● トラベラーズノートというのがあり,測量野帳というのがあるけれど,トラベラーズに向いたノートがあるわけではない(と思う)。
たいていのノートには汎用性がある。コクヨのCampusだって立ったままでも書けるはずで,どのノートじゃなければというのは基本的にない。
● 昨年11月17日のこのブログに,次のように書いた。
(今年4月以降の)5年の間に手持ちのダイスキンを使い切りたい。それ以後はコクヨのSYSTEMIC(A6サイズ)でメモと手帳を運用していくつもり。 手帳はダイソーのA6マンスリーを,メモ帳はCampus。
● けれども,ダイスキンの在庫をしみじみと眺めて,あと5年でダイスキンを使い切るのはとても無理だと思った。
A6は赤をそっくり使ってもらえそうな人に進呈したこともあって,あと2年半で使い切れそうだ。が,そのあとにB6が大量に控えている。死ぬまでには(たぶん)使い切ることになるけど,A6を使い終えたあとの2年半ではとても無理。
● 手帳も5年間は現状維持,つまりBindexの使用を継続することにしているんだけど(その理由というのが,保存用バインダーが5冊残っているからっていう,何とも冴えない理由なんだよね),それ以後はB6ダイスキンとダイスキン手帳というダイソーの鉄壁コンビで行こうか。
で,その後に(70歳近くになっていると思うけど)SYSTEMICを使うという順番にしようか。
● 保存用バインダーはSeriaで買ったやはり百均製品。捨ててしまってもいいかも。捨ててしまって,来年からダイスキン手帳を使う,と。
B6ダイスキンも使わないで捨ててしまう手もなくはない。これまたどうせ100円なんだし。
まぁでも,買ったモノは価格の高安を問わず,キッチリ使いたいというドケチ根性があってねぇ。
● B6も使ってくれる人にあげてしまうという手はあるか。もらってくれればの話だけれど。
ただね,ダイソーのノートを大量にくれるといっても,あまりありがたくはないかもしれないよねぇ。ご自分でお買いになったんですから,ご自分でお使いになったらいかがですか,とやんわりと言われそうだよなぁ。
● ひょっとすると,ぼくはダイスキンをずっと使い続けたいと思っているのかも。SYSTEMICにCampusを挟むなんてことをしないで,ずっとダイスキンを使っていたいよ,と。案外,ぼくの本音はそこにあるのかもしれない。
だから何なんだ,まとまらない話だな。そういう些細なことで,どうしてそこまで悩めるのかね。どうだっていいじゃん。うん,それはぼくもそう思うんだけどね。
● Plaisirのオレンジに惹かれる理由は,その色が賑やかさを湛えた落ち着きがあるからだ。こんな色のペンを使ってみたい。
しかし,それが第一の理由ではない。一番目の理由が何かといえば,使用中のPreppyが満身創痍であることだ。
● 瞬間接着剤療法でここまで来たけれども,もうそれも限界かと思うからだ。ペンケースの中でキャップが外れていることがしばしばあるからだ。
そこで今日も何度目かになる瞬間接着剤療法を施した。カチッとというわけにはいかないけれど,キチンと嵌まるようになる。
ただ,何度も抜き差しするうちにまた緩くなるわけだ。そしたらまた瞬間接着剤療法。その繰り返し。
その結果,満身創痍状態がさらに進行する。キャップにはテープを巻かれ,内側にはる瞬間接着剤の跡が汚らしく残る。
● 今のところ,Preppyの心臓部(ペン芯)には何の問題もない。まだまだ使えそうだ。使えそうだとなれば,さらにだましだまし使っていく方を選択することになる。
その結果どうなるのかといえば,死ぬまでずっと世界で一番安い万年筆を使い続けることになるのだろう。
そういう人生でいいのか,オレよ。
● 落合書店ベルモール店の文具売場で見かけたものがもうひとつ。プラチナのPlaisirに新色が登場してたんですよ(半年前に出てたようなんだけど)。メーカーの表現を使うと“ノバオレンジ”。
この色,いいかも。いずれ使うであろうダイスキンの在庫の中に,B6サイズのオレンジがたくさんある。それに“ノバオレンジ”のPlaisirを合わせたら,なかなかよかんべや。
● Plaisirは1,000円で買える。いいと思ったんだったら,サッサと買えやということだ。
ところが。ぼくはPreppy野郎だ。まだ3年しか使ってないけど,同じ万年筆を3年も使い続けるのは,初めてのことだ。まだ1本目のPreppyが使えている。
その後も〈極細〉を買いましたり,赤も買ったりしてて,けっこうな数の在庫がある。それらを使っていかねば。
