編者 坂巻正伸
発行所 日経BP社
発行年月日 2013.10.10
価格(税別) 657円
● 「Associe」恒例の手帳特集。この類いの特集記事を眺めるのが,いわゆるひとつのエンタテインメントになってしまったなぁ。
雑誌の性格からして,手帳を使って大量の仕事をどう捌いていくかというのが中心テーマ。スケジュール管理,時間管理,TODO管理,といったあたり。
● 先日,「日経WOMAN」の手帳特集を取りあげて,「使い方のバリエーションはとっくの昔に出尽くしているのかもしれないね。あとは,手を変え品を変えて,雑誌に仕立てるということなんだろうな」などと言ってしまったんだけど,申しわけない,撤回します,これ。
恐れいった使い方が紹介されている。47ページの山村沙莉さんの使い方。ウィークリーに予定を書き,マンスリーに日記を書く,という。0.3㎜のペンを使って,とんでもなく小さい文字でびっしりと日記を書く。奇想天外の発想。
● ハンパない超多忙氏が二人登場。32ページの三輪麻衣さんと,50ページの吉田穂波さん。女性にこうまで忙しい思いをさせていいのかと考えるのは,本人たちにとって大きなお世話だろうね。
手帳の使い方も独特だけれども,これは彼女たちの能力と,特に置かれた環境が作りだしたもの。まさか真似しようとする人もいないだろうけど,これを外形的に真似るのは愚かの極み。
● 「人生は一度きり。勉強も仕事も育児も生活もやりたいことは全部同時並行でやる」「途切れ途切れでも中途半端でもOK,とにかく始めさえしたら時間は生まれる,と発想を切り替えたら,あら不思議。やるべきこと,やりたいことが全部できるようになりました」というレベルだからね。
ぼくがこれを真似したら,文字どおりの鵜の真似をする烏になってしまうだろう。
● ワーキングマザーというのは,それだけで超人だね。家庭運営や育児っていう滅多にはないビッグプロジェクトの責任者を務めながら,仕事までするんだからね。
「やりたいことは全部同時並行でやる」っていう,とんでもなく強欲(もちろん,いい意味でね)なところも,女性の強みだなぁ。
● 面白かったのは,渡邉英彦さんの手帳(p15)。なるほどこういうふうにも使えるのがシステム手帳のいいところだな,と思わせる。
これまた,渡邉さんの力量と仕事が編みだしたもので,うっかり真似をすると痛い目に遭うだろうけど。
しかし,アメリカやイギリスでは,デジタルツールが席巻しつつあり,紙の手帳はあまり使われなくなっているらしい。すごいなとも思うし,馬鹿なやつらだなとも思う。
っていうか,英語とデジタルの相性は日本語と比べて段違いにいいんだろうか。
● ぼくはこの本に登場する人たちに比べたら,ぜんぜん忙しくない。正確にいうと,出なければならない会議や,行かなければならない訪問先がそんなにない。
正直,スケジュール管理をするのに手帳なんぞ要らない。卓上カレンダーにでも書いておけば充分だ。ゆえに,本書に登場するような手帳の使い方をする必要がない。それらを真似たのでは壮大なムダが産まれることになりそうだ。
そういう人って,けっこう多いんじゃないかと思う。っていうか,メジャーはこちらの方だろう(でもないのか)。
であるからして,この種の情報を切実に欲する,目を皿のようにしてヒントを探す,という状況にはない。
● でも,手帳は使っている。のみならず,手帳とノートの2つを携帯している。手帳はバイブルサイズのシステム手帳「Bindex」(中身は能率手帳)。ノートはA6サイズに「ほぼ日手帳」のカバーを付けて使用。
今年の2月まではパソコンで日記を書いていた。が,それをやめて,代わりにノートを持つようになった(6月半ばから)。ダイソーの「ペン差しカバー付A6ノート」。これで実用的には何の不満もなかったんだけど,「ほぼ日」が岡本太郎の油絵「建設」をあしらったカバーを出してくれた。これが欲しくてね。一度は手帳を替えることも考えたんだけど,結局,カバーだけを買うことにした。ノートは無印良品のA6(96枚のやつ 300円)。
● 手帳とノートで何をしているのかといえば,日々の記録を残す,流行の言葉でいえばライフログを残す,っていうことになりますかねぇ。
外形的なことは手帳に書く。会議があった,誰と会った,何を食べた,とかは手帳に書いておく。読んだ本や聴いた音楽のタイトルも記しておく。
見たテレビ番組も。新聞の番組欄から該当箇所を切り抜いて,縮小コピーして貼っておく。
● お菓子の包み紙とか,飲食店の割り箸の袋なんかも貼っている。マックのチキンナゲットを買うと付いてくるバーベキューソースの蓋紙までも貼ったりしてる。
映画の半券(映画はめったに見ないけど)も貼るし,コンサートのチケットはパンチで穴をあけて綴じておく。
気になった新聞記事も綴じている。以前に比べれば,新聞記事を残すことは少なくなってるけどね。
スケジュール管理的なことでいうと,忘れてはいけない予定はポストイットの付箋に書いて,該当日に貼っておくだけだ。
