2025年12月24日水曜日

2025.12.24 いくつかの鉛筆

● まずはノベルティ。東友ブックス 東友セミナー 東友住宅。って,出版(書店?)と予備校と宅地開発をやってたのか。どれも濡れ手で粟で儲かる時代があった。
 が,バブルで踊ってしまったやつと同じ運命を辿ったろう。

● と思ったんだけども,業態を替えて今も生きているのか。だとすると,優秀な経営者が出たんだな。
 そういうのって,難しいもんね。それができる人って,100人に1人もいないよなぁ。
元になった鉛筆は三菱のたぶん8800でしょうね。

● 東洋信託銀行。現在は合併して三菱UFJ信託銀行。
 元になってる鉛筆は不明。三菱でもトンボでもないと思うんだが。

● 三菱の9800。“トレーシング用 特許製図用”。1本10円の時代。
 このタイプの9800は持っていなかったので,メルカリでポチッたんだけど(300円だったし),別に持つ必要ねージャン,と自分に突っ込みたい気分もある。
 自分には要らないモノとわかりながら買ってしまう。メルカリなんか見ちゃうからいけない,文具店なんかに行っちゃうからいけない。

● 北星のブランコに乗る少女の絵柄の鉛筆。可愛いですな。小学校低学年の女児が好みそうなモノをワタクシメも好むようになりましたよ。
 メーカーが与えた製品番号は8611。

● ところで出品者様。鉛筆が箱からこぼれ出ないようにと,出し入れ部にセロテープを貼るのはやめてください。後生ですからやめてください。

● 「モーニング娘。」の鉛筆。鉛筆じたいは三菱 uni star。
 “かきかた B” とある。小学校の低学年女子に向けたものかと思うのだけども,これは中学生の男子も買ったんじゃないかな。

● いや,さすがに男子は買わないですかね。これだけピンクが基調になっているとね。目立ちたがりは買ったかもしれんが。
 当時の「モーニング娘。」はぼくもけっこう聴いていたのだけれども,ここに写っているメンバーの名前を正確に憶えているのは半分だけだった。

● 現在使っているのは Hi-uni のB。uni star とどれほど違うのかと思って,少しだけ書き比べてみたんだけれども,その違いをぼくには認知できなかった。
 予めこちらは Hi-uni,こちらは uni star とわかったうえで比べているし,違いを見つけてやろうという構えで書いているんだけれども,両者は同じものに思えた。使い込んでいくと違いが見えてくるのかもしれないが,“違いがわからない男” には Hi-uni の必要はないということね。

2025年12月18日木曜日

2025.12.17 小さい綴じ手帳に戻りたくなった

● 手帳はA5システム手帳にしている。ただし,中身は Seria の週間バーチカル手帳。それを切り離して,パンチで穴を空けて,バインダーに綴じている。なんちゃってシステム手帳なのだが。
 なぜA5システムかといえば,“貼る” をしているからだ。それがかなりの量になる。1年でA5コピー用紙を150枚程度使っている。保存用バインダーは年2冊になる。

● さらに,なぜそんなことをしているかというと,「旅するように毎日を過ごす」ためだ。旅行中にやることを日常でもやろうじゃないか,形から入ろうじゃないか,と。
 それが “貼る”。このなんちゃってシステム手帳を,ぼくはトラベラーズ手帳と称している。

● こういうことはノートでやるより,時系列がはっきりしている手帳と一体化させた方がいいだろうと思ってのことだ。
 じつはトラベラーズノートを知る前から,その頃はバイブルサイズを使っていたが,同じことをしていた。今ほどではなかったけれども。

● が,それを継続するとしても,ノートでやればいいんじゃないか,手帳は昔のように小さな文字どおりの手帳に戻したい,と思うようになってきた。
 保存用バインダーがあと5年分はあるので,それがなくなるまでは現行スタイルで行くけれども,その後は “貼る” も抑え気味にして,日記的雑記を書いているノートに移行するか。

● ノートが膨らんでしまうけれとも,ノートの消費量が圧倒的に増える。測量野帳なら3日で1冊使い切れそうだぞ。
 生きてる間にどうにか在庫のすべてを使い切れるかもしれない。

● そうして,ログを一覧するための手帳は(毎日が日曜日のぼくに,スケジュール管理などという言葉はない),掌サイズの綴じ手帳に戻す。
 能率手帳ゴールドなんてのも一度は使ってみたいしな。そうするか。と,北千住の駅ビル「LUMINE」の5階にある LoFt の手帳売場で思ったんでした。

