が,もう1本出てきたので,8本体制になった。
● しかし,鉛筆の芯って減らないな。もっと小気味よく減ってくれんかな。
使いかけ鉛筆はまだまだあって,次は2B,HB,と使っていく予定なんだが,使いかけ鉛筆だけでぼくの人生は終わりそうだぞ。
それでも鉛筆ってなかなか減ってくれないねぇ。児童生徒は途中で鉛筆を失くしたりもできるんだろうけど,年寄りにはそれもできない。
● 鉛筆を使うようになって感じること,もう一点。
文字を “書く” だけなら,鉛筆は小学校低学年用の “かきかた鉛筆” で充分だ。トンボ8900や三菱9800なら何の不足もない。その状況で,Hi-uni や MONO100 に誘導するのは難しかろう。
普及品の硬度の幅を狭めて,Hi-uni や MONO100 に行かざるを得ないようにする方策が有効なのは,“描く” ために鉛筆を使っている人に対する場合だ。
● メーカーも販売店も,“書く” 人よりも “描く” 人が増えてくれた方が,ありがたいはずだが,鉛筆の使われ方はすでに “描く” がメインストリームになっているなのだろうな。
伊東屋が鉛筆はすべて7Fの画材フロアに集めているが,それで正解なのだろう。
● となれば,業界としては,画才のないヤツをいかにその気にさせるかが重要課題となる。メーカーはとっくに色々やってますわね。そのための努力をしている。
才能がないのにその気になっちゃってるのも,佃煮にするほどいると思う。その佃煮たちがメーカーや販売店の社員を養っている。
● この構造はジャンルを問わず同じ。裾野を広げるとはそういうことで,佃煮たちがいてくれないと,世界が干上がってしまう。
佃煮たちもけっこう楽しんでいるんだから,この世は調和に満ちているのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