● というわけなので,新しい万年筆を買うのは,たとえ1,000円といえども,ちょっと抵抗がある。
Preppyは騙し騙し使ってきたので,騙した数だけ愛着ができている。Plaisirの新色がいいからという程度の理由でPreppyを捨てるわけにはいかないのだ。
● が,ペン芯はPreppy用とPlaisir用が同じもの。したがって,相互に交換が利く。今使っているPreppyのペン芯を“ノバオレンジ”のPlaisirに装着して使うことはできるんだよなぁ。
でも,それではPreppyを使っているとは言えなくなるよなぁ。どうしようかなぁ。
● 落合書店ベルモール店の文具売場を覗いてみた。ら。G.C.PRESSのコーナーが作られていた。便箋や封筒,一筆箋やはがき箋。G.C.PRESSの製品だけではなく,ミドリなど他のメーカーのものも並んでいたけど。
便箋や封筒は,昔に比べるとめっきり使われなくなった文具の代表だと思う。メールが郵便に取って代わった。今はLINEだとか,Facebookのメッセンジャーが使われているんだろうけど。
● 今の郵便って,企業からのDMで成り立っているんでしょ。信書の保護なんて言葉は過去のものになったと思っていたんだがな。
メール便はダメだなんていうのは時代錯誤も甚だしい。困ったものだ。郵便局よりクロネコヤマトの方が信頼できるんだが。
● おっと,話がずれた。ともあれ,文字のやり取りはデジタル化の恩恵を最も受けた分野。文字のやり取りが通話機能をも代替しつつある。
フリックでバババッと話す速度で入力できる人は,若者を中心にいくらでもいるだろう。そうした人たちは,もはや携帯「電話」を必要としないだろう。
● 手帳機能のデジタル化も実用のレベルに到達しているようだ(ようだと言うのは,ぼくは使っていないので)。紙の手帳を凌ぐ使い勝手を示す部分もあるようだ。
昔の電子手帳からシャープのザウルスやPalm OSのPDAを経て,スマートフォン&グーグルカレンダーに至った。
● が,デジタル手帳が進境著しくなると,逆に紙の手帳が売れるようになった。不思議な現象だと思えば思える。けれど,わかる気もする。
現状では紙の手帳の方が便利に取り回せる。1日1頁タイプに代表される部厚い手帳,大判の手帳を持ち歩くことが,流行しているようにも思われる。
● しかし,便箋はどうなのだろう。デジタル化が行くところまで行って,かえってアナログが見直されているという状況があるんだろうか。
自分を顧みると,手帳は紙だけれど,便箋を使ったことはここ20年ほどは絶えてない。
● 便箋って,メールなんかない時代にも使う人は限られていた。少なくとも手帳よりは。
音声ではなく文字を使ってするコミュニケーションの唯一の手段が郵便(便箋)だったわけだけど,それでも使う人は限られていた。
その限られた人が使っていたわけだけれども,さらにその人たちの使い方もまた限定的なものだったはずだ。友人知人に誰彼となく手紙を書いて投函していたわけではないだろう。
● ぼくもそうだった。ぼくは手紙を書く人だった。使っていたのはコクヨの書翰箋。味も素っ気もないというか,実用一辺倒の便箋。
それを使って20代の半ばくらいまで,高校のある友人と手紙のやり取りをしていた。けっこうな量の書翰箋を消費したと思う。
つまり,彼とはかなりの手紙のやり取りをしたけれども,彼以外に手紙を書くことはなかった。
● だいたい,文字を紙に書くっていうのが,まったく一般的ではない。でき得れば,そんなことはしないですませたいと考える人が大半だろう。
にもかかわらず,LINEがこれだけ普及しているのは逆に驚異で,いつから日本人はこんなに書くことに抵抗を感じないようになったのか。
● で,どうなんだろう。便箋とかレターセットとかの売行きは増えているんだろうか。メールやLINEが書くことのハードルを下げ,そこに手書きの良さが云々されているという追い風がある。
書道アイドル(?)も登場している(その中のひとりが,栃木県出身の涼風花)。書道を習う人も増えているのかもしれない。
でも,まぁ,ぼくは何か書かれた一筆箋を受け取ったことはないし,手紙をもらうこともないんだけどね。
● 先月はTwitterへのツイートがかなり少なかったんだけど,今月は多い。その理由のひとつは,新聞の切り抜きをTwitterに上げるのが増えているからだ。