● ところで。能率手帳も世に出たときは大きいと言われたらしいが,時代の経過とともに,手帳はさらに大きくなり,分厚くなった。
 皆,忙しくなり,労働時間が延びた。パンクチュアルであることが求められ,細部もおろそかにできないようになった。それが優秀の証とされる風潮に染まった。
 それで幸せになった人はいないが,棹さすこともままならない。

● 最近は,ミニ6やマイクロ5など,小さなシステム手帳が女性を中心に人気らしいが,それ1冊で済ませている人はあまりいないのではないか。ミニ6やマイクロ5は手帳というより,自由帳として使っている人が多いのではないかと想像している。
 また,スケジュール管理はデジタルでやる人が増えているのではあるまいか。それとセットでの小型化ではないかと思う。

● サラリーマンがやっている仕事の少なくとも半分はやらなくてもいいことなのではないか。そのやらなくてもいいとをやって,クタクタになっているのが実情ではないか。
 これで生産性を上げろと言われてもな。上がるわけがないわな。

● それにどう対処すべきか。会社や職場が変わることを期待してはいけない。そんなことはあり得ない。
 個人でやれることは,(できれば上手に)手を抜くことしかない。勤務時間中に仕事以外のことをやる。パソコンで仕事をするようになっているから,そういうことをやりやすくなっているのではないか。勤務時間中にアダルトサイトを見るのはダメだが,上手く手を抜け。

● そんなことをしたんじゃ,同期より昇進が遅れてしまうじゃないかって? 当然だ。よほど能力があるのでない限り,そういうことになる。
 けれども,出世や昇進を第一義とするのであれば,焼けた鉄板の上で踊る猫になる覚悟もしないといけない。経営側の土俵に乗るのであれば,そういうことになる。
 乗ってるふりだけして,上手に手を抜け。

2025年12月17日水曜日

2025.12.17 北千住でオリエンタル産業の TWELVE BLACK PENCILS を買う

● 昨日,ANGERS Ecute上野店を覗いてみたんですけどね。ANGERS に来るたびに買うかと迷うのがオリエンタル産業の TWELVE BLACK PENCILS だ。
 芯の太さが3.9㎜もあるんだから,この鉛筆は画材だと考えるしかないが,どうにか手なづけて文字を書くのに使ってみたい。そう思わせるオーラを放ってますよ。

● けど,そうできる自信がない。人には分相応ということもある。今回も指をくわえて見送り。
 自分には縁のない,遠いところにある鉛筆だなと思う他ないな。

● ところが,今日,北千住の駅前通りと旧日光街道の角にある神谷商店という文具店に行ってみた。
 入ってはみたものの,問題は買うものがないことでね。だってね,ぼくは字を書くだけだから,ノートと鉛筆があればすんじゃうわけですよ。そのノートと鉛筆はすでに売るほどある。

● しかし,買うとすれば鉛筆しかないなと思ってね。STAEDTLER と Faber-Castell があったので,Mars Lumograph や Tradition の4Bをピックアップしてレジに行こうとした。
 ら。オリエンタル産業の TWELVE BLACK PENCILS が1つだけあるじゃありませんか。ので,それを買うことにしました。
 というわけで,ひょんなことから TWELVE BLACK PENCILS を入手することになった。入手してしまうと,熱が退いていく感があるのはいつものごとし。

● あと,0.7㎜の替芯。「鉛筆屋のシャープペン」には,替芯はパイロットのナンタラを使えと書いてあるじゃないですか。
 何を使おうとこっちの勝手だろってことながら,パイロットのはオリエンタル産業が製造してるんでしょ。ならば,ついでにということね。

● この店は知ってはいたんだけれども,敷居が高いというか,自分のような者が入っていいんだろうかと思うわけですよ。だいぶ昔から店を張ってそうだからさ。
 が,今日は入ってみたよ,と。一家言ありそうな店主だったらどうしようとか思うわけだけど,たいてい,そんなことはないんですよね。
 いたって気さくで腰の低いことが多いんですよ。だって商売人なんだから。

● 狭い店内に製品がぎっしり詰め込まれていて,通路は狭い。すれ違うことはできない。倉庫のようだ。
 弘前の平山萬年堂もそうだったけれども,売りたいのは万年筆のようだ。セーラーの長刀研ぎがあった。

● 学用品も扱っている。町の文具店は学用品を欠かすことはない。それはできないんでしょ。売りたいものだけ売ってればいいなんてことは許されない。学童に勉強道具を提供することは,まず期待される文具店の役割だろうから。
 同様に売筋のボールペンなんかもある。利幅は小さくても欠かすわけには行かないんでしょう。

