書名 惚れぼれ文具 使ってハマったペンとノート
著者 小日向 京
発行所 枻出版社
発行年月日 2019.02.28
価格(税別) 1,500円
● 文具の薀蓄を披露する以前に,随筆として成立している。話材が文具というだけだ。串田孫一『文房具』(白日社)の衣鉢を継ぐのは,この人かもしれない。まずは小日向さんの文章を味わうべきだ。
個々の文具への目のつけ所と,自分自身のある部分とを繫ぐ,その道のつけ方が見事だ。裕福で知的な雰囲気に満ちた家庭で育ったのだろう。ここまで解像度の高い感性と視点は,環境の助けがないとなかなか待ち得ないものだと,ぼくは思う。
● 解像度が高いとは感覚が細かいということ。驚くほどだ。ぼくのように何でもダイスキンに書き,ペンはPlaisir1本(手帳を含めれば2本),インクはプラチナのブルーブラックのみというのは,彼女にはあり得ないことだろう。
その細かい感覚に素直になるために費やさなければならない時間,手間,お金は引き受けるしかないと思い決めている。
● 書くことそれ自体,文具を使うことそれ自体は目的ではなく,あくまで何事かをなすための手段に過ぎないと,ぼくなんぞは思ってしまう。ぼくだけではなく,大方の人はそうだろう。
そういう前提があって『情報は1冊のノートにまとめなさい』も成立する。すべての「知的生産の技術」はその前提があって成立する。技術とは合理性の追求だからだ。
ノートやペンにとらわれすぎるのは不可とされる。それは道具を使っているのではなく,道具に使われているのだと言われる。
● しかし,彼女ほどに解像度が高くなると,それは成立しなくなる。技術が感覚に応えてくれなければ,技術を捨てるしかない。それはそれで難儀なものだと想像するが,そこに“美しさ”を感じるのも事実だ。
しかし,自分はそっち側には行けない。そっちに行くには育ちが悪すぎた。
● 以下にいくつか転載。
場合によっては「文具は何を使っても同じ」という姿勢も,立派な文具選びと言えると思います。(p4)
記述の用途につき一種類の筆記具があればこと足りるのだとわかっていても,さてその記述用途を迎えるときの自分はどのような気持ちの状態なのだろうか,記述環境はどうなのだろうか,季節はいつなのだろうか,などと考え始めるととても一種類の筆記具ではすまないように思えてくるのです。(p12)
ゆっくり書くときと速く書くときに向く万年筆は,もしからしたら同じ1本かもしれません。ただ,長い文章を速く書くのに向く万年筆というものが明らかにあります。(p24)
軸の太さが文字の取り回しに重要なことは,たとえば割り箸を1本手にして同じ動きをしてみるとよくわかります。(中略)太軸だとこんなに「運動量」が少なくて済むんだ・・・・・・と実感できることでしょう。(p25)
パソコンのキー入力やスマートフォンのフリック入力などを繰り返していると,「ああどんな文字でも線でもいいから,何か手書きをしたい」と無性に思います。頭に思い浮かんだ文章をキー入力でダダダッと一気に打てたときや,フリック入力の予測変換がすべてうまくいったときに得られる爽快感は確かにあるものの,筆記具を手にして紙の凹凸を感じながら「変換」などなく文字を書き綴る心地よさは,他の方法の何ものにも代えられないと痛感するからです。(p36)
近年では御当地インクの人気も相まって,若い世代の万年筆ユーザーが増えています。そしてコンピュータデバイスの件に立ち返ると,スマートフォンを中心に高年齢のユーザーが一気に増えました。これまで使うことのなかった道具でも,その魅力や必要性から世代を超えて歩み寄る。そんな探求のクロスオーバーは,この時代ならではの現象と言えます。(p38)
ポケットに挿されている筆記具は,長年使い込まれているような古びたものも美しいし,百円ボーツペンだってかっこいい。そこからパッと手にして,筆記具がどこの何なのかも気にしていない,という様子で迅速に書き綴る--その姿は人の固定観念をすべて帳消しにすることでしょう。(p44)
これらの鉛筆を,そのときの記述内容や紙,また天候によって使い分けています。使い分ける理由は,その筆記音です。(中略)黒鉛芯と紙によって,鉛筆は様々な音を奏でます。その音に,書くときの心情がぴったりと合うと,書くものの内容までもが色濃く仕上がると思うのです。(p73)
そんなさまよい人たちは,「紙なんてどれを使っても同じでしょう」と言う人たちへ,うんうん,自分もそう思えた頃は良かった・・・・・・と,どこか懐かしそうに目を細めます。(p100)
ザラザラしていて,これは万年筆にはとても向かないなと見るからにわかる紙へ太めの芯をした濃いめの鉛筆やボールペンでザッと線を引くと,何か自分が周囲のことなど構わず,自由に生きていける存在のような気がしてきて勇気づけられるものです。(p101)
私はこれ(能率手帳ゴールド)をスケジュール管理に使っていません。なんともったいないと思われることでしょう。しかし用紙があまりに良いため,空欄を作るのが惜しいのです。(p112)
余白とは,なんと魅惑あふれるスペースなのでしょう。古くは小学生の頃,授業に退屈して教科書やノートの余白に鉛筆で落書きをしたものです。するとこの教科書,意外に書き味のいい紙だなとか,どんどん落書きが発展していってこのぶんだと余白が足りないぞとか,様々な気づきがありました。(p116)
良い紙は,まっさらなページに文字を書き込む躊躇よりも「早く書きたい!」という気にさせられて,あたかも紙のほうから文字を書くよう促してくる感覚を味わえます。(p121)
書きやすい「道」が用意された紙面を好みの筆記具で駆けめぐる自由さは,他の用紙にはない疾走感をもたらします。その走り心地は,目的地へぐんと早く着く高速道路のよう。文章書きも目的地へ早く着くようで,原稿用紙の実力は今も健在です。(p125)
はがきサイズは保管や検索がしやすく,「情報カードのサイズのひとつ」とも言えます。(p140)
世の中には,文具を特に意識しなくても自分の力を発揮できる人たちがいます。(中略)一方自分の場合は,文具の力を借りてようやくマイナスからスタート地点に立てている心境で,文具は戦ううえでの大事な兵たちでもあります。だから数は多いほど心強い。戦う相手は,自分自身です。(p156)
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