひとこと」には一言ではなく,詳細な日誌を残すことができる。そうするのがいいかどうかは別だが,色々と面白い使い方ができそうなアプリではある。
 無料のままでも過去のテキストを全てここに集約することは可能だ。ちょっとやってみたんだけど,すぐに虚しくなってやめた。必要に迫られないからだな。

● いずれにしても,だ。このアプリを自分の中核に置こうとすると,プレミアム会員になるのが前提だ。
 自分しか見ない自分のホームページを作るのに,格好のアプリだけれども,そのためにはプレミアム会員になること。自身のブログのバックアップにも使える。その必要があればだが。

● 位置情報を許可しているわけだ。そうでないと,このアプリの特性が発揮されない。が,その位置情報の取り方が律儀というか,何というか。
 画面が煩くなった。バッテリィの消耗も激しくなった気がする。動作が重いようにも感じる。そういうことが気になるタチだ。

● もう一点。自分の1日を残さず拾うと,ノイズが多くなる。画面への表示の仕方の問題もあると思うのだが。
 同じことを紙の手帳でやると,脳が自動的に取捨選択してくれるから,ノイズはとりあえずだが排除される。脳が排除した中にじつは大事なものがあったということはあるかもしれないが,それを言い出したのではキリがない。「LIFEのBOOK」を作るのは,紙でやった方がいいようだ。

● ブログや SNS をやっていて,写真もあらかた SNS にあげている,移動のログも別のアプリで記録している,というのであれば,あえてこのアプリを使う理由はないかもしれない。
 1日しか使っていないのだが,アンインストールした。面白いアプリだと思うのだけれどもね。

2025年10月17日金曜日

2025.10.17 メルカリで文具女子博グッズを

● メルカリで文具女子博2022の詰め合わせを購入。シール5枚,ノート2冊,ボールペン(SARASA)1本,消しゴム1個など。
 ノートはサイズが大きいので,A6使いとしては当面使うことはない。ボールペンも。

● けど,安かったものでね。580円だったので。欲しかったのはシールだったんだけどね。
 文具女子博に行ったことはないし,この先もないと思うので,文具女子博でどんなものが売られているのか,どんな雰囲気なのか,を味わう(味わえないと思うのだが)ヨスガになればという理屈を付けた。

● 入場料を払ったうえに,表紙の意匠が違うだけの限定品をお高い値段で買うことになるのだから,ケチ根性の強いぼくがわざわざ出かけていくことはない。
 したがって,文具女子博の香りがするものを入手する手段はメルカリのみに限定。

● そのメルカリにはずいぶんといろんな文具女子博グッズが出品されている。雰囲気で買ってしまったけれどもやっぱり使わないというのが出てくるのだろう。おそらく文具女子博で買われたものの過半がそれに該当するのじゃないかと想像している。
 文具女子博は浪費の場になっているのじゃあるまいか。そうして浪費こそが経済を支えているのだと勝手に思っている。ぼくのように少ない品種しか使わない人間でも,必要量をはるかに越えて買ってしまうという形で浪費をしている。

● 文具女子博に集まる人たちは,文具に遊びを見出している人たちでもあるだろう。文具は単なる実用品ではない。使うことじたいが遊びなのだから,必要かどうかなどあまり気にせず,ノリで買う。家に帰ってノリが冷めれば不用品になる道理だ。それがメルカリに出てくる。 
 文具女子博はお祭りでもある。お祭りなんだから財布の紐が緩むのは当然だ。ぼくはリアルの祭りもあまり好きじゃないので,そんなところに出かけていくのはあまり賢い人間じゃないと,斜に構えた見方をしがちにもなるのだけれども。

● 文具は実用品以上のものではない,遊びの対象になならない,と思っているわけではない。
 文具は玩具になりやすい性格を内包していると思っている。実用品なのに,子供にとっての玩具的なところがある。

● 玩具なんだから,好きな人にとってはいくらあってもいいとなりやすいかもしれない。歯止めなんかかけないで好きなだけ,という人がいて当然だ。
 が,ぼくはそれないれないということ。ケチ根性のせいだ。

● ともあれ,ポチった文具女子博グッズが届いたわけだが,過去にも Campus を中心に何度かポチっている。が,そろそろいいかなと思う。メルカリから文具女子博にチョッカイを出すのもそろそろ終わり。
 文具女子博で販売された A6 Campus の5冊セットも出品されていたが,Campus の在庫もそれなりに増えたので,これ以上増やしてもとためらっているうちに誰かが買ったらしい。残念だったというべきか,買わずにすんでよかったというべきか。