● 測量野帳も置いてある。SKETCH だけではなく,LEVEL も。この狭さで測量野帳を置いているところを,他に知らない。
 文具店の求められる役割を果たしながら,特長も作ろうとしているように見える。業界で評判の店も見に行ってるのはもちろん,日々研究なのだろうな。
 その根底にあるのは危機感であろうけれども,この言い方は失礼極まりないのだが,危機感を持ててるうちは安泰なのではあるまいか。

2025年12月16日火曜日

2025.12.16 松戸市立博物館に測量野帳を買いに

● 亀有に来た。2度目。駅を出るとすぐに “こち亀” の出迎えを受ける。亀有と言えばこち亀。長い目で見ると,亀有にとってはマイナスじゃないかと思うが,現在のところはこち亀が生きている。
 こち亀記念館などというものもできたらしい。では行ってみるかとなったのだが,残念,今日は休館日らしかった。

● その先に LoFt と無印が入っているアリオ亀有がある。紀伊國屋書店も入っている。昔は宇都宮にもあったんだけど,宇都宮では紀伊國屋書店を支えるのは無理でしたね。
 というわけで,こち亀記念館が休みでも困ることはない。少し,残念だけど。

● 香取神社の境内にも両さんがいる。いいのか,やり過ぎじゃないのか。いや,立派な神社なんですけどね。
 このあたりは実質,千葉県。香取神宮から勧請しているのだろう。

● 亀有から新八柱に向かう。230円区間だからね,近いんですよ。
 ただし,新松戸で武蔵野線に乗り換えることになる。松戸の次が北松戸,その次が馬橋(マバシ)。ん? 乗り過ごしたか,と思ってしまうのだが,馬橋の次が新松戸ね。武蔵野線でひと駅乗ると,新八柱ですわ。

● 何のために新八柱に来たのかと言えば,松戸市立博物館に行くため。よく知らないのだが,この博物館は考古学,特に縄文に照準を合わせているところではないか。そんなものに興味のキの字もないですわ。
 なのになぜ来たのかというと,オリジナルの測量野帳を販売しているらしいんですね。それを買いに。

● 立派すぎる建物。出入口に警備員がいて,ドアを開けてくれる。人間自動ドア。
 ミュージアムショップはショップと言うのも憚れるほど狭いスペース。品物は “サンプル” しかなく,係の人に頼むと現物を出してくれる。チケットを買わずともショップでの買いものはできる。

● 無事,購入できましたよ。1冊310円。さすが公立は良心的です。こういうもので儲けて運営費の足しにしようなどとは考えていない。
 少しは考えたらどうかと思わぬでもないが,考えなければならないインセンティブがない。むしろ、考えることを封じられているかもしれない。
 で,用がすんだので,それだけでUターンして駅に戻った。

● 亀有もそうだけれども,八柱でも博物館まで歩いたわけでね。歩くと,その場所に来た感が強くなる。
 大体は印象も良くなる。歩くことですな。

● 帰りも同じルート。新松戸に停まるのはメトロ千代田線の列車。千代田線って小田急に取り入れますでしょ。やった来たのは向ヶ丘遊園行き。
 乗り換えなしで向ヶ丘遊園まで行くわけですよ。岡本太郎美術館に行くんだったら,川崎から行くより便利かもしれん。時間はかかるとしても,南武線に乗らなくてすむんだからな。

● 帰途も亀有でいったん下車。駅の北口を出ると日高屋があってね。あれば行くでしょ。ウーロンハイのウォッカダブルにニラレバ炒め。
 宇都宮テラスの日高屋に比べると,ニラとモヤシの火の通しが少ない。その分,ニラとモヤシがシャキッとしているわけだが,どちらを好むかはまさに “好み”。

● ウーロンハイのウォッカダブル,お代わり。肴は餃子ダブル。これで2,430円ですよ。
 ぼくは日高屋があれば生きていけると思う。いや,亀有,最高ですよ。

● ちょうどいい具合に酔っぱらいましたよ。そのせいか,北千住でJR線に乗り換えるのにど行けばいいのかわからずに手間取ってしまったけれど,無事に帰還しました。
 亀有と八柱。良い小旅行になりましたよ。

2025年12月15日月曜日

2025.12.15 インターメディアテクのミュージアムショップで絵ハガキを買う

● 東京駅前の KITTE に入っているインターメディアテク。東京大学が運営している。一度,ひと通り見たことがあった。クタクタに疲れた。それ以来,足を向けていない。
 今日は3階にあるショップだけを覗いてみた。

● ひょっとして,ここだけの測量野帳がないかと思った。が,そんなものはありませんでした。あればメルカリに出てるだろう。
 絵はがきを6枚買った。

● A6 Campus のクリアカバーに装着。そのままではわずかに大きすぎて入らない。
 余白の部分を切り取った。A6=文庫=ハガキ ではなかったのね。

● でもって,4階の旧郵便局長室。東京で最高のロケーションにある休憩スペース。
 何時間でもいられるんだけど,あまり長くいるのはルール違反になるんでしょうね。


(追記 2025.12.22)

