2026年4月26日日曜日

2026.04.26 鉛筆復権はあるか?

● 外に持ち出すのは北星9500のHB。ぼくの好み基準だが,北星ならHBで良し。三菱やトンボはダメかというと,Bを使えばいいだけのことではある。
 北星なら9500,三菱なら9800,トンボなら8900の水準が高すぎるので,その上のランクの製品を使う必要を感じさせないといったことがあるのではないかと愚考する。

● メーカーはどう対応するのか。何の情報も持たない素人があれこれ詮索しても仕方がないのだが,海外展開といっても日本のメーカーが価格で勝負するには限界があろうし,かといって,国内ユーザーの絶対数を増やすのはそれ以上に困難だ。
 現在の鉛筆ユーザー層がどうなっているのか知らないが,1ヶ月に1回以上鉛筆を使ったことがある人が年代別にどのくらいいるのか,統計はないのだろうか。ないのだろうな。

● “書く” よりも “描く” 方に向かわせたいと,供給側は思っているのだろうなと感じることもある。鉛筆を一般筆記用の道具のままにしておくよりも,画材として認知し直してもらいたい,と。
 銀座伊東屋ではすべての鉛筆を7階の画材売場に移している。ANGERS はセレクトショップで,上記のような鉛筆は取り扱っていないが,他の画材と一緒に扱っている。

● “書く” よりも “描く” 方が多くの道具を必要とする。“書く” がモノクロなら “描く” はカラーだ。パソコンに保存する場合だって,テキストより画像の方がずっとデータ量が多くなる。
 人類が言語を獲得する以前は絵で情報を伝えることがあったのだろうか。ラスコー洞窟の壁画は,伝達のためではなく作品として描かれたもののように思えるのだが。音声以外に限れば,伝達よりも芸術の方が先だっただろうと,埒もないことを思ってみたりもする。

● “描く” 人が増えてくれるといい。鉛筆復権の鍵はそこにあるかもしれない。
 が,これもなかなか容易ではない。ぼく自身がそこに行こうとはしていないから。
 本気でそこを目指すのだとすれば,才能がないからやめておく,を取り払う必要がある。上手下手を一切介入させないことが必要だ。評価無用。

● ところが,供給サイドは鉛筆画コンクールを一生懸命にやっている。それでは頂点は高くなるかもしれないが,裾野は広がらない。
 頂点を上げる仕組みは別にある。その四番煎じや五番煎じを試みても仕方がない。では,何をすればいいのか。わからない。

● ぼくは数十年の時を超えて鉛筆に戻った口なのだが,使ってみれば鉛筆は筆記具としてとんでもなく良くできていることがわかる。が,良くできていることを実感するにはある程度は使い込む必要があってね。
 話がまとまらないが,そういうことだ。

2026年4月25日土曜日

2026.04.24 日記と「モーニングノート」

● 吉村萬壱さんの 𝕏 のポストを見ましてね。凄いものだと感じ入った。
 吉村さんは芥川賞作家でもあり,多くの原稿を書いているはずだが,それ以外に中紙100枚の B5 Campus を4カ月ちょっとで使い切るくらいの日記を書いているのだ。原稿も手書きなんだろうか。

● 自分の場合は 𝕏 へのポストが日記代わり,とリプしてる人が結構いるのだが,それは違う。SNSへの投稿は日記にはならない。ログを残すことと日記を書くことは,全然別のものだ。
 SNS への投稿は自分でも何度か読み返すのではないか。日記というのは書いたら終わり。読み返すことはほぼない。けど捨てられない。その何とも形容しがたいモヤッとしたところが,つまりは日記というものだ。

● ここから自分に引きつけて言うと,日記を読み返す気にならないのは,そこに自分の吐瀉物が残っているからだ。汚いものを何でわざわざ目に入れるのか。
 𝕏 へのポストを見返してしまうのは,ひとつには短い文章だからというのもあると思うけれども,毒にも薬にもならないことしか書いてないので,抵抗なく読めるからかねぇ。

● リアルのコミュニケーションでも同じですよね。毒にも薬にもならない,どうでもいいことをやり取りしているから,コミュニケーションがコミュニケーションたり得ている。
 どうでもいいことではないことをやり取りしなければならないとなると,大なり小なり緊張を強いられる。場合によっては胃が痛くなるような状況になる。

