2020年12月6日日曜日

2020.12.06 タスク管理とかToDoリストとか

● NOLTYにタスク管理優先というシールがかけられた商品群がありますよね。メーカーがタスク管理優先型とメモ充実型に分けているだけなのだけど。
 でもさ,「タスク管理優先」という言葉を見ると,ぼくはもう退職してる身の上なのに,胸が苦しくなってきてさ。

● 細かいところまでゆるがせにしないでタスクをこなしていくって,胃が痛くなるような作業だよね。自分オンリーですむんだったらまだいいんだけど,たいていは相手がいることだから,早々上手くいくわけもなし。
 仕事を部活みたいに捉えてゲームとして没頭できる人はいいんだけどさ,そんなヤツはごく一部だよ。多くの人にとっては,仕事は苦痛。
 タスクとかToDoっていう言葉は,その苦痛の代名詞になっちゃってるんだよね。ぼくの場合はだけどさ。

● 今どきの手帳ってA5とかB6とか,A4,B5まであるし,大型化してるっていうか,たくさん書けるようになってるじゃないですか。システム手帳がブームになったのは前世紀のことだから,大型化はだいぶ以前から進行しているんだけど。
 最近では(って,これもずいぶん前からだけど)1日1頁タイプが完全に市民権を獲得している。

● 野口晴巳『能率手帳の流儀』によると,能率手帳が一般販売された1958年頃は,能率手帳の大きさでも「大きい」と受けとめられたらしい。そんなに何を書くのって思ったわけでしょ。
 小津安二郎が映画に残しているのが,その頃の世相だ。小津映画に登場するサラリーマンたちはかなり優雅に暮らしている。やたら,会社仲間と高級そうな割烹に行き,のべつ煙草を吸っている。サラリーマンがエリートだった時代かもしれないが,のんびりしているよね。時間の流れがゆっくりしている。

● 当時と今とでは,仕事で許されるアバウトさが大きく変わっているんだろうね。つまり,アバウトが許されなくなっている。ゆえに,手帳に求められるものも変わってきたのだろうし,手帳「術」も多く語られるようになった。
 予定調和はあり得ないんだから(一寸先は闇),アバウトさを許容しないと,世界はストレスで飽和してしまうんだけどねぇ。
 昔のサラリーマンが小津映画のペースでやれていたのだったら,今だってそれでいいじゃないかと思いたくなる。大判の手帳を使って細かくタスク管理をしなきゃ仕事を回せないなんて,そもそもがおかしいでしょ。仕事ってそれほどのものじゃないでしょ。

● と言っても,そうはいかない。こういうことじゃないかと思っている。小津映画の頃は日本は貧しかった。あそこに描かれているサラリーマンは都会限定で,地方の風景はまるで違った。
 地方では農業が主要産業で,日給で日雇いに出たり,日給月給制で仕事に出ている貧しい層が膨大にあった。言うなら,彼らに支えられていたから,サラリーマンはのんびりと仕事をすることができた。
 今は中央と地方の経済的な二重構造は解消され,サラリーマンが最も分厚い層になった。要するに,大衆が豊かになった。豊かになった大衆を支えてくれる貧困層はもはや存在しない。自分たちで何とかするしかない。
 それが手帳の大型化,使い方の精緻化となって現れているのじゃなかろうか。

● すると,この細密な仕事管理という憂鬱な作業を,未来永劫続けなくてはいけないのだろうか。たぶん,そうではないと思う。
 人間がやっている仕事の多くを,AIとAIが制御するロボットがやるようになるだろうからだ。そうなった暁には,人は手帳から解放されるのじゃあるまいか。
 ただし,一定以上にいい暮らしをしたいと考える人は,今と同じように働かなければならない。また,収入や暮らしに関係なく,自分にストレスをかけるのが好きな人が,必ず一定数存在する。そういう人から手帳を取りあげたら病気になる。

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