● ところが,ハガキの厚さと重さに耐えかねるのか,クリアカバーの中央下部が破けてきてしまった。上手くいかんものだな。
 かくなる上は非常手段。ハガキを2つに裂いて厚紙部分を除去。表面の薄い紙だけにして,同様に装着した。


2025.12.15 銀座蔦屋書店にて

● 銀座に来た。中国人がいなくなって,銀座は静かになった。人どおりは多く,賑わっているが,静かだ。
 中国人がゼロになったわけではないので,時折り蛮声が響くが,まずまず静かになった。その静かな中央通りを歩いて,蔦屋書店にやって来た。

● つい先日,自分は貧乏なのだなと痛感させられることがあった。お金を持っている持っていないではなく(その点でも,ほくは貧乏だけれども),手間をかけない暮らし方をしているというところで,つくづく自分は貧乏だ,と。
 上流の人たちは手間がかかる暮らし方をしているのではなかろうか。むしろ,手間がかかる暮らしをしている人たちを上流と呼ぶのではあるまいか。

● 食洗機を使って手間を省くのは貧乏だという話ではなくて,たとえば,植木屋を入れたり絵や陶器を飾ったりするのは手間がかかる,ということだ。
 絵でも陶器でも,いったん置いたらそれで終わりではなく,埃を払わなければならないし,毎日乾拭きをしなければならないだろう。その前に,絵や陶器を置くのに違和感のない空間を維持するにも手間がかかる。

● 豪邸ならば放っておいてもいいというわけではない。小さな家でも手間さえかければその空間は作れるだろう。
 そういう手間をぼくは省略してしまいそうだ。そんな人間に絵や陶器を飾る資格はない。貧乏とはそういうことだ。

● これを敷衍すれば,文化を暮らしの中に取り込もうとするのは,手間を抱えることでもあるということだ。特に,伝統文化と呼ばれるものを取り込もうとすると,相当な手間,ペットを飼う以上の手間,を払わなければならないのではないか。
 面倒くさがりはそういう世界とは無縁になる。

● 蔦屋書店はそんな貧乏人は眼中に置いてない。それでも,お客さんの8割は貧乏人かもしれないが,その8割のために何かをしているわけではない。残りの2割に照準をあわせている。
 8割がいてくれないと商売にならないのだけれども,その8割は言うなら金魚の糞のようなものだ。蔦屋書店の棚を見て歩きながら,そういうことなのだろうなと思ったんでした。

● そんなわけなので,ここでぼくが買えるものはそんなにない。というか,ほとんどない。のだが,気になったのが2つあった。
 ひとつは nu の「10年メモ」。松岳社による製本らしい。
 筆記スペースがちょうどいい。10年日記ではなく,10年メモとあるとおり,たくさんは書けないのだが,連用日記はそもそもたくさん書く必要はない。というか,たくさん書いてはいけないものだろう。

● もうひとつは,MAKERS CABINET の FERRULE という製品。鉛筆セットだ。
 と言っても,メインは補助軸。金属製(真鍮かと思うが,ガラスケースの中に入っていて,手に取って確かめることはできない)でキャップも付いている。キャップをした状態だと中々にスタイリッシュ。それに鉛筆が6本と補助軸に装着する消しゴムが3個セットされている。
 お値段は22,000円。ミミックを何本か持っているので,自分のために買うことはないが,気にはなった。

● 絵画の展示・販売ももちろん実施している。米山舞「YONEYAMA MAI EXHIBITION “arc”」,ZEN「Urban Equivalence — 都市等価論」など。
 都市等価という言葉が面白いと思った。どんな意味を込めてこの言葉を使っているのかはわからないけれども。

2025年12月14日日曜日

2025.12.14 いくつかの鉛筆

● ぺんてる の YES PENCIL。鉛筆の情報はググってもなかなか出て来ないものだが,どんな分野にも “研究者” はいるものだ。 
 外形からも明らかだが,比較的最近まで販売されていた鉛筆であるらしい。

● 様々な意匠の uni。

● トンボ3315。それと,最小限度の表記しかないトンボ鉛筆。番外品?






