● 昭和の60年頃,ワープロというものがお目見えしたとき。これは秘書を3人雇ったようなものだと言われた。文書を作って,「憶えといてね」とフロッピーに保存すれば,間違いなくいつまでも憶えていてくれる。
必要なときに「持ってきて」と言えば,いつでも引っぱりだして編集できる。その結果もまた,保存しておいてくれる。絶対にミスをしない。
● ワープロによって書くという行為が楽になった。文筆を業としている人の中にも,ワープロがなければ自分は書くことを業とすることはなかったと思っている人は,けっこうな数いるのではないか。
後からいくらでも並べ替えができるので,順不同で書けるようになった。思いついたところから,書けるところから,書いていけばいい。
そこからのことは秘書がよろしく処理しておいてくれる。こうしたことは,生身の秘書には頼みづらいが,電子秘書なら文句も言わずやってくれる。
● パソコンの普及期にも同じことが言われた。スケジュール管理ソフトが現れたときには,まさしくそのものズバリという感じだった。
前世紀の終わり頃,Sidekick95 の使い勝手の良さに惚れ惚れしたものだが,今ならGoogleカレンダーが痒いところに手が届く,よくできた秘書になってくれそうだ。
さらにいえば,音声入力が可能になっているのだから,口述筆記までやってくれる秘書を誰もが持つことができるようになったわけだ。
● これから,AIが人間の仕事を奪うと言われているが,すでに,たとえば司書はコンピュータに取って代わられたと言っていいだろう。
経理事務もコンピュータがやってくれるようになった。税理士や会計士は余るようになった。ああいう後ろ向きの仕事に優秀な人材を充てなくてもすむようになったのは,素晴らしいことだとぼくは思う。
秘書という仕事もコンピュータがだいぶ肩代わりするようになっているだろう。大企業の社長や会長に秘書が付くのはステイタス以外の意味はなくなるのではないか。生身の秘書は個人の召使い,御用承り,無聊を慰めるための存在となり(もう半ばなっているのかもしれないが),秘書など抱えているのは暇人だというのが世間の見方になるかもしれない。
ただし,雑用を処理してくれる人は必要だ。じつは,昔から秘書の仕事はそれだったのかもしれないのだが。
● たしかにIT技術は個人ができることを拡大してくれた。PCやスマートフォンは能力を拡大してくれる装置だと言える。ということは,能力格差が大きく広がったことを意味するのでもある。
もともと能力がある人はそれを何倍にも拡張できたが,もとがゼロならいくら拡張してもゼロのままということだ。最初の数値が高いほど,乗数効果は大きくなる。
● ということとは別に,男性誌が秘書を特集すれば,必ず売れる。男性にとって,秘書を持つのは最大のステイタスなのだ。
その場合の秘書とは,いわゆる美人秘書のことなのだよね。アホだね。
いいかね,その種の秘書を持つのは,自らを不幸にするということだよ。決定的に大きいのは行方不明になる自由を失うことだ。とりわけ,結婚して奥さんがいる男性が秘書を持ちたがるのは,じつに全く理解に苦しむ。
● 結局,手帳を上着の内ポケットに忍ばせておくくらいがいいのじゃないか。能率手帳じゃなくてもいいけれども,手帳にスケジュールや備忘録を書いておいて,これが自分の秘書だと思えるくらいの方が,生身の秘書を持つよりも(そういう境遇や立場になってしまうよりも)ずっと幸せだと思うよ。
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