2025.10.17 すずさんの前に恥じるがよい

● 「この世界の片隅に」のヒロイン,すずさんが短くなった鉛筆を持って「短かっ」と言うシーンがあった(左の写真はそのシーンのものではない)。戦中戦後に限らず,鉛筆が貴重品だった時代がある。
 というより,そっちの方が長かったのだと思う。

● そもそも,すずさんがあの時代に鉛筆を使う生活をしていたということは,すずさんが中流以上の階層に属していたことを示すものではないか,と思ったりもする。
 義務教育は定着していたわけだから,日本国民は誰もが読み書きはできたろうが,大人になってから日常生活で鉛筆を使うのはインテリに限られていたんじゃないか。すずさんは庶民よりは少し上等な暮しをしていたようだ。

● それが今では誰もがパソコンやスマホを使うようになっているのだから,思えば遠くに来たものだ。しかも,この変化はつい最近のことだ。インターネット,怖るべし。
 鉛筆に至っては小学生しか使わないものになった。価格も安くなった。Hi-uni だって自販機の缶コーヒー1本分の値段しかしない。その鉛筆が1本あれば,相当書く人でも1ヶ月は保つだろう。とんでもなくコスパのいい筆記具だ。

● 物価の優等生ということで言えば,たぶん鉛筆が最右翼なのではないか。鉛筆兼業メーカーが次々に排除していったのも宜なるかな。
 ともあれ,今の鉛筆はコストを意識しないで使えるものになっている。

● ぼくなんぞはその恩恵を目一杯に受けられる側にいるのだが,そうなればなったで,使いもしないのに大量の鉛筆を買い込んでしまったり,古い鉛筆を大枚叩いて買ってしまったり(とまで言っては大げさだが)している。
 ぼくだけではないだろう。人はムダ遣いをやめられない。ムダに何だかんだと理屈を付けてしまう。ときには学術的な理由までデッチあげる。すずさんの前に恥じるがよい。

● ともかく,その昔は貴重品だったに違いない鉛筆を無造作に使える時代にぼくらはいる。昔に生まれていたら,今頃,呑気に鉛筆でノートにどうでもいいことを書きつけるなどという,優雅なことはしていられなかったに違いない。今の自分ではあり得なかった。
 今の時代に生まれたことが,自分の一番のラッキーなのだと思う。この優雅さをタダ同然で味わえるのだ。

● お金を使ってする遊びは必ず飽きる。タダか極めて安価でできる遊びは,飽きることがない。これが正しいとすれば,今味わっている優雅な楽しみにも飽きることはないのだろう。
 いたって大げさにいえば,それが自分の救いだ。よくぞ “手書き” を趣味にしたものだ。小学校の国語の授業で字を教えてもらって良かった。義務教育は役に立つ。

2025年10月16日木曜日

2025.10.16 鉛筆を万年筆に擬態させるミミックの発想は下品なのか

● ミミックを久しぶりに。気分を上げるにはやっぱ「ナンテン」。赤の威力。
 ミミックにはグリップにクロームとブラスがある。クロームは滑りやすい。ので,グリップだけブラスに替えてみるか。
 で,替えてみたのだが。ダメだ。受け軸はクロームなんだから,グリップと軸色が違ってしまう。これは耐え難い。これなら滑りやすさを我慢する方がマシだ。

● というわけなので,指が汗ばむときは「パシフィック」や「エボナイト」などのブラスグリップのものを使うことになる。
 実際の話,「ナンテン」にはクロームが色としては合う。単に見慣れているからかもしれないんだけども,赤にはゴールドよりシルバーの方がコントラストが際立っててくすみが出ない。

● 鉛筆は目下,Hi-uni のBを使っている。ここは多くの小学生とは違うところだが(と言っても,ぼくが使っている Hi-uni はメルカリで買った,最初から使いかけになっていたもの),いずれ9800や8900を使うことにする。小学生が使っているものを自分も使いたいという気持ちがどこかにある。 
 その理由は自分でもよくわからないのだけど,書くための装備は小学生が通常備えているもので充分なのだと思っているわけだ。それ以上は要らないものだ。