● 日記は時にそうなることがある。そういうことを書くこと自体が相当なエネルギーを要するので,本当に辛いときには日記も手帳も空欄になることが多いのだろうけど。
 SNS がゴミの山と化すのも,それが理由のひとつだと思う。コミュニケーションに快を求めれば,やり取りする内容はどうでもいいものにならざるを得ないものでしょう。

● 無理に日記を書く必要など全然ないと思う。が,吐きたいときには吐いた方がいい。吐きたくないときでも,脳内にあるものをすべて外に出すとスッキリするという効果はたしかにある。
 その際,キーボードで悪い理由はないのだが,手書きの方が吐きやすい気はする。

● で,吐き切るためには,書くことはもうないとなってからどれだけ粘れるか,が勝負だ。それこそ無理にでも捻り出す。量を出さないといけない。
 これって疲れるから(疲れるけれどもスッキリする。疲れずにスッキリしようとするのは虫が良すぎる),毎日やるのは無理だと思うんだけど。
 しかも,あまり時間をかけては意味がない。短時間で勢いよく吐き切らないと。それがぼくはできないんですけどね。

● 同じ理由で,これをやるには普通のノートに限る。日記帳のレイアウトになってるものではスペースが制約される。
 あんなものを使って書くくらいなら書かない方がいいかも。ただし,連用日記はスペースが揃っているところが味噌だから,また別の話になる。

● 粘らなきゃいけないんだけれども,時間をかけすぎてもいけない。ここが厄介ですかねぇ。そうして,書いたものは読み返さないと決める。
 だったら使い終えたノートはさっさと捨てればいいようなものですが,それができないところが,また,何というのか,摩訶不思議なところだ。

● ただし,吐きだすことを重視すると,日記というよりジュリア・キャメロンの「モーニングノート」に近いものになる。
 「モーニングノート」は新参者で,日本語で日記というときには,自分を文人に見立てて,1日のよしなし事とそれに関する自分側の事情をサラサラと書いていくものというイメージになるだろう。しかも,和歌や俳句が咲き競う国の日記なのだから,あまり長ったらしいのはいけない。短いのが好まれる。
 それゆえ,以上に述べ来たったところは,「日記」にはあてはまらない。先に「自分に引きつけて」と申しあげた所以だ。

● 「モーニングノート」は,頭にあるものをA4ノート3ページに書いて吐き出すというものだが,これを毎朝やるというのだから,実行できる人は超人だと思う。
 A4ノート3ページ書くなんてのは,年に1回でもできないんじゃないか。しかも,毎朝,出勤前にやるのだ。そんなことができるのは並みの人間ではない。

● 限られた時間にそれだけの量を出すには,ペンを止めてはいけない。ペンを止めないためには考えてはいけない。
 書くことの内容をいちいち評価づけてはいけない。感情移入してもいけない。自分の頭の中にあるものを他人事のように捉えてないといけない。
 頭の中をスッと見ていなければいけない。力まないでスッと。そうして,頭の中にあるものをひたすら吐き出すことに集中する必要がある。

● たぶん,慣れや慣れによって得られるコツのようなものもあるんじゃないかと思う。だからまずはやってみろ,となるのだろうけれども,A4で3ページですよ。
 これさぁ,アルファベットで書いて3ページなら,かな漢字混じり文の日本語の場合は半分の1ページ半でいいことにしませんか。

● 英語の LOVE は愛ですよ。FAMILY は家族ですよ。4文字を1文字,6文字を2文字で表記するんですよ。アルファベット1文字は1バイト,日本語の1文字は2バイトでしょうよ。𝕏 の文字数制限でも,日本語は140字だけど英語は280字でしょうよ。しかも,アルファベットは横長に引っ張ろうとすればいくらでも引っ張れる。
 日本語で書くのにA4・3ページをそのままにしておくのは,配慮にかけるんじゃありませんか。

● A4で1ページ半でも,A6だと6ページになる。毎朝,A6に6ページも書けるか。こうした量勝負に,日本人の多くはシラケてしまうんじゃないのかなぁ。意味と効用は理解するけれども,と。
 紀貫之の『土佐日記』以来,日記は短いもので,感情は露にするのではなく,抑えめ,控えめに表現してこそ,読み手に強く伝わる,と日本人は思ってる。

2026年4月23日木曜日

2026.04.23 新スマホ,使い初め

● スマホを買い替えた。15日に Motorola の g66j を Amazon でポチって,16日に届いた。
 なんだけども,データの引継ぎが億劫で,今日まで開封もせずに放置。さすがにこれ以上はというわけで,今日から新スマホに移行することにした。

