● 今,書店や文具店の手帳売場に行くと,個人の名前が冠された手帳がけっこうあることに,あらためて気づく。
和田裕美の「営業手帳」や藤沢優月の「夢かな手帳」はもうこの分野の老舗って感じがする。陰山英男「陰山手帳」,小宮一慶「ビジネスマン手帳」,田村仁人「合格手帳」,安藤美冬「20代手帳」。
最近は(2年前からか),齋藤一人さんの「ついてる手帳」も出た。ほかにもたくさんある。
● 個人の名を冠した初めての手帳は,竹村健一さんの「これだけ手帳」でしたか。邱永漢「実務手帳」もあったね。中村天風「成功手帳」なんてのも。これは,たぶん,今でもあるんだと思うけど。
これらの特徴は掌サイズであること。文字どおりの手帳。著名人の名を冠しているだけで,中身は能率手帳とたいして変わらなかった。
「実務手帳」には,邱さんのお勧めのレストランの名前と住所と電話番号が載っていたりした。付録部分が分厚くなって,かえって使いづらいのじゃないかと思った。
● 昨今の冠手帳も,基本はどれも似たようなもの。ページの隅の方に作者の著書から文章を転載して,それが本手帳の特徴です,としているものもある。
冠になる人のカリスマ性(?)に頼っている。版元にすれば,一定数の売上げが見込める手堅い商品になっているのだろう。
● ぼくは手帳はシンプルがいいと思っている。能率手帳でいいと思う。
凝った使い方をしようとするな,と言いたい。手帳で夢が叶うのか,叶った人がいるのか,とも言いたい。
● かといって,ぼくも若い頃は(いや,中年になってからも)手帳で夢が叶う的なことを信じていたというか,それに縋りたいと思っていたところがある。
だから,若い人が(中年も)こうした手帳を買って使うことに対して,とやかく申しあげることはない。あなたのお金だ。好きに使うがいいのだ。
● 冠手帳に限らないけれど,昔と比べると,判型も大きくなり,厚くなった。手帳が大型化しているということは,今のビジネスマン(ウーマン)は昔の人よりもたくさん書いているってことになる。何だかんだ言って,そうなるはずだ。
● 逆に,昔の人はあまり書かなかったのだ。備忘録的に予定を書いておくだけだったのだろう。手帳とはそういうものだった。
今はそれ以外にもたくさん書いているのだろう。書く必要のないことを書いているという側面があるにしても,基本的にはいいことだと思う。書くのは悪いことではない。
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