● にもかかわらず,供給側は手を変え品を変えて,余計な意匠を凝らした大人用の高価なものを売ろうとする。そういうものをぼくも買ってしまっている。
 パーフェクトペンシルとミミックだ。パーフェクトペンシルはそもそも不要なものであり,ミミックもクツワがあればぼくには要らないものだ。要らないものを買ってしまったことを恥じる気持ちがないわけではない。
 そうしたことは買って使ってみて初めてわかるわけで,致し方なしというところがあるが,今となれば使わずともわかるべきだったよな,と。

● ミミックなどはむしろ小学生にこそ使わせたら面白いんじゃないかと思うが,間違ってもそういうことにはならないから,ぼくにミミックは分不相応というより,過剰装備ということだ。過剰はない方がいいのだ。
 それじゃミミックはまとめて捨ててしまうかというと,当然,そんなことはできない。もったいないということもあるが,やはり買ってしまった以上は,使っていく責任が買い手にはあるし,ミミックは使っていきたい製品だからだ。

● 先に書いたことと矛盾するのだが,これは何だろうか。見栄だろうか。 誰に対して見栄を張りたいのか。
 ぼくは誰も見ていないところで1人で鉛筆を使っているし,使い勝手や機能性は学用品売場にあるクツワの補助軸と何ら選ぶところはないのだ。書くために鉛筆を使うのであって,ミミックを使うために書いているのではないはずなのだが。 

● 安いノートや筆記具に被せて高級品に見せる装置は昔からある。ミミックもその1つだといえる。万年筆に擬態させようと言うのだから。
 万年筆は高級筆記具の代表だろう。最近は百円ショップで売られている万年筆もあるくらいだから,安い万年筆もあるのだが,ミミックはそういうものは想定していないはずだ。

● 鉛筆は安い筆記具の代表。その鉛筆を万年筆のように見せようとするのがミミックだ。そもそもの発想が下品と言える。鉛筆は鉛筆でいいではないか。鉛筆は鉛筆のように見えるのが本当だ。鉛筆のフォルムには独特の美しさもあるのだから。
 それを万年筆に擬態させたいとは,鉛筆を使っていることを恥じているからではないか。それだけではないと反論されるだろうが,“恥 ” が含まれることは否定できないのではないか。

● 以上は,現にミミックを使っている自分にそのまま跳ね返ってくるものだ。さて,自分はそれにどう答えるだろうか。
 少なくとも補助軸として普通に使えるから使っているだけだ。補助軸にはいろんなものがある。そのいろんな補助軸からミミックを選択しただけのこと。鉛筆を使うことが恥ずかしいからそれを隠そうという気持ちは1ミリもない。たまたまミミックがそういう形状をしており,その形状が好ましいものに思えたから,購入して使っているだけのことだ。

● とでも答えることになるだろう。その答えに嘘が混じっているわけではない。鉛筆党の党員は,全員が全員,鉛筆を使うことに “恥 ” など感じていない。それくらいだったら,最初から鉛筆を使わない。
 ぼくはずいぶんナイーブなんだな。ミミックには小学生が使っている道具が醸す直截さがないのだ。余計な虚飾がどこかに紛れ込んでいるような気がするのだ。そう思いながらも,やはりミミックは使い続けるのだが。

2025.10.16 手帳を選ぶ女性

● 某文具店の手帳売場。NOLTYの棚の前で熱心に手帳を選んでいる女の人がいてね。齢は50歳に近いかなぁ。スーツ(スカート)を着ていた。制服かもしれない。
 それを見てて妙に感動しちゃってね。まず,ビジネス手帳というのがいい。チャラチャラした手帳じゃなくてね。正統派の感じがする。

● 次に,その熱心さがいい。実際はさ,手帳なんてどれを選んでも大した違いはないじゃん。手帳で自分が変わるなんてことはないわけですよ。
 そんなことは彼女もよくわかっていると思う。それでも熱心に比較して,どれにするか考えている。何かいいなぁと思っちゃってね。

● ぼく自身は手帳選びにそれほど執着したことはない。今は Seria のA5週間バーチカルと決めているから,Seria でそれを買って終わり。
 それ以前は,Bindex のバイブルサイズ能率手帳タイプ(週間レフト)と決めていたから,やはりそれを買って終わりだった。