● アプリを入れ直す手間はないのだけれども,面倒くさいね,この作業。トップ画面のアプリの並びはあとから調整しなくてはならないし,メーカー独自のアプリが入ってしまうし(削除できないものもある),いちいちイラつくことが多い。
 引き継げないアプリもある。Google Play ストアじゃないところからインストールしたアプリは引き継がれないんでしょうね。セキュリティーの観点から納得はできるんだけれども。

● “Waaaaay!” は引き継がれなかった。方向音痴を救済する神アプリだったんですけどね。
 “Waaaaay!” って iOS にしか対応しなくなったんですか。Android 対応のものはなくなったっぽいんですよ。
 方向音痴なんて iPhone ユーザーにしかいないよ,ってことなんですか。Android ユーザーはもっとハシハシしてるでしょ,ってか。

● 𝕏 の下書きに入れておいたのも消えていた。旧機種を起ち上げて,Google Keep にコピーした。
 「ツイメモ」も使っているのだけれど,これもクラウドに保存されるのではなく,端末に残る。Googleバックアップでは掬えない。アプリの中でバックアップ処理をしなくちゃいかない。当然,そうなりますか。
 LINE のトークは消えてしまっても構わないから,特段の手当はしなかった。これはフローの典型だものね。リアルの声による会話に近い。声は出すそばから消えていくが,LINE のトークも残すものではない。

● LINEってさ,左の写真の LINE ギフトだの,LINE◯◯だのを表示するなとは言わないけどさ,いちいちトップ画面に未読数として表示するのはやめてくれんか,と思ってました。
 これって,表示しないように設定することもできるのかい? それをやると,電話がかかってきても知らせてくれないなんてことにはならないのかい?
 でも,できるんですね。恥ずかしながら,ぼくが知らないだけでした。これを表示させないようにできたのは収穫ですよ(本体をタイムラインに出さないようにするのは無理ですよ)。
 ちなみに,LINE はよほど親しい人限定で使うのが吉ですよね。単なる友人と LINE でつながるなんてのは阿呆のやることだよな。そんなことをするくらいだったら,友人なんかいない方がいいと思うわ。

● モバイル Suica やゲームはアプリごとに手続きが必要になるしね。何でもスマホに入れると,買換え時の手間が増えますな。
 チャチャッとできるようになってくれんか。昔はこういう作業を楽しめたのだが(昔のパソコンはOSからインストールしたんだもんな,フロッピーディスクで),年を取るとダメだ。iPhone ユーザーの奥様が仰るには,iPhone は簡単よってことなのだが,本当かね。

● ただ,面倒くさいがゆえに,アプリの見直しをするのにいい機会になるかもしれない。あまり使っていないアプリはこういう機会に削除するといいんですよね。
 引っ越しと同じです。不用品をまとめて処分する機会になります。

● ともあれ,新スマホに移行しましたよ。何台目になるかね。最初に買ったとの,2代前のまでは憶えてるんだけれども,その間はほぼ記憶が溶けかかっていますな。
 6.7インチディスプレイは自分史上最大画面。それによる使いやすさ,使いにくさは特に感じない。重さも Xperia 10 よりもズシリと来るのだが,だからといって何がどうということではない。

● ステレオスピーカーも今はあたりまえになっているのでしょうね。ミドルレンジというよりローエンドの g66j でもステレオスピーカーなんだもんな。
 スマホで音楽を聴くときには,BT スピーカーに飛ばしてるが,You Tube で昭和歌謡を聴くときにはスマホ単体になる。そういうときには何気にありがたい。
 ローエンドでもステレオスピーカーってのは凄いですよ。スマホはモノラルだから音楽を聴くときはイヤホンを使え,というのが最近までの常識たったんじゃないですか。

● 新しいスマホはバッテリーが保つ。これなら1日中フルに使っても,バッテリーの心配は要らない。元気がいい。青春時代のスマホだわ。
 いいスマホとはつまり,バッテリーが保つスマホのことだな。3万円の安いスマホです。ワタクシメには充分過ぎる。

2026.04.23 洋菓子店で鉛筆をもらった

● 地元の洋菓子店を発見。家からけっこう近いところにあった。
 目立つ看板が出ているわけでもないので,車で動いていると発見不可能。通り過ぎてしまう。歩かなきゃいかんね。

● モンブランとチーズケーキを買った。2つで800円。
 洋菓子店なのに柏餅と草餅もあってね。柏餅も2個買いましたよ。1個140円。

● その店のレジに鉛筆がどっさり置いてあって。ご自由にお持ちください,と。1本もらって来ましたよ。
 三菱のHBでオムロンのノベルティ。〄が印字されているので前世紀に生産されたもの。