● 中華鉛筆をなめたらあかんぜよ,かどうかは知らないが,上の哈爾濱産の鉛筆には惹かれるものがある。ノスタルジーをかすかに刺激する。
 一番下のものは,これ以外の表記がない。塗装は日本のものかとも思えるが,たぶん中華製でしょ。

● ゴールデンドラゴン鉛筆8800。先達によると,「ドラゴン鉛筆合資会社(昭和13年),のち昭和21年に有限会社シルク鉛筆製作所となり昭和42年廃業」とある。
 書き味は昔の国産鉛筆の標準的なもの。書いていると,そこはかとなくうら悲しさがわいてくる。百均で10本110円で売られている中華製の現行品がずっといい。昔の国産品はロクなものじゃなかった。
 小学生の頃の自分はそういう鉛筆を使っていた。今の児童たちを羨ましいと思うのは,そこのところだ。

● 製品だけではない。昔の日本(人)はほんとにダメだった。民度も知的水準もマナーも,何もかも。いい思い出は一つもない。
 昔を “古き良き” と捉えるのは没落貴族くらいのものではないか。今の方がはるかにいい。これからはさらに良くなっていくだろう。

● コーリン鉛筆9900。Hi-pierce のようなものはダースで手に入るのだが,9900番は持っていたかいなかったか(⇒ ダースで持っていた)。
 鉛筆なんだから,書き味にビックリするようなことはないはず。そういうことがない程度には,製品として完成の域に達して久しい。

● Faber-Castell の Jumbo 4B。General Writing には向きませんな。が,何とか手なづけたい。長期戦覚悟でボチボチやっていこう。
 ちなみに,General Writing には3Bか4Bが吉。国産鉛筆と同じつもりでHBなんか選んだ日には,ドイツに向けて大陸間弾道ミサイルをぶちかましたくなりますな。

2025年12月10日水曜日

2025.12.10 ホワイトボードから普通のカレンダーへ

● わが家事務所のホワイトボード。ダイソーにあった「MONTHLY PLANNER」。330円だった。これで家庭内行事の情報共有を図る,というのではない。関係者が最低限なので情報共有の必要はない。
 マーカーとかイレーサーとかホワイトボード用品を色々買っちゃってたんで,それを使うためという,およそ本末転倒な理由から。

● ホワイトボードというのは,会議やミーティングで大きめの文字や図を書いて出席者に伝達するのに使う,黒板に代わるものというイメージがあるんだけれども,使い方は使い手によって無限個あるはずだ。
 ユニークな使い方を思いつける人が独創性の高い人。が,遺憾ながら,ぼくにはその種の独創性は皆無のようで,お仕着せ的な使い方しか思い浮かばない。

● ロディアに代表される携帯用のメモパッドとホワイトボードは,ぼくには憧れの対象でもあった。つまり,クリエイティブ御用達のアイテムだと思っているから。
 自分はクリエイティブから遠いという自覚がある。そういうやつほど御用達グッズに憧れるものでしょ。

● そんなわけで,ホワイトボードもホワイトボードノートもマーカーもイレーサーもいくつも持っている。もちろん,そのほとんどは長い眠りについている。
 そんな中で「MONTHLY PLANNER」だけは使い途が一様でわかりやすいので,ぼくにも使えそうだと思った。実際,使えた。ただし,使うことによって何らかの効用があったかどうかは問わないことにしておきたい。

● が,来年からは普通のカレンダーにする。このカレンダーもダイソーで110円で買ったもの。
 ホワイトボードよりも小さめな字で書くことになるので,盛り込める情報量は増える。

● が,情報量が増えようが増えまいが,どうでもいいことではある。そもそも,効用を期待していないので。
 ボールぺんてる とかサインペンとか,出番のなかった筆記具を使う機会を作るのが目的なのでね。本末転倒は続くよ,どこまでも,というわけだ。

● けれども,そうした筆記具が使えることになって,少し嬉しい。ホワイトボードの関連製品は使えなくなってしまうわけだが。

2025.12.10 鉛筆を短くなるまで使うこと

● 𝕏 でこんなポストを発見。ここまで短くなってるのに,手削りではなくて携帯用の手回し鉛筆削りを使っている。そんなことができるのか。
 って,補助軸にホールドさせて削ればいいのか。そういう方法があったな。

● このあと手削りすると,あと1㎝は短くできるけれども,それは趣味の領域。やりたければどうぞ,の世界。
 ぼくはやるけどね。が,ポスト主も仰ってるように,「エコとか物を大切にというより私の趣味とこだわり」なんだよね。要するに,やりたいからやる。ぼくの場合はケチ根性が混じっていると思うけど。

● だから,これ以上は使えないところまで使っているからといって,そんなに称揚する話でもないと思うんですよ。
 けれども,こういうのを見ると称揚したくなるようなんだな。凄いですねぇとなる。
 清貧につながるイメージがあるんですか。清貧じたい,持ち上げられ過ぎというかね。そんなものに囚われるべきではない。