● 初めて手帳を買ったときも,能率手帳に替えたときも,ほとんと迷わなかったと思う。どんな手帳があるのか細かく調べることもしなかった。
 インターネットなど影も形もない頃だったが,彼女がわっているように,店頭で現物を手に取って比較検討することはできた。

● が,そんなこともしたことがない。乏しい情報で能率手帳にしようと決め,以後はずっと能率手帳を使い続けてきた。
 手帳の種類も今と比べればずっと少なかったからでもあるだろうが,基本,男とはそういうものだ。特段の不都合がなければ変えない。女以上に現状維持を好む生物だ。

● ぼくに関して言うと,そのくせ,雑誌の手帳特集やムックを読むのは好きだった。だから,手帳に関する知識や情報は溜まっていった。
 が,自分の実際にそれらが影響を及ぼすことはなかったと思う。

● 自分の手帳選びは,彼女のように売場で時間をかけてこの1冊を選ぶというプロセスを経ることなく,数十年を経て,現在に至っている。
 手帳売場にいた時間は彼女より長かったかもしれないが,たんに巡行していただけだ。
 だが,手帳に対して熱心な人には好感を抱く。自分の側の人間だ,仲間だ,と思う。彼女にとっては,ぼくは彼女の側の人間ではないと思うけど。

● 世の大半の人は,手帳にそんなにこだわっていない(と思う)。こだわるべきは他にある,どうしてそんな些末なことにかまけているのか,というところだろう。手帳などにこだわっているのは瑣末主義だ。
 そうして,それには一理も二理もある。それに対して,神は細部に宿るものだよと反論するのは,残念ながら,そもそも反論になっていないだろう。

● SNS を見ると,この世は手帳好きで満ちていると錯覚しそうになるが,それは手帳好きの自分がわざわざそういう投稿ばかりを見に行っているからで,リアルは決してそうじゃない。
 しかし,それゆえにこそ,われら瑣末主義者は同類を見つけると嬉しくなる。同病相憐れむの心境に至る。

2025年10月15日水曜日

2025.10.15 在庫管理はしなくちゃね

● 短くなって手削りに移行した鉛筆の芯をまたまた折った。いや,芯が折れた。今回は根元をカッターで削り取ってしまったわけではない。芯はしっかり残っている。
 しかし,あまりに芯を長く出して,湿度が高く紙が湿っているときに,普通に(つまり,鉛筆を寝かせないで)書いていると,ポキっと行くことがある。

● そんなことをする人はいないだろうから,何の教訓にもなるまいが,そういうこともあるぞということで,ひとつよろしく。

● 宗旨を変更して,折れた鉛筆芯は芯ホルダーに咥えさせて使うことにした。
 この芯ホルダーも40年前に買ったもの。現在までの使用時間の総計は10分に満たないと思う。なのに捨てないで持ってたんですよね。
 ちなみに,芯ホルダーだとその先端の形状からして,鉛筆よりも芯を有効使用できる。芯がより短くなるまで使うことができる。

● 物持ちがいいと言うより,在庫管理をしていないからだな。溜まるに任せているからだ。
 前に買ったことを忘れているから,同じモノを何度も買ったりもする。

● モノなんか過剰に抱え込んでも,いいことなんか何もない。断捨離なんてしなくていいから,せめて在庫管理はしましょうよ。
 つっても,限度を越えて溜まってしまうと,在庫管理になんて手をつける気にもなりませんな。ぼくはそういう状態です。

2025年10月14日火曜日

2025.10.13  Bun2 10月号

● 上野文具本店でもらってきた。「2026年版手帳特集」。昨年は違ったが,だいたい10月号は手帳特集になる。
 手帳をどんなふうに使っているかという話ではなく,手帳現物の紹介だけね。が,その紹介も見開き2ページのみ。“特集” と言わなくてもいいんじゃないか。

● Bun2 は㈱ステイショナリーが発行しているのだが,その㈱ステイショナリーは,たぶん,全日本文具協会が出資して設立したものなんでしょ。
 したがって,全日本文具協会に加盟していないメーカーの製品は出てこない。コクヨのジブン手帳は紹介されているが,ほぼ日は影も形もない。NOLTYや高橋も同じ。

