● 今はその“最初の大元”がTwitterになっている。まずTwitterにつぶやいておく。いくつかに分けてつぶやいたものは,ひとつにまとめてFacebookにあげる。
そこからさらに膨らんだものはブログに持っていく。
● もちろん,Twitterで止まるものも多い。ともかく,Twitterを見ればそこにすべてがある。
もちろん,その“すべて”は所詮たいしたものではない。が,それはノートのときでも同じだったわけで。
● Twitterだとノートではできなかったこともできる。写真だ。写真を残しておける。
これでどうなったかというと,明らかに残す価値がないと思われるものも写真で残すようになった。たとえば,その日食べた弁当の写真とか,夜に飲んだハイボールのジョッキの写真とか。
が,こうしたカスのようなものが残っていく安心感がたしかにあるのだ。これがTwitterから抜けられない理由のひとつであることは,たぶん間違いない。
● 残せる情報量が圧倒的に増えた。質は増えないけど。それがデジタル化の恩恵と言っていいのか。が,当然ながら,質の伴わない量の増加は自分以外の人間からは顧みられることはない。
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