● ハンドル式の鉛筆削りで削れなくなったら次の鉛筆に移るのが合理的というか,最も賢い鉛筆の使い方かもしれないよ。
 鉛筆の神様も許してくださるだろう。もっと使わなきゃダメじゃないかとは言わないと思う。

● 仕事で鉛筆を使う人はそうしてるんじゃないかな。もし,ぼくがアニメーション制作のボスだったら,電動式やハンドル式の鉛筆削りで削れなくなった鉛筆を手削りしてさらに使おうとしている人を見つけたら,ドヤしつけると思う。
 鉛筆を削ってもらうために君に給料を払っているんじゃないんだ,仕事をしてくれ,とね。鉛筆代などコストのうちの微々たるものですらない。

● ぼくはギリギリになるまで使いますけどね。ちなみに,三菱鉛筆の Palette だとここまでが限界。補助軸から出ている部分が鉛筆の全部だと思ってください。

● この鉛筆削りだと,ここまで短くできる。

● これだと,ここまで。実際には,補助軸が咥えてる分,もうちょっとだけ長く残ってしまうかもしれない(それも加味したつもりですが)。
 やってみようと思いますよ。

2025年12月9日火曜日

2025.12.09 やはり,来年から連用日記を始めてみようと決めた件

● 日記的雑記の日付を赤で書くようにしたので,セブラ ミリペン(赤)の出番を作れた。
 ミリペンはとっくの昔に生産は終了している。が,問題なく使えている。パタッとインクが出なくなるかもしれないけれども,メーカーの気魄を感じるといいますか,大したものだなと思いますわ。

● さらに使用頻度を上げるために,来年からモレスキンのミディアムを使って5年連用日記を始めようと思い始めている。いったんは,棄却した案件なんですけどね。
 そうすると今の数倍の頻度でミリペンを使えることになる。というか,そうなるように構成を考えている。

● 結局,来年から5年連用日記に再挑戦することにした(一度試みて,3年目に挫折している)。
 使い途のなかったモレスキン・ミディアムをその用途に充てることも,あらためて満場一致で可決。ま,出席したのはぼくだけなんですが。議場はわが陋屋の台所。

● 連用日記を始めるのは筆記シーンを増やす,鉛筆以外の筆記具を使う場を作る,というだけのため。赤のミリペン以外にも再び万年筆に活躍の場を与えてやれる。
 モレスキン・ミディアムは208ページなので,2冊用意して前期と後期に分ける。余ってしまうページが出るけれども,それは致し方ない。

● レイアウト(?)はこんな感じ。区分線を加えることはしない。赤字で線に代える。
 モレスキンだから赤のミリペンでも裏抜けする。これも仕方がない。プラチナのブルーブラックで書くことになると思う。これならモレスキンでも大丈夫。

● 専用の日記帳が高橋や能率や博文館から出ている。ほぼ日の5年手帳もある。
 たぶん,これらを使う方が何かと勝手がいいはずだが,何で買ったのかわからないモレスキンのラージやミディアムが2,30冊積みあがっているので,どうにかしないといけない。

● 毎日律儀に書こうとしないで,雑でもともかく続ければ良しとする。

2025年12月6日土曜日

2025.12.06 いくつかの鉛筆

● 先日,メルカリでポチッたコーリンの Hi-pierce が届いた。Hi-uni が出た翌年の1967年に発売。名前も軸色も Hi-uni を意識していることは明らかで(悪くいえば二番煎じ),当然,価格も Hi-uni と同じだろうと思ってたんだけども,Hi-pierce は Hi-uni の半額だったんですね。
 知りませんでした。それゆえ「より経済的なハイピアス」と自称したわけですかね。

● 王者三菱鉛筆への配慮というか忖度というか,そういうものがあったんですかねぇ。Hi-uni の真似をしたけど Hi-uni には劣る,と自ら認めているようで,一抹の悲しさも感じますよ。
 HBで書き比べてみると,書き味は Hi-uni に全然引けを取らないと思うんですけどね。

● EXCEED と印字された細身の鉛筆。当然,三菱鉛筆製。
 EXCEED は三菱鉛筆製のボールペンとシャープペンのブランド名という認識しかなかったので,その販促用の鉛筆かと思った。のだが,50円で販売していたらしい。

● EXCEED は,鉛筆も含めて,三菱鉛筆のすべての筆記具を覆うブランドだった時期があるんですかね。
 風合いも他の EXCEED 製品と統一性を保つものになっておりますよ。

● こちらは何の変哲もない三菱鉛筆9800。新横浜ラーメン博物館ではジャンケンオリンピックなるイベントを開催していたんですか。
 ジャンケンが流行ったことがありましたっけ? もちろん,今はやってないんでしょ。