● それがなぜ洋菓子店に? 色々と妄想してみる。妄想は自由だからね。
 と言っても,そんなに突飛な妄想ができるわけでもなくて,このファミリーの中にオムロンに勤めていた人がいたんでしょう。
 あるいは,ファミリーの中にぼくのような鉛筆党の党員が発生してしまって,彼が集めた益体もないものをお客に配っているんだろうか。捨てるよりはマシだろうというわけで。

● 元になっているのは8800だろうか。三菱鉛筆の軸は国産鉛筆の中で最も太い。太さを付加しないでそのまま持つことに違和感がなくなってきている。
 三菱鉛筆のHBは,ぼくには少し硬くて薄い。少々,物足りない。

● しかし,このあたりも所詮は慣れの問題なのだろう。使い続けるうちにこれが普通になるに違いない。これくらいの黒さがちゃうどいいと感じるようになる。
 現在の自分の好みには合わないけれども,好みなんてものはわりかし簡単に変わるものだ。1年後も同じ好みだとは限らない。自分の好みをかまり強固なものとして捉えない方がいい,と思っている。

● 今は鉛筆のノベルティ自体がなくなっている(ような気がする)。少なくとも,中学生になると鉛筆を使う人はグッと減るから,鉛筆はノベルティの対象として選ばれなくなっているだろう。小学校の構内行事の記念品に鉛筆が選ばれることも減ってるのじゃないか。ノベルティとして最も多いのはボールペン。三菱鉛筆のジェットストリームとぺんてるのビクーニャなんじゃないかね。

2026年4月21日火曜日

2026.04.21 那須烏山市で鉛筆を買う

● 那須烏山市のベイシアの文具売場を見ていた。ら。北星の9500があるじゃありませんか。
 「大人の鉛筆」以外の北星製品をリアル店舗で見かけることはほぼないのに(ダイソーに “かきかたえんぴつ” があるが。ま,Amazon でポチればいいんですけどね),烏山で見かけるとは。

● HBと2Bはたんとあるので,Bを買いました。3本セットで159円(+税)。
 「東京えんぴつ」です。トンボははるかベトナムで作るようになったし,三菱も工場は帝都にあるわけじゃない。MADE IN TOKYO は一定程度アピールするかもしれません。

● 使ってもらえさえすれば,リピーターが生まれるはずだ。
 他社より優れているという言い方ではなく,独特の風合いがあるのでね。ウマが合う人は合うはずなんだよね。

● このベイシアには Seria が入っている。その Seria で,10本で110円の鉛筆を購入。しかも,ゴム付き。
 同じゴム付きの国産鉛筆の4本セットがダイソーにあって,そちらも安すぎると思っているのだが,中華製なら110円で10本のゴム付き鉛筆が買えるわけだ。

● 前に使ったことがあるので使い勝手は知っている。中華製だからダメ,じゃないんだよね。っていうか,Hi-uni からこちらに換えてもさほどに段差は感じないんだよね。
 日本人と中国人は書き味の好みが似てるんだろうか。そのあたりは知らないけれども,日本人の好みをよく研究してるなという印象を受ける。滑らかさの追求だな。
 目隠しされたら国産鉛筆との区別はつくまいよ。その程度の仕上がりにはなっている。

● 中国の鉛筆メーカーが日本人の好みを研究しているというより,販売元である野府産業㈱の意向が反映されているということか。
 ともあれ,この鉛筆のダメなところは,今のところ,見つからない。

● ただし,この中華製,軸がかなり細い。ドイツ製より細い。ドイツ製のバレットキャップも使えないくらい細い。板バネを仕込んでいる北星のペンシルガードでもちょっと厳しい。使えるキャップはない。
 パイオニア製の樹脂製補助軸ではホールド不可。が,それ以外のあらかたの補助軸は使える。
 結局,この鉛筆は家で使うしかないと思うのだが(外に持ち出すには向かない),家で使う分にはいたって快適に使えるんですよ。

2026.04.21 大学と鉛筆

● 断メルカリがなかなかできなくて,こんなのをポチってしまった。FABER-CASTELL 9000番のデザインセット。800円だった。
 5H〜5Bの12硬度のセットなのだが,神戸芸術工科大学のオリジナルセットのため,2H-H-H-F-HB-HB-B-B-2B-2B-3B-4B となっている,とある。

