2016年1月27日水曜日

2016.01.25 高田明さんの万年筆-読売新聞の記事

● 今日の読売新聞に載っていた記事。
 飛行機の中で万年筆をなくしてしまった。「諦めて別の万年筆を使ったものの,今一つ気持ちが乗らない」。結局,1週間後に見つかり,航空会社が送ってくれた。
 航空会社も立派だね。

● 高田さんが言うには,ボールペンでは細い線しか書けない,でも「強い思いは大きく書きたい」,万年筆なら「思いと同じ質感が,線の濃淡や太さで出せる」。
 でも,万年筆といえども,そこには限界がある。そこを貫きたいなら筆ペンしかないような。

● ちょっと試してみたんだけど,ぺんてるプラマンでもちょっと難しい。呉竹のLetter Penならかなり柔軟に対応してくれそうだ。
 が,高田さんもそういうものを使うつもりはないはずで,万年筆でなければならないのだろう。

● 失礼ながら,「思いと同じ質感が,線の濃淡や太さで出せる」というのは,使ってから気づいた万年筆のメリットであって,当初は別の理由,たとえば質感やデザイン,で使い始めたのではなかろうか。
 だから,自分が望む機能だけでいうなら万年筆以上のものがあっても,それは選択肢に入らない。そういうことではないかと推測する。

● ぼくも万年筆ユーザーだ。泣く子も黙るPreppyのユーザーだ。けれども,目下使用中のPreppyをなくしても,高田さんのような喪失感を味わうことはないだろう。
 値段の問題もある。予めそんなに長くは持たないと思って使っているからでもある。予備を買ってあるんだから,それをサッとだして使うことになるだろう。

● 思いがこもっているから,なくしたときの喪失感が大きくなる。その品にどれだけ思いをこめられるか。それは,その品とユーザーの共同作業になるのだろう。
 ぼくはPreppyをかなり酷使していると思うんだけれども,200円でオールプラスチックの品では,あまり思いがこもらないってことなのかな。

● モノを擬人化するのがいいのかどうかわからない。でも,ぼくはアニミズムが身についているようで(たぶん,ぼくに限らず,日本人はそれが多数派なのではないかと思う),モノにも命があると考えてしまうほうだ。
 Preppyにも命がある。だから,その命は尊重しなければならない。だけれども,モノの価格によって尊重度に違いが出てしまうんだな。

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