2025.12.06 東京駅近くの文具店巡り

● 東京駅前の KITTE,混んでました。中国人が消えたので(まだいくらかいるんだが),日本人が繰り出すようになったんですかねぇ。それとも,そういうシーズンになったということですか。
 4階の ANGERS にもお客さんが入っていた。けっこうなことだ。

● カランダッシュの缶ペンケースが以前から置いてある。買っても仕方がないと思いながら,気になってはいる。
 カランダッシュのボールペンやシャープペンは,ぼくが使うガラでもないし,まぁ,必要もない。

● が,缶ペンケースくらいだったらいいんじゃないか。浅いのと深いのの2種あって,まぁ,浅い方でよかろう,と。
 いやいやいや,ガワだけカランダッシュで中身は100円シャープペンというのもな。一番カッコ悪いパターンだよな。貧乏臭くていけない。貧乏なのは仕方がないとしても,貧乏臭さをわざわざ強調することはない。
 
● ANGERS は書籍も扱っている。川上弘美さんの日記があった。すでに数冊出ているようなのだが,そのうち2冊が並んでいた。
 ちょっとだけ立ち読みした。当然,公開することを前提に書いているわけだが,日記はこう書けばいいのかという参考にはなると思って。文庫にもなっているようなので,チャンと読んでみようかと思った。

● 来年から再チャレンジするかもしれない5年日記を書くときの参考にできればと思ったわけだ。
 が,特段,参考を求めずとも,自己流で好きなように書けばよろしかろうと自分に言ってやりたい気もする。

● 丸善丸の内本店。例によって4Fの文具売場のみ。買いたいものがあるわけではない。手帳売場を覗くことももうない。
 にもかかわらず,マタタビに吸い寄せられる猫のように行ってしまうわけだ。つまり,文具が好きなわけだが。

● 気になってみたのはロディア。気になるのがある。A6サイズのブック型のカバーだ。横開きのノートではなく,縦にめくって使うロディアを収納するためのもの(Amazonにはある)。
 A6であってもメモブロックを使うことはないと思う。ノートの代わりにはならないし,いわゆるメモをぼくは録らない。
 いや,メモはスマホに入力している。それで用は足りる。わざわざメモ帳を取りだして,ペンで書くということはこれからもしないと思う。

● なのになぜ気になるのかと自分でも思うのだが,こういうものを使っている人(使いこなしている人がどれだけいるのかは知らないが)を大したものだと思っていて,大なり小なり劣等感を抱いているからだろう。
 自分もそうなりたいと思っている。大したものというイメージを自分に重ねたいということ。そうはならない(なれない)とわかっているのだけれども,憧れも捨てきれないというわけだ。

● ともあれ。実物がないかと探したのだが,丸善にもない。ということは,そんなに売れていないのだろう。
 ロディアと言えば,やはり No.11 に代表されるA7の携帯用の小さなメモブロックだ。

● ぼくの感覚ではロディアは決して安いものではないのだが,そういうものを惜しげもなく浪費できるのも,ぼくにとっては “カッコいい” のひとつに入る。
 ロディア程度のものを惜しみ惜しみ使っているようではダメなのだが,ノートは安いものを使っている。大量に使うからだ。

● 気兼ねなく使えないと困る。ぼくの場合は,そのラインが Campus や測量野帳あたりになる。
 モレスキンやロディアのノートも持っているが,それらを先に使うことにはなっていない。安いノートから使っている。貧乏性のゆえでもあると思うのだが,気安く使えるのが一番大事なことで,そこは自分のモノサシに合わせるしかない。

● ロルバーンもぼくには高価なノートになるのだが,そのロルバーンを気安く大量に使う人も世の中にはいるようだ。その人の性格や経済状況によって色々だ。

● 丸善本店で野村重存展を開催中。こういうのを見ると,絵を描けたらなぁと思いますな。けど,「おとなの学びシリーズ NHK3か月でマスターする 絵を描く」も最後まで通せなかった人間だからなぁ。

● 東京駅地下のトラベラーズファクトリーにも,今日は多くの人がいた。ちょっとだけ,商品ではなくお客さんを眺めたのだが,ま,外見は普通の人だ。
 あたりまえだが,トラベラーズノートのファンだからといって髪型に特徴があったり,眼の大きさが違っていたりするわけではない。でも,熱心に製品を物色している様はなかなかいいものだ。

● トラベラーズノート本体は,ちょっと大きめの文具店に行けばある。ブラスペンシルあたりもある。
 が,トラベラーズファクトリーに来ないと買えないものもある。ステッカーであったり,チャームであったり,マステであったり。トラベラーズノート本体も,中目黒なり東京駅なり成田空港なりでしか販売していない図柄のものがある。