● 紹介されている中で唯一,目を留めたのが,レイメイ藤井の「ダ・ヴィンチ ロロマ ミニメモ A7」。ロディアタイプのメモパッドの他に,縦開きのA7ノートも使える。充分に高級なメモカバーとして使えそうだ。
 けど,小型メモはジョッターも含めていくつも買ったが,どれもまともに使えたことがない。小型メモをポケットに忍ばせておいて,サッとメモを録るというのは,男心をくすぐるカッコいいシーンなんだけどね。できた試しがない。

● 俺はダメな人間だぁと思ってしまうのだが,結局,メモはスマホで録ってるんですよね。スマホは必ず持っているから,サッと取り出して Google Keep にフリック入力する。
 紙とペンなら電源要らずと言うけれども,スマホの電源を切らすなんてことは,今どきあり得ないわけで。
 紙とペンの方がアクションが速いというのも,過去の話。取り出してから書き出せるまでの時間もスマホの方が短い。フリック入力に慣れれば手書き程度の速さでメモることは普通にできるようになる。
 結局,メモ用に専用の道具を抱えるよりスマホでやるのが世話なし。どうも,そういうことのようなんだな。

● 面白かったのは外海君子さんの連載。トランプ大統領が大統領令にサインするときに「シャーピー」(油性マーカー)み使っているという話。「メーカーに,黒で高級感のある特注品の製作を依頼したという」。筆圧が高くて,万年筆は使えないらしい。
 ブラジルのボルソナロ元大統領は,Bic のボールペンを使って公式文書に署名していた。イギリスのリシ・スナク前首相のVペン好きは話題にもなった。消せるインクを使っていたのが問題視されたんだっけ。

● こうした場では高級万年筆というのが通り相場だった。多分に儀式性の演出のためでもあったろう。そういうところにも変化の波がやってきているのかもしれない。
 儀式性≒伝統保守≒貴族性 と考えてもいいのかもしれない。凡庸な平民が,貴族ごっこに憧れて,モンブランだパーカーだとやっているが,気がついたら時代遅れもいいところって状況になっていた,ということもあるのかもね。

2025年10月12日日曜日

2025.10.12 Win11 にアップグレードしたパソコンに不具合発生

● Win11 にアップグレードしたパソコンに不具合発生した。タッチパッド(マウスは使わない)のポインターが表示されなくなってしまったよ。アップグレード直後から。
 画面タッチでファイルは開けるんだけど,キーボードからの入力を受け付けない。ダメじゃん。
 ネットに対処法が解説されているんで,これから順次試してみますわ。

● これねぇ,片っ端から試してみたんだけども,どれも無関係でね。そりゃそうなんですよ。Win10のときには無問題だったのに11にしたら出てきた問題ですからね。
 アップグレードのときに,プログラムが勝手に変えたわけじゃないでしょ。

● 結局,アレですよ。何度目かの再起動で解決しましたよ。直ったんだからいいじゃないかといっても,直った理由がわからない。けっこう嫌なパターンだけれども,パソコンとはそういうものだ,と。 
 こういうの,昔から散々経験してますからね。パソコンとはそういうもの。

● が,作業が終了してシャットダウンした後に,もしやと思って再起動してみたら元に戻っちゃってた。
 「設定」を開いてアレコレやったら,また現れた。気まぐれなヤッチャな。

● 翌日はまた元に戻っちゃってましたよ。で,再起動すると現れる。
 起ち上げる→再起動 を使う都度,セットでやらないと使える状態にならんのかい。難儀なことだわい。

● ま,パソコンってあんまり起ち上げなくなってるから,これくらいは耐えられるっちや耐えられそうではあるんですけどね。
 少なくとも,だからパソコンを新調しようとは考えてないんですわ。


(追記 2025.10.20)
● Windows11にアップグレードしたパソコンのポインターが表示されない問題,絶賛継続中。再起動すると出てくる。キャットダウンして起ち上げると消える。
 今度はキーボード入力を受け付けなくなった。フィルターキー機能が有効になっていたからで,「設定」からOFFにして解決。
 前回までは正常だったんですよ。前回,そんなところをイジった記憶はない(記憶がないだけで,実際にはイジってしまったのか)。今度はどんな怪が出てくるのかと不安2割,楽しみ8割。

