2025年2月24日月曜日

2025.02.24 家電量販店に行かなくなった

● 家電量販店に行かなくなった。ここ数ヶ月行ってない。ヨドバシとかビッグカメラとかね。
 パソコンを起ち上げることもめっきり減った。長文の編集もスマホでやるようになった。スマホはこうして毎日使っているが,コモディティ化はハッキリしている。機種に対するこだわりがない。

● で,宇都宮のヨドバシに自分の身体を運んで行った。以前と変わらない売場があったが,滞在時間は5分。ほぼほぼ興味がなくなっている。
 かつてはパソコンに夢を見させてもらっていて,今は亡き,T-ZONEが宇都宮にもあって,帰りに毎日のように立ち寄って,カタログを集めたらしていた。変われば変わるものだ。

● ほんと,パソコンは夢を見させてくれる器械だつた。生産性を飛躍的に向上させてくれる,インターネットで世界に向けて自分の意見を発信できる,自分の外部脳になってくれる,と夢を見ることができた。
 しかし,パソコンやインターネットが誰もが使えるインフラになると(クリントン大統領が言い出した,デジタルデバイドとは何だったのか),そうした夢は雲散霧消することになった。

● たしかに生産性は(仕事においてもプライベートにおいても)上がったのかもしれないが,夢見ていたのはもっとドラスティックな変化だったのだ。こんなものじゃなかったのだ。
 そのわずかな(と思える)変化も,誰もに発生するのであれば,変化として認識しづらくなる。

● ネット以前は発信手段が寡占されていたから,それにアクセスできる特殊な人たちだけが不特定多数に向けて発信することができていたが,インターネットによって誰もが無料で世界に向けて発信できるようになると世界が変わる,的なことが言われていた。が,これは需要なことを(故意か不注意によって)見落としたうえでの言説だった。
 ネット以前に発信手段にアクセスできていたのは,発信するに値する実力を持った人が多かった(もちろん,全員ではない)。その手段を持たなかった人たちの多くは,持つ必要のない人たちだった。

● そういう人たちが発信手段を持ったところで “豚に真珠” にしかならないことは,その後のSNSが証明している。
 ほとんどの場合,ネットでの配信などやったところで,誰にも注目してもらえないことが明らかになっただけだ。

● 結局,インターネットは持てる者にさらに多くの便益と利益をもたらし,持たざる者には何も与えなかった。元々の能力差を10倍にも100倍にも拡大させるものだった。
 持てる者にとっては駆動装着であるが,持たざる者にとっては玩具にしかならなかった。玩具であってもないよりいい,とは思うけれども。

● パソコンやスマホといった端末の心理的価値も低下した。誰もが持つものになれば,そうならざるを得ない。
 機種に対するこだわりも薄れていく。鉛筆を選ぶようなもので,そこにあるものでいいということになる。
 端末の価格もだいぶ安くなった。唯一,iPhone だけは粘り腰を発揮しているようだが。

● これからもパソコンとスマホは使い続ける。それは間違いないが,特別な器械ではなくなった。
 注目すべきものではなく,あたりまえのものになった。あたりまえのものでしかなくなった。

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