● 宇都宮市内の某書店の手帳売場。「超」整理手帳のリフィルがいくつかひっそりと置かれていた。今年,書店や文具店の手帳売場で「超」整理手帳を見かけたのは,今日が初めてだ。
リフィルしかないということは,新規ユーザーがいないのだろう。そのリフィルもちょこっとしかないということは,既存ユーザーでも「超」整理手帳を使い続ける人はそんなにいないということだろう。
● 「超」整理手帳の特徴は8週間分のスケジュールを一覧できるところにある。たくさんの予定を抱えている場合,これはたしかに大きなメリットになると思う(そんな予定を抱えたことはないから,想像で言っている)。
それが売れなくなった。理由は次の3つが考えられる。
● 第1に,「超」整理手帳のメリットが活きるほどの予定を抱えている人なんか,じつはあまりいなかったということ。
第2に,スケジュール管理を主たる用途として手帳を使っている人も,そんなにいないのじゃないかということ。
第3に,これは第2と同じことになるのだが,手帳は実用品というよりも遊びの道具と化しつつあり,「超」整理手帳はその流れに乗れなかったということ。
● 世に手帳マニア,ノートマニア,文具マニアは多いようで(ぼくもそうなのだけど),Instagramには多くの人が自分の手帳を載せている。そんなことができるのは,極端にいえば,暇だからだ。暇がないとマニアにはなれないものだ。Instagramにあがっている手帳やノートは暇の結晶だ。
暇なのは悪いことではない。むしろ,誰にとっても,人生の究極の目標は暇人になることではないかと思う。
● 自営であれ勤め人であれ,本当に仕事が忙しい時期は,手帳は空欄のままになる。手帳に何かを書く時間もない。多くの人が体験済みのことだろう。
自分の考えをノートにまとめるなんてのもそうだ。それをするには,それができるだけの暇が必要だ。忙しいときにそんなことはやっていられない。
● 「超」整理手帳はしばしばそういう状態になる人が使うものだろう。そういうコンセプトだ。
私事でそういう状態になる人はいない。仕事でなる。だから,「超」整理手帳はビジネスに使うものといういイメージが濃い。機能一点ばり。遊び(無駄)がない。
いや,「超」整理手帳でも遊ぼうと思えば遊べるはずだ。しかし,スーツを着て遊ぶようなもので,何とはなしに遊びづらいように思われているのではないか。
● 最近では“ビジネスも遊ぶようにやれ”が流行りだ。IT企業をはじめ,服装は自由というところが増えているのではなかろうか。で,そういう企業が時代の先端を走っているように思われている。
手帳にも機能や効率だけではなく,使う楽しみがあった方がいい。ここでも「ほぼ日手帳」が画期になったと思うのだが,自由に使える手帳,お仕着せではなく自分なりの使い方ができる(と謳っている)手帳が,需要を掴んでいる。
● 「超」整理手帳でもそれはできるのだが(むしろ,やりやすいのではないか),やはり発祥時のイメージに“生産性”が強すぎたか。できる人(できる人と思われたい人)が持つ手帳という感じといったらいいか。
問題なのは,東大信仰が薄れてきたのと同じで,従来型の「できる人」がかつてのような魅力を持たなくなっていることだ。
● もっというと,8週間分のスケジュールを一覧できないと息ができないような境遇には置かれたくない,と思う人が発言力を持ちだしたのかもしれない。
そんな人はいわゆる勝ち組で,自分とは関係ないし,関係を持ちたくもないと考える人も多いかもしれない。
● 遊びがないという点では,老舗の能率手帳も同じだ。その能率手帳がビジネスマンを中心に長く使われ続けてきたのは,じつは手帳の第1目的はメモであって,管理といえるほどのスケジュール管理をしている人は昔からいなかったのではないか,と思えてくるのだ。そもそも,能率手帳で細かくスケジュールを管理するのは無理ではないか。
メモなら大きなカードともいえる「超」整理手帳より,冊子型の能率手帳が使い勝手がいいと考える人は多いだろう。さらに言い募ると,能率手帳の肝は左ページのスケジュール欄ではなく,右ページのメモ欄(無地)にあるのではないか。ここで遊べるのだ。
● もうひとつ。「超」整理手帳は学者とか芸能人とか,ひとりで仕事をする人に向いたツールという印象がある。すべてを自分で差配できる人にはこれでいいかもしれない。
が,チームや集団でひとつの仕事を進めていかなければならない人は,自分のスケジュールを自分で決めることができない。決めてもしょっちゅう変更を余儀なくされる。8週間分を一覧できるなんて,どこかの桃源郷にある話であって,まったく現実的ではない。
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