● ペンはパイロットのハイテックCコレト。黒,緑,赤,青の4色を使用。
大きく仕事関係は黒,プライベートは緑を使用(その日に食べたものは黒で書いてる)。読んだ本のタイトルは赤。青を使うことはあまりない。リフィルの補充頻度は,黒→赤→緑→青の順。
● バインダーはポール・スミスのもの。リング径は12ミリくらい。薄いので,1年分のリフィルは入らない。過ぎたものははずして保存用のバインダーに移し,現時点から3ヶ月先までのを入れておくようにしている。
じつのところ,システム手帳をバイブルサイズにしているのは,保存用のバインダーが安く手に入るからといったあたりにあるんですなぁ。Seriaで売っている100円のやつを使ってますよ。
● それ以外のことはすべてノートに書く。家族の出来事,支出メモ,嬉しかったこと,頭にきたこと,何を思ったか,何を考えたか(考えなかったか),などなど,思いついたことはすべて書くようにしている。同じことを何度書いてもかまわない。
ちなみに,うまく書くコツは,たくさん書くことだと思う。打率を気にしないで,とにかくガシガシ書いていくこと。で,これは,意外に簡単に習慣化できるものだと知った。
書くに際して,工夫は特にしていない。次のトピックに移るときに,1行か2行あけるようにはしているけれども,あとはひたすら追い書き(ただし,変化の兆しあり)。
● システム手帳にメモ用のリフィルをセットして,これに書こうとしたこともあったんだけど,これはぜんぜんダメだった。
リングが邪魔だ。システム手帳は閲覧にはいいけれど,入力には向かない。ガシガシ書くには不向き。
パンチで穴をあけていろんなモノを綴じておけるというメリットが捨てがたいので,これからも使い続けるつもりだけど,メモ帳なりノートを別に持つのは必須かなぁと思っている。
● 筆記具は0.9ミリのシャープペン。芯は2B。これは,「ほぼ日」が開催した「手で書く手帳展」の初日に行われたトークショーで,松浦弥太郎さんが推奨していたもので,素直にそれに従うことにした結果。
墨芯だと,中紙が擦れあって字も汚れることがある。万年筆を使うことはないと思うけど,ボールペンに戻すことはあるかも。
● ひたすら書くだけで,後で読み返すときにわかりやすくということは考えない。なぜかというと,読み返すことはないからだ。
お笑い芸人のネタ帳的なメモ(これは読み返すことが前提)もときにはあるけれど,メインは上に書いたような日記的なものだ。そんなものは読み返さないでしょ,普通。
身も蓋もないんだけど,これが現実。パソコン日記をやめたのも同じ理由。バカバカしくなった。
ノートはバカバカしくないのかよというと,これが不思議なことにそんなにバカバカしくないんですよ。読み返さないんだけど,頁を繰ることはある。そのときに自分が書いた文字がパラパラと目に入ってくる。それだけでも,けっこう違うのかもしれない。
● 基本は書いたあとの活用ではなくて,書くことじたいにある。
頭に来たことをノートに吐きだすとスッキリするという類の効用はたしかにある。その場合,キーボードでは吐きだしきれない。手書きの方がきっちり吐きだせるような気がする。
ただし,憤怒の渦中にいるときは,吐きだす気にもなれないものだ。吐きだすのは多少落ち着いてからってことになりますね。
書くと安心するという効用もバカにできないようだ。まず読み返さないし,したがって検索なんぞ考える必要もない。だから,もし,書いたことを読み返したくなったときは,探すのにけっこう時間がかかるかもしれない。でも,どこかにあるのはたしかだ。その安心感。
● 手書きの楽しさのようなものがあることを,ノートを携帯するようになって初めて知った。ワープロ専用機以来,キーボード派に転向して,仕事以外でペンを持つことはなくなっていたんだけど(ちょこっと手帳に書くのが唯一の例外),ひょっとするとバカなことを長年続けてしまったかもしれないと思ったりする。
紙にペンで字を書くってのは,それ自体が楽しいんですよ。これ,なんか新鮮な発見。
● こうして半年近くノートを使ってくると,手帳はマンスリーの薄いのにしちゃって,スケジュール以外の一切をノートに集めてもいいかなと思ったりもする。手帳に任せているスクラップ機能をノートに持ってくるとか。ま,このあたりは,成り行きにしたがってみようと思ってるけど。
あと,追い書き方式から,1日で見開き2ページを使う方式に替えようと思っている。少なくとも,日が替われば次のページに移ることにした。細かいことだけど。
● 手帳よりノートの方が可愛くなった。物理的に使っている時間がかなり違うから。自分の分身である度合いが手帳よりも強いんですね。ダイソーの百円ノートであっても愛着がわく。
自己愛の延長だろうね。だから,あんまりあからさまにするのは恥ずかしいことでもある。
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