● その“2冊目の手帳”であるダイスキンに書く分量がかなり減っている。今月の9日から11日までの3日間,一度もダイスキンを開かなかった。
その理由はSNSだ。Google+から始まって今はTwitterに移っているけど,そこに1日のよしなし事を書きこんでいる。
● それまではダイスキンに書いていたことを,Twitterにあげるようになったというわけではない。
Twitterにあげているのは,それまでダイスキンにも書いていなかったようなことが多い。ほんとにどうでもいいようなことをあげているからね。
● それなのに,なぜダイスキンに書く分量が減ったのかというと,Twitterにかまけている時間が増えたからで,その分,ダイスキンに向かう時間が減った。それが理由だ。
● 実際に,ツイートなるものを体験して知ったのは,「ほんとにどうでもいいようなこと」って,あとから自分で読み返すと面白いものだってこと。ダイスキンを読み返すことはあまりないのに,Twitterにあげた自分のツイートはいくらでも見返せるのだ。ほんとにどうでもいいことって,読み返すのにまったく抵抗を受けないからなんでしょうね。
ダイスキンには憂さを捨てていることが多いので,読み返すことはすなわち憂さを追体験することになる。少々気ぶっせいな作業になるわけだ。
● SNSにはまる人はぼく以外にもたくさんいるに違いない。っていうか,そうであればこそ現在のSNSの隆盛があるのだろう。
どうでもいいことを書いて(しかも,たいていは写真がメイン),書いたのを読み返す。書くのも読み返すのも,ほとんど力を注がずにできる。
SNS隆盛のほんとの理由は,高度な読み書きのリテラシーが要求されないからだったのか。
0 件のコメント:
コメントを投稿