● 普通,ノートなんて何だっていいと思う。ぼくも基本,何だっていいと思っている。さほどにこだわりはないつもりだ。
だからこそ,価格第一でダイスキンを選びだし,ずっとダイスキンを使っているわけだ。
● たまたま,ダイスキンは使い勝手も良かったし,モレスキンより万年筆との相性が良かった(すべての万年筆インクがOKというわけではなさそうだが)。
けれども,仮にダイスキンの品質がもっと粗悪なものであったとしても,おそらく使っていたと思う。万年筆がダメならボールペンもあるわけだからね。
● “モレスキン”でググると目も眩むほどのサイトが出てくるが,モレスキンユーザーはこだわり派だろう。何せ,1冊2千円のノートを使っているのだ。
モレスキンのどこにこだわっているのかは,ぼくにはイマイチ不明なのだが。
● で,考えるわけだ。モノの価値っていうのは,つまるところセンチメンタルバリューでしかないのではないか。
これが価値だと誰の目にも見える形で屹立している価値っていうのはないのじゃないか。
● モノやサービスを選ぶとき,多くの人はコスパを基準にするだろう。コスパ重視は貧乏人の発想だと揶揄する人もいるけどさ。
ただ,コスパといっても,どこを重視してコスパを判断するのかは,人によって違うだろう。
換言すれば,コスパをまったく考えない人はいないのではないか。“コスパ重視は貧乏人の発想だと揶揄する人”も含めて。
● モレスキンユーザーもコスパでモレスキンを選んでいるのだろう。モレスキンユーザーにとって,モレスキンは安いのだ。
彼らのセンチメンタルバリューをわずか2千円で満たしてくれるのだ。
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