● Twitterはすっかり自分のスクラップブックになっている。が,スクラップ帳としてはTwitterの使い勝手はいいとはいえない。一覧性に難がありすぎる。スクロールしなければならないようではどうにもならない。
ところが,同じスクロールでもTwilogで見ると,見づらさが緩和されるようだ。なぜだ。
● であっても,Twitterをスクラップブックとして使い続けることになるだろう。難があるのになぜかというと,切り抜き自体が重要事ではないからだよね。一覧性に難があるといっても,元々がさほどに重要なことではない(と思っている)ので,それが実害にならない。
だったら,止めてしまってもかまわないんだよね。
● ただ,少し気になる記事だから切り抜いておこう,というわけなんですよ。少し気になる程度だから,わざわざ糊をつけてスクラップ帳に貼るなんてのは大仰にすぎる。
スマホで写真を撮った方が早い(スキャナアプリを使うとPDFになってしまうので不可)。というわけで,しばらくはTwitterスクラップを続けることになるだろうな,と。
● 基本,やらなくてもいいことをやっている。おまえはアホだと言われるかも。
それに,だ。紙の新聞を切り抜かなくても,ネットにデジタル版があるだろって話でもある。そこにリンクを貼ればすむ話でしょ。いちいち切り抜いて画像にして,それをTwitterに添付するなんて時間のムダなんじゃないの。
● 泊まりのときは,ヤフオクで落とした(新品だった)マウスコンピューターのタブレットPC(WN891)を持っていく。操作にもだいぶ慣れた。
最も慣れが必要なのはキーボード。そのキーボードに慣れてきたということだ。
● それでもThinkPadに比べれば,タイピングは遅くなるし,ミスタッチも増える。その分,わりとストレス濃度は高くなる。
ときどき,キーボードからの操作とは違った変化をすることがあって,これもストレス濃度を高くする。
しかし,タブレットにThinkPadと同様の快適さを求めるのは,求める方が間違っているだろう。
● キーボードから来るストレスは,キー配列が独特であるところから来ている。どのタブレットでも同じかというと,そんなことはない。
MicrosoftのSurface Proは,パソコンと同じ配列の日本語キーボードになっている。
● ともあれ,タブレットがあるので,スマホに外付けキーボードをつなげて使いたいとはあまり思わなくなった。
が,WN891には困った性癖がある。いや,WN891ではなく,たまたまぼくの手元にあるWN891に限ったことかもしれないんだけど。
それは何かというと,電源ボタンが利かなくなってしまうことがあるってことなんですよ。電源が入らなくなる。
● 一緒に付いてきたアダプターではなくても充電はできるはずだと思うのだが,それをやったらバッテリーが臍を曲げてしまったこともあった。
充電ランプが点灯していても充電されていないことがある,などと書いてあるサイトもある。
● 目下,満タンに充電したはずなのだが,ぼくのWN891は電源が入らない状態だ。安さが際だつタブレットなんだけど,安いなりの製品ってことですか。どうなんだろうな。
● 目下,ぼくが使っているノートとペンはダイスキン&Preppyだ。手帳は日本能率協会のBindex(No.011)。
当面,これを変えるつもりはない。ダイスキンもかなりの量の在庫を抱えているし,Preppyも4,5本はあると思う。
● ただね,それ以外にもいくつか持ってるわけです。文具好きな人って,だいたいそうだと思うのですが。
中でもコクヨのSYSTEMIC(A6)は早く使いたい。できれば,今後5年以内にダイスキンの在庫を使いきって,SYSTEMICに移行したい。
● SYSTEMICのSYSTEMICたる所以は,2冊のノートを一緒に扱えることだ。手帳とメモ帳をSYSTEMICに挟みこんで持ち歩ける。
メモ帳はコクヨのCampusで決まりだ。手帳はダイソーのA6サイズのマンスリーを挟めばいいと思っている。
● 5年後といえば,今の仕事からは足を洗っている。会議だの面談だの締切だの,そういうものとは無縁になっているはずだ。だからこそ手帳はマンスリーでいいのだ。
当然,高いものである必要などない。百均商品で充分だ。
● という前提で,無印の文具売場を覗いてみた。A6マンスリー手帳はもちろん無印にもある。価格は400円。セコくて申しわけないが,ぼくが買うことはないなぁ。
品質とか堅牢性とかも勘案すると,単純に価格は4倍ってことにはならないと思うんだけど,ダイスキンを長く使ってきて,ダイソー製品の品質に合格点を与えてしまっている。ダイスキンはいいけど他はダメってことはないと思う。
