はい,ご賢察のとおり。これはノベルティなんでした。総務庁統計局の。たぶん,昭和の末か平成の初期。
下の2本は三菱。同じところのノベルティ。
かえって環境負荷を高めていないか。リサイクルだのリユースだの,リが付くものは眉にツバを付けて見ろ。“エコっぽいもの” は胡散臭い。
● この鉛筆がそうだとまで言うつもりはないけれども。
少なくとも,再生紙を使って,木と同程度の硬さを確保し,鉛筆削りで削れるようにしてあるのは,大したものではありますよ。
● 不揃いの芯たち。この風情は好きだ。鉛筆の魅力の1つはこれだ,と思うほどだ。
ぼくも小学生の頃は芯をこんなふうにしてたと思う。今は頻繁に削り揃えてしまう。
● ただし,こういうことは言えるのじゃないかと思う。頻繁に削り揃えることができるのはハンドル式の鉛筆削りがあるからだ。カールのエンゼル5を使っているが,他に2つある。
小学生の頃に芯の多様性を現出させていたのは,鉛筆削りがないのが理由だった。親は忙しくて子供の鉛筆にまでは目が届かなかった。
● なぜ鉛筆削りがなかったのかといえば,田舎のこととて売ってる店がなかったためでもあるが(何せ,文具を商ってる店は小学生の隣にある萬屋だけだったのだ),貧乏で鉛筆削りなど買えなかったからだ。今でいう携帯用のは買ったのだけど。
あの頃,芯の多様性を現出させていた主たる理由は貧困にあった。歯で木軸の先端を噛み切って芯を出した記憶もある。
時間的空間的に古きを辿って,第2のキャロライン・ウィーヴァーになってもつまらん。現行品には鉛筆数百年の歴史がすべて詰まっている。あとはこちらの想像力の問題だ。
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