● 1週間前,モスに入ったんだけど,ノートを開いて何かを書くことなく終わった。ごく最近までは,モスに入るのはそのためだったんだけど。
手書きの楽しみを忘れてしまったのか,オレよ。
● ただし,手書きの楽しさっていうか,楽しい手書きっていうのが成立するのは,書くことに苦痛を伴うことがないからだ。
苦痛を伴うことがないのは,書く対象が,できれば忘れたいこと,思いだすこと自体が苦痛であるようなことではないからだ。もうひとつ,文章に苦吟することがないからだ。
要するに,最小限の運動エネルギーですむからだ。
● でも,書いて残しておくべきなのは,苦痛を伴うもののほうなのだろう。楽しんで書いたものは,書いた本人はいいとして,それを誰かが読んでも,何でこんなことをわざわざ書いたのだ? と思うのだろうな。
● とはいえ,そういうことのために何かを書いている人はあまり多くはないだろう。テレビを見たり,友だちとダベッたり,そういう軽い楽しみ。いうなら自分とダベる。
そういうノリで書いている人が大半のはず。もちろん,ぼくもそうだ。苦痛を伴うことに耐えられる強い人は,そんなに多くはないだろうと思いたい。
● 今日はモスでノートを広げて手書きを。
これをキッカケにして,その軽い手書きの楽しさを味わう生活に戻れれば。
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