2025.10.12 日経TRENDY 2025年11月号−得する手帳革命

編者 澤原 昇
発行所 日経BP社
発行年月日 2025.10.04
価格(税別) 709円

● 日経BPの雑誌の手帳特集をもうひとつ。これは5分程度でサラッと見た。本屋で立ち読みすれば充分な程度だな。

● 最初に「2028年8月には,ロフトの手帳の売り上げが前年同月比110%に近い伸びを記録」(p17)とあって,そうなのかと意外に思った。
 そんなふうには全然見えなかったので。伸びているのは「ほぼ日」くらいで,能率や高橋のビジネス手帳は苦戦しているのではないかと思っていた。自分が百均手帳に移ったから,そう感じでしまったんだろうか。

● 雑誌の性格から,主にはデジタルを使った時間管理,仕事管理のお勧めになっている。
 デジタルでやっている人の過半は Google Calendar を使っているだろう。Google のアプリは単独でも使えるが,複数のアプリを連携させて使える仕様になっていて,Calendar と Keep を連携させている人は普通にいそうな気がするが,Keep と Gemini の連携のさせ方なんかが解説されている。
 が,ぼくの頭には入ってきませんわ。そんなことをする気が端からないからでしょ。あっても入って来ないかもしれないけどね。アプリの連携などという高度なことは,ぼくの手に余りそうだ。

● Keep は単独で使ってはいる。最も使用頻度の高いアプリだが,単純にメモを録るだけ。おかげでフリック入力が速くなった。
 このブログも,以前はパソコンを使っていたが,今はスマホで入力している。この程度の長さならフリックで不都合を感じない。

● 手帳に関しては百%アナログ派だが,デジタルを否定するつもりはサラサラない。シャープの Zaurus の頃からデジタルでやっている人も多いだろう(さすがに電子手帳はあかんかったと思うが)。
 ぼくも気持ちが動いたが,踏み切れなかった。踏み切れた人は大したもんだ。

● この雑誌に限らず,雑誌を読むことは普段は皆無に近い。ぼくの場合は加齢のしからしめるところかと思うけれども,活字離れが確実に進んでいる。
 が,たまには,こういう雑紙を読んでみるのもいいかもしれんね。たとえば,インバウンドの各県別の増加率や,どのくらいお金を落としてくれているかがわかる。
 ネットでもわかるはずだが,調べてみようと思わせる最初の一撃がないと,結局は調べずに終わる。紙の雑誌は,否応なしにこうなんだよと情報を突っ込んでくれるからね。

2025.10.12 日経WOMAN 2025年11月号-書いて未来を切りひらく 手帳術2026

編者 佐藤珠希
発行所 日経BP社
発行年月日 2025.10.07
価格(税別) 900円

● 日経WOMANの11月号は手帳特集。以前は必ず読んでいたんだけれども,最近は見送ることもあるようになった。
 今年のは読んでみたんだけども,費やした時間は10分足らず。こういうのを読んだとは言わない。斜め読みにもなっていない。

● 人様がどんな手帳の使い方をしているのか。何をどう書いているのか。そういうことに興味がなくなった。
 どんな手帳があって,自分に合いそうなのはどれなのか。それもどうでもよくなった。

● そうなった一番の理由は,自分が隠居生活に入ったことだと思う。手帳の重要性がかなり低下した。
 隠居者こそ手帳を使うべきだと思っているが,使い方は仕事メインの現役世代とは違ってくる。極端な話,使ってさえいれば(それによって,今日が何月何日何曜日かというのをキチッと認識できていれば)どんな使い方でもかまわない。
 何なら,何も書かなくたってかまわない。毎日1回でも手帳を開いて暦とつながるようにしていれば,それで充分だと考えている。

● もうひとつ,自分の手帳の使い方が固まっていて,それを変えるつもりがないのも,他者への興味が失せた理由だな。
 管理するほどの予定はない。その日のログを残しておくことによって,その1日が過去に溶け出してしまうのを防ぐ。あの日に何をしたのか思い出すヨスガを残す。手帳を使うの理由はその一点だ。
 残すほどのことをしているのか,という質問は武士の情でしないでもらいたい。

● 具体的に使う手帳も去年から百均手帳になっている。これからずっと百均手帳でいいと思っているので,手帳そのものに対するこだわりもない。

● この雑誌には “私が忘れられない言葉” と題する連載があるようで,各界の著名人にインタビューしている。今月は作家の朝井リョウ氏。
 彼は遠慮を手放すということを語っている。手帳とは関係ないのだが,こちらの方が面白かった。
 死ぬときに「もっと遠慮しておけばよかった」なんて絶対に考えないんだろうな,ということ。「かれもこれも,もっとやっちゃえばよかった」と後悔するゆですよね,きっと。だから少しずつ “遠慮” を手放そうとしています。(p13)
 頼る=自分の弱点を晒す,と考えすぎているんでしょうね。でも,人から頼られたときのうれしさを考えると,そんな等式は間違っているなと思えます。(p13)

