2014年1月31日金曜日

2014.01.31 舘神龍彦 『使える! 手帳術』

書名 使える! 手帳術
著者 舘神龍彦
発行所 日経文庫ビジュアル
発行年月日 2012.05.15
価格(税別) 1,000円

● ザッと読んでみた。総花的。特に参考になるところなし。

● こういうのはとんがっていた方が,読んでる分には面白い。必ずしも実用的でなくていいから。日経文庫だから,どこかに特化するような内容にもできないんだと思うんだけど。
 そもそも,仕組んで実用的にしたものって,かえって実用からズレたりする。そのズレって,大きくズレてればまだいいんだけど,微妙だとかえって気になるものでね。

2014年1月15日水曜日

2014.01.15 『人生が変わる! 手帳&ノート整理術』

編者 渡辺良保
発行所 学研パブリッシング
発行年月日 2013.11.05
価格(税別) 552円

● 読むところはそんなに多くないような感じ。主にはこちら側の事情による。つまり,手帳とノートについては,自分なりのスタイルができていて,それを変更する必要を感じていないから。
 だったら,こういうものを読んでも仕様がないんじゃないのってことなんだけど,この種のムックや雑誌にはついつい手がでてしまうんですね。いうなら覗き見趣味を満たさんがためですね。

● いろんな人がいろんな使い方をしている。それぞれ,工夫を重ねて現在に至っているんだと思うんだけど,置かれた環境(仕事,家庭,通勤方法,住んでるのは田舎か都会かetc)がみな違う。だから,サルマネをしたって仕方がない。
 それと,手帳やノートをどう使おうと,生活が画期的に変わったり,生産性が飛躍的に伸びたり,残業が大幅に減ったり,ってことはないんだと思うんですよ。ましてや,夢が叶ったり,願いごとが成就したりなんてのはねぇ。
 もしそういうことがあったんだとすれば,それは手帳やノートの使い方を変えたからじゃなくて,もっと別の要因があったんでしょうねぇ。

● 要は,楽しめる使い方を各自考えればいいんでしょう。最も優れた規範があって,いかにしてそれに近づくか,という発想じゃダメでしょう。
 徹底的に自己流でいいと思い決めることから始めるのが正解のような気がする。

● 野口悠紀雄さんが次のように言っている。これは片隅に記憶しておいた方がいいかも。
 本当に重要な仕事に向かうには,ほかの用件を排除する必要があります。だから,スケジューリングの最終目的は,重要な仕事ができるように一定期間の『予定表を真っ白にすること』です。つねに手帳に予定がびっしりつまっているのは,本当に重要な仕事をしていない証拠なのです。(p23)
 サラリーマンじゃそうはいかないよってことなんだけど,それでも心構えとしてはこれを捨てない方がいいと思う。

● 佐藤勝さんはノート1冊主義。「外務省のできる先輩たちもノートは1冊にまとめていた」そうだ。
 現在,使っているノートは125冊目ですが,急激に数が増えたのは拘置所に入っていたときです。512日間の拘留期間で62冊のノートを消費しました。(p92)
 呆れるほどに勉強したらしい。拘置所は勉強するのに最適な環境なんでしょう。っていか,すごいね,この人。

● 佐藤さんは次のようにも言う。言われてみれば,あたりまえのことなんだけど。
 速読の場合,該当する分野に関する基礎知識が身についていることが前提となります。基礎知識が欠如していれば,速読以前に専門書を読むことはできません。(p95)

2014年1月10日金曜日

2014.01.10 メモやノートはアナログがいいか,デジタルがいいか

● 高校生のときから日記というか日誌を書く習慣があった。大学ノート(後にB5ルーズリーフ)にボールペンか安い万年筆で書いてたんだけど,ワープロが登場してからは,なんのためらいもなく,デジタルに移行した。以前の手書きの分もスキャンしてパソコンのハードディスクに格納した。
 こういうのって,溜まってしまうと,かさばるし重いし。デジタル化が究極の整理法だと喜んでいた。
 以後,自宅にはノートもペンもないという生活を長期にわたって続けた。パソコンさえあればいい,っていうね。

