● 予定どおりまたダイスキンを使っている。予定どおりだから何の問題もないし,それを見越して大量に在庫も買い溜めたわけだ。
順調にダイスキンを消費できているわけで,われながら慶賀の至りだ。
● ダイスキンに何の不満もない。が,そろそろ浮気の虫が疼いてきた。他のノートも使ってみたくなるわけだ。
今までの経験からすると,他を使うと早々にやっぱりダイスキンがいいなぁと思うことになる。さっさと使い切ってダイスキンに戻りたいよ,と思うわけだ。
● そういうことはわかっているんだけど,ずっと同じものを使っていると,やはり飽きはくるね。その飽きはやはり解消したほうがいいのだと思う。
ときどき,飽きを解放しながら,結果的にずっとダイスキンを使い続ける。それがたぶんベストというか,それしかないというか。
● かといって,“他”は何でもいいわけではない。モレスキンはもう使いたくない。セリスキンも方眼タイプがあと1冊あるんだけど,それを使うのもしばらく先でいい。
いわゆる高級ノートはぼくの肌には合わない。いろいろあるけれども,いずれも使うことはないだろう。
普及品のほうが安心して使える。コクヨのCampusが典型的。
● 個々のユーザーはどうあがいてみても愚かに違いない。言っちゃなんだけど,ひと昔前のMacユーザーにそのことを感じることがあった。バカほど目立つモノを使いたがる。
モレスキン社のイベント(ネットでもリアルでも)に蝟集する人たちの様にも同様の感想を持つ。
● が,ユーザーの集合体はこのうえなく賢いと思っている。不思議なんだけどそういうものだ。
選挙だってそうだ。個々の有権者が実際に政策の違いを理解して投票しているのかどうか,相当に疑問だ。が,有権者の集合体は妥当な判断を示すことが多い。民主党に政権を委ねてしまうような,取り返しのつかない失敗をときにすることがあるにしても。
● ので,ぼくとしては,集合体としてのユーザーに付いていきたい。Campusがこれほどに売れているのは,集合体の選択による。
であるならば,その選択に間違いはないはずだ。いや,間違いの可能性がゼロではないにしても,一部の人たちが熱狂している製品を選ぶよりは,ずっと安心できる。
● おまえには主体性というものがないのか? が,購買行動においては,主体性はバカの源でもある。
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