2025年11月3日月曜日

2025.11.03 A6 ノートカバー

● A6 Campus を鋭意使用中(?)なんですけどね。カバーもいくつか持っておりまして。
 使わないでとっておいても仕方がないので,Rollbahn のものを使ってみることにしました。いつだったか,Ecute 品川の Smith で買ったもの。

● ペンホルダーが付いてるんですね。こういうものは基本ない方がいいんですけどね。段差を作っちゃいますからね。末尾に近づくと書きづらくなるでしょうね。
 強いていうと,ペンホルダーとしてではなくて,栞の代わりになるかもしれない。書き差しのページに潜り込ませておけば。中紙48枚のノートにそんなものは要らんのですがね。

● でね,1日も経たないうちに,コクヨのクリアカバーに戻しましたよ。差込み口の幅(長さ)を始め,アソビの設定が絶妙なんですな。痒いところに手が届くのはコクヨの方。Campus に特化してるんだから当然?
 カッコいいのは DELFONICS なんでしょけど,表紙の意匠を見えなくしちゃうのも難。カバーは基本,透明ビニールでいい。

● 安い Campus を革カバーに挿しても意味がないしね。安いものを高級品に見せるってこと,今の人はたぶん,しないんじゃないかな。
 あの発想は,貧困社会が前提にあって何とか成立するものだものね。世の中には革好きもいるから,全部が全部,そうではないんだろうけど。

2025年11月2日日曜日

2025.11.02 連用日記への熱が消えた件

● 11月29日。ここ数日気になっているのが,連用日記に再びトライするかどうか。万年筆で書く機会を作りたいというのが,主な動機だ。
 新規にノートを増やす必要はないから,手持ちのノートを使ってやりたいのだが,宇都宮駅ビル(パセオ)の八重洲ブックセンターで髙橋の10年手帳を見て,ちょっとそそられた。
 A5サイズで1日あたり3行の筆記スペース。このくらいがちょうどいい。10年分の月間計画表も印刷されている。これも使えそうだ。

● が,見送った。連用日記に再挑戦するという決心がつかないためだ。
 自分が挫折したからか,こういう10年日記帳や5年日記帳を買って,最後まで続く人はさてどのくらいいるのかと思う。半分くらいの人は最後まで続くんだろうか。
 いや,そんなにはいないだろうな。2割程度か。そんなにもいないような気がするが。

● が,続かなそうだからやめておくというのはダメだろう。続くか続かないかは,やってみなければわからない。
 続かないのも一興だと思うくらいでちょうどいい。この10年手帳,買ってみるか。

● 11月31日。また,パセオの八重洲ブックセンターで髙橋の10年手帳を手に取ってみた。連用日記を再開するとしても,それ用に作られた日記帳は使いたくないなと思っていたのだが,この髙橋の10年手帳を見ると,これを使うべきかなという気がしてくる。

● これを使った方が,途中で挫折する可能性を低くすることができるのはないか。A5サイズで,1日3行という分量もちょうどいい。
 連用に特化したレイアウトになっているから,普通のノートを流用するより使い勝手がいいのは確かだろう。

● しかし、今日も購入は見送り。こうした連用日記に何を書けばいいのかも決まらない。ピントが合わない状態だ。
 参考になるのが,作家が出版することを念頭において書き続けた日記かなと思って,岩波文庫の永井荷風『断腸亭日乗』をパラパラと読んでみたのだが,人との関わりがメインのようなんだな。こうこうこういう約束だったのだが,実際に行ってみたら違っていた,といったことだ。
 交遊のエピソードが多い。仕事を含めての交遊を書いている。内的独白というものではない。
 ぼくはと言えば,仕事もなければ友人もいない。文豪のようなことは書けない。

● 帰宅して夜になったら,連用日記への熱が嘘のように冷めてしまった。ここ数日の胸騒ぎ(?)は何だったのだ思うくらい,サッと消えた。雲散霧消した。
 筆記シーンを増やそう,万年筆を使う機会を作ろう,というのは何だったのだ?
 来年も鉛筆と Campus ノートしか使わない筆記生活を継続することになりそうだ。それはそれで全然悪くないのだが。

● 11月2日。連用日記熱は完全に冷えた(またぶり返すことがあるかもしれないけれども)。今のままでいいやという気分になってしまった。
 これだけ詳細に日記的雑記を書いて,それを全部保存しているのだから,必要があれば3年前,5年前の該当月日のところを読み返せばいいだけだ。
 といっても,面倒だからという理由でぼくはやらないと思うんだけども,ログは手帳に残している。手帳ならさほど面倒さを感じずに,5年分を並べることができそうだ。

● あえて連用日記まで書かなくてもな。数年前に挫折したのも同様の理由だった。
 今回,急に熱が冷めたのも,この状況が変わっていないからか。