● ドイツ製の鉛筆と国産鉛筆とでは,同じ硬度でも2〜3段階ほど異なる。ドイツ製の方が硬くて薄い。
 国産鉛筆のHBはドイツ製鉛筆だと2Bだと思えばいい。同じHBだからと,ドイツ製鉛筆のHBを使うと,Hか2Hに感じる。

● このデザインセットを国産鉛筆の硬度に置き換えると,4H-3H-3H-2H-H-H-F-F- HB-HB-B-2B になるのだが,大学側は FABER-CASTELL の硬度表記を国産鉛筆と同じ内実を表すものと見なしているんだろうか。
 そういう疑いを抱くわけね。だってねぇ,4H-3H-3H-2H-H-H-F-F- HB-HB-B-2B なんて,通常はあり得ないじゃないですか。2H-H-H-F-HB-HB-B-B-2B-2B-3B-4B ならわかるけど。

● 出品者様はこの鉛筆セットをあまり使わなかったご様子なのだ。この大学の学生だったのだとすると,ほとんど勉強しないで卒業したことになりそうだ。
 実際にはそうではなくて,別の鉛筆を使ったのだろう。このセットは硬すぎて使えなかったのではないか。

● 大学側が用意して学生に与えているのであれば,こういう初歩的なミスをしてはいかんだろう。学生に迷惑をかけている。
 それとも,“芸術工科” の分野ではこの硬さがあたりまえなんだろうか。そんなことはないと思うんですよねぇ。

2026年4月20日月曜日

2026.04.20 Hi-uni の3本入りプラケースから

● 2年前の今頃,メルカリで3本入りの Hi-uni のプラケースを買ったんですよ。というか,買った鉛筆の中にこのプラケースが紛れこんでいたわけなんですが(その後,コーリンの Hi Pierce の3本ケースも手元にやってきた)。
 外出のとき,けっこう便利に使えるんじゃないかと思ったんだが,そうでもないんですわ。今のところ,使い途が見つからない。たぶん,用途はない。

● ところで。この3本入りのプラケースに入れて売られたのは,発売初期に限られるんですか。中に入っていたのは初代の Hi-uni ってことですか。
 だから何だってことじゃないんですけどね。現行品を使えばいい話なんで。初代とか初版に価値を見出そうとするのは,人間の脳の癖でしかないだろうからね。

● Hi-uni の初代を問題にする人はあまりいないけれども,uni の初代は話題になることがある。
 プラスチック製のダース箱のヒンジ部をアルミ板で補強していて,それは手作業でやってたんだよ,というのとセットになってるわけね。

● 初版本マニアは今でもいるんだと思うんですよ。第1刷じゃないとヤダという,幼児的と言ってはいけないんだろうけど,玩具をねだってダダをこねている子供みたいなやつ。
 これがけっこういろんなところにいるんでしょうよ。

● コレクションというのは幼児性の上に立っている趣味かもしれないよ。そいつが世界有数の大富豪だったりすると,コレクションが文化財になったりもするのか。公が保存に乗り出してくることもある。
 しかし,並みの個人がポケットマネーで集めたものなんて,その99.99%はガラクタに過ぎない。

● 自分が死んだあとはどうすればいいかなどと考えるのは余計なことだ。そんなことを考えるだけの値打ちなんかないからね。散逸して処分されて終わり。そうなるのが相応しいものなんだよね。
 自分が生きている間だけのささやかな楽しみ。それがあなたのコレクションです。

● けれども,人間とは強欲なもので,あるいは思い上がりが天井知らずなもので,つまり,詰めて言えばバカなものだから,自分のコレクションには価値があると思ってしまうんだな。思いたいのかもしれないんだが。
 それは,自分には価値があると思いたいのと “=” か “≒” なんだと思う。なので,あなたのコレクションに価値はないと言われると,自分に価値がないと言われたと受けとめるんだろう。
 そのうえで言わなきゃいけない。あなたにあなたが思ってるほどの価値なんかないよ。あたりまえじゃん,あるわけないだろうよ。

● って,Hi-uni の3本入りプラケースから何でこんな話になってんだ?
 まぁね,自分も同じだな。脳の癖だとわかっていても,初代や初版に引っかかってしまうし,集めグセがあるよなぁ。

● ただし,本格的にはヌマらないので,自分が集めたものに価値などないことはわかっている。手放すのに抵抗はないかもしれない。
 こなあたり,ものは言いようなのだが,コレクションさえできないつまらない男でもあるわけですよ,ぼくは。