2025年10月11日土曜日

2025.10.11 マルマンのスパイラルクラウンなど

● マルマンのスパイラルノートは百均にもあるが,スパイラルクラウンの方は文具店でも見かけない。2015年に6年ぶりに販売再開したらしいが,現在はその再販も停止しているっぽい。
 これ(右の写真)は再販以前のものらしい。罫線はB罫。「スパイラルSC綴じ」が効いていて,保存が楽そうだ。
 長型2冊を含めて9冊ある。使っていこうと思う。いつになるかわからないが。

● こうしたA6未満の “小さいノート” に惹かれる。脳内にあるものを吐きだすには “小さいノート” が向いている。持ち運びが楽とかいう以前に,向いている。
 小さすぎてはいかんので,B7よりは大きいのが条件。

● リングノートを使わないのはリングがジャマだからだ。書くときにジャマ。保存するのにジャマ。
 が,上記のとおり,「スパイラルSC綴じ」なら少なくもと後者のジャマはだいぶ軽減される。

● マルマンならクロッキー帳も使えそうだ。㈱クラックスのノートも半「スパイラルSC綴じ」。使えそうだ。
 “小さいノート” の判型に収まるものは,これくらいだろうか。探せば他にもあるんだろうけど,熱心に探し出してまで使わなくてもいいな。

㈱クラックスのノート
● 綴じノートでは見開き2ページを最小ユニットにしているのだが,リングノートはカードを綴じたものという印象になる。見開き使用はしないと思う。
 1ページ独立みたいな感じね。むしろ,片面使用に留めたくなる趣がある。


(追記 2025.10.17)

● スパイラルクラウンの長型の罫線幅は5.5㎜。ひたすら文章を書きつけるためのノートではないですね。行間を空けながら箇条書きをするとか,要は勉強ノートや話を聞きながらメモするためのノートでしょ。
 罫線幅が狭いということは,ゆったりと書きなさいということだ。

● ぼくがこの世で最も役立たずの罫線だと思っている5㎜方眼も同じ。ゆったり書きなさいと促している。
 問題は,5㎜方眼はゆったり書くことをもジャマする罫線だということだが。

2025年10月9日木曜日

2025.10.09 いろんなノート

● 右の写真の左は,made in Italy の Campo Marzio。中紙は黄色の無地。32枚。16枚の紙を表紙と一緒に二つ折りにして,ホチキス止め。サイズはA6より大きく,B6より小さい。
 右。BAY LETTERPRESS。白色無地。20枚。A6。日本製。

● 左の写真の左は,Rollbahn miffy anniversary。Rollbahn のサイズは独特でわけがわからないのだが,これは縦に寸詰めのA6。中紙はクリーム色。
 罫線はこの世に存在する罫線の中で最悪のものである5㎜方眼。ただし,罫線は薄いから邪魔にはなるまい。
 右。ほぼ日weeksの補充ノート。中紙は14枚。

● リングノートは保存するのが面倒だなと思ってしまう。使ったことがない。あと,左ページを使うときに,リングが筆記の邪魔をしそうでね。それでも Rollbahn が何冊かは溜まってしまっている。
 リングノートは使ったら捨てることを前提にするものだろうか。捨てるんでも,単純に燃えるゴミにしちゃっていいんだろうかね。
 Rollbahn ファンの中には,わざわざリングから外して使う人もいるようだ。ぼくはデフォルトを維持したいと考えるタイプなので,そうしたマニアの気持ちはわかるつもりではあるのだけれども,自分でその類の創意工夫をするつもりはないんだな。

● 右の写真は,最近よく見かけるようになった,黒い中紙のスケッチブックというのか何というのか。サイズはA6。
 黒い紙に鉛筆で書いても読めるらしいのだが,金色や銀色のインクで書くと映えるんだろうか。普通にクレヨンを使うのも良さげだが。

● たぶん,どれも使わないのだが,自由な感じがしていいなぁと思った。
 ぼくは測量野帳か A6 Campus に縛られている人間なのでね。これからも縛られていたいけどさ。