● ここはファンにとってはやはり聖地なのだろう。ぼくはトラベラーズノートのユーザーではないから,中目黒の総本山に行ってみる勇気はないが,東京駅のこの店は覗きやすい。
 そうして,トラベラーズノートに敬意を抱きながらも,使ってみる気にはなれないでいる。


(追記 2025.12.15)

● カランダッシュの缶ペンケースというのは,これのこと。薄いのが1,000円で,厚いのが2,000円。
 厚いのであれば,キャップを付けた状態の鉛筆数本,消しゴム,補助軸,定規,普段使いしている(携帯用ではない)ハサミ,鉛筆削り(三菱鉛筆の Palette),手帳用の4色ボールペンなど,自宅環境を詰め込むことができそうだ。

● 出先には鉛筆に代えてシャープペンを持って出ることにしているのだが,できれば出先でも鉛筆を使いたい。ぜひともということではなく,“できれば” ね。

● が,この缶ペンケースを買うことはない。自宅環境を詰め込むことのできる缶ペンケースをじつは持っている。それを使えばいい。児童用の絵柄のやつなんだけど。
 あと,“できれば” でいいんだったら,そのためにモノを増やすこともあるまいよ,という理由。

2025年12月5日金曜日

2025.12.05 ヤチョスキンは不可

● メルカリで測量野帳を購入。右側のはハトメパンチ出穴を開けられ,ゴムバンドを付けられていた(⇒ ヤチョスキン)。測量野帳になぜそんなことをするのか,ぼくの理解を越える。
 使いづらくてしょうがないので,ドライバーでハトメを外して,ゴムバンドを除去した。

● そういう野帳に厚みを加えてしまうような暴挙を,ワシは許さんぞ。野帳にはスピンも不要。紙ポケットも要らない。
 測量野帳をモレスキンもどきになぜしたがる? 元々使いやすくできているものを,なぜわざわざ使いにくくして使おうとする?

● モレスキンのゴムバンドは,あれでいいのだ。あれは間違いなくモレスキンの個性になっている。
 それもモレスキンにあれだけの厚みがあるからで,測量野帳で同じことをしたのでは夏に厚着をするようなものだ。元々が違うのだ。

● 黄色い人と白い人と黒い人では,化粧の仕方だって違うはずなのだ。何でも白い人の真似をすればいいというものじゃないはずだ。
 ノートも同じだと思う。それぞれの個性に所を得させよ。等し並に扱うな。

● カスタマイズという言葉がある。デフォルトで使うのではなく,自分が使いやすいようにひと手間加える。
 カスタマイズマニアというのも,ひょっとしたらいるのかもしれない。本当に使いやすくなるのかどうかはどこかに行ってしまって,とにかくデフォルトのまま使うことを潔しとしない人が。

● それはそれでありだと思うんだけども,ぼくはデフォルトをいじりたくないタイプ。できるだけデフォルトのまま使いたい。
 使いやすいように手を加えるのではなくて,それには見切りをつけて,自分に合うものを探そうとする。それゆえ,カスタマイズに辛い見方をしがちなのだとは思っている。

2025年12月4日木曜日

2025.12.04 鉛筆の芯は丸めて使え?

● 0.7㎜の鉛筆シャープ。芯は2Bを使用。シャープペンは鉛筆よりひとつだけ柔らかい芯にするのが吉かと思う。
 シャープペンは出先でしか使わないのだが,次回から0.9㎜に戻そうかとも思っている。0.7㎜に不満があるわけでは全然ないんだけれども,細字の0.7㎜から中字の0.9㎜に。

● 鉛筆もちょっと丸くなったら削ってた。小さい文字を書くので,基本,芯はトガらせる。
 けれども,芯のほとんどを削ってしまっているなぁ,鉛筆の芯は2㎜もあるのになぁ,こういう使い方でいいのかなぁ,と思ってはいたわけですよ。

● で,もう少し丸まった状態でも使ってみようかなと思って,実行している。太めの筆線も悪くないなと思っている。意識せずとも濃淡がでる。
 しかも,丸めると細い筆線で書くことはできないかというと,意外にそうでもないのだ。

● 鉛筆の芯が2㎜であることにも理由があるのだなと思う。鉛筆の長い歴史の中でこの形に落ち着いた。
 その形の一々に,言語化はされていないにしても,ちゃんとした理由があるのだろう。

● ともあれ,いわゆる味が多様に出るのは丸まった芯の方かもしれない。
 今までは鉛筆の良さを半分捨てていたかもな,って。何をおおげさな,とも思うんだけどさ。

● これは,しかし,硬度にも依るんで,硬い芯の方が丸めるのに向く。Bや2Bで同じようにやっても仕方がないという気がしないでもない。