が,他の鉛筆ならば,それでもクツワの補助軸だけは対応してくれた。9500でそれができないのは,9500の軸が細めだからだろうと思う。
ドイツ製の鉛筆だと尚更だ。スラスラと抜き差しできるほどになる。
● さて,困った。クツワでダメなんだから,他の補助軸は試す気にもならない。
唯一,ひょっとするとと思えたのが,Amazon で6本500円くらいで売られている中華製(たぶん)の安い補助軸だ。ダメモトで試してみたらビシッとホールドしてくれましたよ。
使わず仕舞いでいたんだけど,一宿一飯の恩義ができた。これからは時々は使ってやることにしよう。
● ともあれ,これで9500も最後まで使える。助かったぁという気分。
台座があと1㎜あれば,クツワで問題なくホールドできる。クツワに慣れているので,次はあと1㎜残そうかと思っている。
クツワの方が持ちやすい。グリップ部が2㎜ばかり長いのだが,この2㎜が効いている。あと,グリップと本体軸の段差が少ないこと。
● が,“慣れ” がこちらを縛る要因になるのも面白くないっちゃ面白くないんだよね。この伝で言うと,こだわりというのもあまり持たない方がいいと思う。こだわりを持つのはいいことだとする風潮もあるけれども,放っておくと人はこだわりを持ってしまうものだ。こだわりを持つのに努力は要らない。こだわりというのは脊髄反射が作りあげるもので,考え抜いた末に生まれるものではない。
こだわりを持たずにいるためには,知的な努力を要する。少なくとも,自分を監視するもう一人の自分を飼っていなければならない。
● 考えた末の結論より脊髄反射の方が正しいというのはしばしばあることで,むしろ考えるなんて時間の無駄である場合が多いとも思うのだけれども,自分のこだわりが自分を縛る。縛られるに値するこだわりがこの世にあるのかといえば,ぼく一個は懐疑的だ。
こだわりはある種の快を生むので,嬉々としてこだわりに縛られる方を選ぶ人が圧倒的に多いだろうが,圧倒的多数は常に必ず間違っているものだ。特に根拠はないのだが,ぼくはそう思っている。多数決で決するのが正義であるのは,政治だけ。