● けれども,昨年4月をもって日記を書くのをやめた。なぜって,読み返すことが絶無だから。書いてる時間が無駄だと思えてきて。
 こういうものは書くこと自体に意味があって,書いた後の活用(?)なんてのは端から考えなくてもいいのかもしれないけどね。

● その代わり,A6サイズのノートを持ち歩くようになった。日記というのではなく,とにかくその場その場で頭に浮かんだことを書きつけている。備忘録あり,出納メモあり,会議録あり,明け方に見た変な夢を書いたのもあり,人には言えないような類いのメモもあり。
 パソコンに入力すると,ブラックボックスに入れたようなもので,まず見返すことはないものだけれど,ノートだと見るともなく目に入る機会が増える。なるほど,これが手書きの効用かなぁと思っている。

● もうひとつ。たとえば頭に来たことを吐きだしてスッキリしたいっていう場合,キーボードよりも紙にペンで書いた方が,吐きだしきれるような気がする。
 機動力においても,紙のメモ帳はパソコンやスマホをしのぐ。サッと使える。待たされることがない。
 自由度も高い。どう使おうとかまわない。文字の大きさも好きなように変えられる。線を引いたり,矢印で結んだり,マルで囲んだり。
 スマホの手書きアプリじゃ小さなメモしか書けないけど(使ったことがないので想像で言っている),紙のノートならたくさん書ける。

● けれども,問題はやはりブツとして溜まってしまうことだ。ノートは無印良品の「開きやすいノート A6・横罫・96枚」にコレクトのカバーを付けて使っている。だいたい3ヶ月で1冊使う感じ。1年で4冊になる。あとどれくらい生きるのかわからないけれども,ひょっとすると100冊になったりするかも。
 これ,あまり嬉しくない。早い話,こんなものを残されたら,遺族が迷惑する。読まれちゃ困ることも書くかもしれない。死ぬまでには処分したいけれども,ヨレヨレになってしまったら,そんなこと憶えてられないかもなぁ。

● そもそも,保存する価値があるかどうか,われながら疑問でもあるんだけど,こういうものはどうしたって即時処分はできないわけでねぇ。
 というわけなので,もう一度,デジタルに戻そうかと考えることもある。

● そのときに使うアプリは「Google Keep」にしようと決めている。っていうか,このアプリがあるからデジタルに戻そうかと考えたってところもある。
 スマホだったら,外付けキーボードをBluetooth接続して,「Google Keep」に書いていく。
 しかし,ま,現状ではアナログ維持でしょうね。

● パソコンにしてもスマホにしても,原始的にしか使っていない。パソコンについていえば,もっとも多く使うソフトは,Windowsに付録でついてくる「メモ帳」だ。テキストエディタとして,ぼく的にはこれで充分。
 で,アレなんですよ,パソコンとかスマホをビシバシ使い倒しているオレ,っていうのを演じてみたいっていうのがあるんですよね。そういうスタイルを味わいたい,っていうね。幼稚というか馬鹿というか。

● デジタルでやっているとアナログが良く見え,アナログでやるとデジタルがよく見える。アナログとデジタルの棲み分けっていうか,両方のいいとこ取りをすればいいじゃないか,っていうのは,しばしば言われることだ。
 けれども,ぼくは,デジタルにするんだったらすべてデジタルにしちゃいたいタイプ。そのために少々の不便は我慢しますよ,と。
 
● ちなみに,ソフトとかアプリに関しては,Googleと心中しようと思ってますね。それでは,個人情報の一切をGoogleに預けることにならないかっていうことになるんだけど,市井のパンピーにすぎないぼくの個人情報なんか,洟もひっかけられないでしょうよ。Googleはもちろん,そんなものに興味を持つ法人や個人がこの世にいるとは思えない。
 統計上のサンプルのひとつとして扱われることはあるのかもしれないけれど,どうぞ勝手にお使いくださいってなもんだな,そんなのは。
 それに対して,Googleが提供してくれているサービスの恩恵は計りしれない。謹んで使わせていただきたいと思っている。