● “滑らかな書き味のノート”のA6サイズ。かなり魅力がある。が,この厚さではSYSTEMICには入らないだろうな。
ところで,“滑らかな書き味のノート”には万年筆で書いても大丈夫的なことが書いてあった。ということはだ,それ以外のノートは,万年筆で書くことは想定していないのか(“開きやすいノート”を使ったことがあるけれど,万年筆で書いても何の問題もなかったけどね)。
たぶん,万年筆で書く人は少数なのでしょうね。やはりボールペン,ジェットストリームとかフリクションとか,で書く人が多いんだろうな。したがって,それを前提にそれに合った紙質を考えることになるんでしょうね。
● SYSTEMICなんて言ってないで,ずっとダイスキンを使うのもいいかなぁと思ったりもする。手帳もダイソーのダイスキンタイプのやつ(これはウィークリーになるんだけど)。
同じ判型の同じ色のハードカバーのノートと手帳。百円ノートと百円手帳。この組合せでもいいわ。
しかもこれなら,5年を待つ必要はない。すでにBindexを使い始めているので,今年はちょっと無理だけど,来年からこのスタイルにすることはできる。
● このブログ,一昨年に比べると,昨年はだいぶエントリー数が減っている。今年はさらに減るだろう。
文具への興味が減っているというより,ダイスキン+Preppyの300円システムの安定性が増しているので,他の文具を試してみようと思わなくなったことが,エントリーの減少につながっている。
● つまり,書くことがホントになくなるわけで。文具は使うものであって,語るものではないから,それは望ましい状態ではあるんだろうけどね。
● 文具に関する現在の関心事は,今後5年間でダイスキンの在庫を使い切れるかどうかという点だけだったりする。
あと強いていえば,Preppyがあとどれくらい保つかといったあたり。現在,45本目のカートリッジを装着しているんだけど,100本まで行くかとかね。
● Preppyに関しては,軸とキャップの嵌合が弱くなるのが最初に出る問題で,そこをだましだまし使ってきた。で,そこをどうにかすれば,次に出る問題は何だろうという楽しみ(?)もある。
ステンレスのペン先が横に割れるなんてことになるのかなぁ。
● ひょっとしてひょっとすると,200円のPreppyよりもぼくの寿命が先に尽きるのかもしれない。そういうことに気を回さなければならない年齢になってきたってことだ。
● 読書に付箋は欠かせない。ぼくは線を引っぱったり,ページを折ったりしない。付箋を貼っておく派だ。
で,今日は東京に遊びに来てるんだけど,付箋が切れてしまった。ので,たまたまいたお台場のダイバーシティ東京プラザにあるダイソーで付箋を補充した。
● それが“7カラーフィルムふせん”というやつ。幅4㎜,長さ44㎜。350枚入っている。MADE IN CHINA。
で,以下にすっげくセコい話をすることになるんだけど。
● これって,“蛍光カラー極細インデックス”として売られているものと同じではなかろうか。こちらは600枚なんだけどね。それを350枚にしてお値段据え置きというわけ。
両者の違いは付箋の台紙になっているプラスチック板が,“7カラーフィルムふせん”は定規にもなるよっていうところ。でも,これを定規として使う人はあまりいそうにない。
● 結局,実質値上げ。この値上げはしかし,当然だろうなと思う。350枚で100円というのだって,だいぶ安い。
その上で,だね。“蛍光カラー極細インデックス”を見かけたら速攻で買い占めておこうかね。すでに7つか8つはあるんだけどね。
● 11月23日に使い始めたダイスキンを元日の今日,使い終えた。ちょうど40日間。
● 数ページ残っているとしても,キリのいいところで12月31日で終わりにして,今日から新しいノートに移ろうかとも思ったんだけど,1月1日だけを特別扱いにするのも何だかなぁと思ってね。
って,どうでもいいコダワリですなぁ。
● ダイスキンを何冊か続けて使うと,別なノートに浮気したくなるのがこれまでの常。でもって,やっぱりダイスキンがいいなぁと思うのがこれまでのお約束。
なんだけど,今のところはダイスキン以外の小型ノートを使ってみたいとは思っていない。次も黒のダイスキンを使う。うずたかく積んである在庫の一番上の1冊を持ってくることになるだろう。
● 使い方にも変化は見られない。ネタ帳,アイデア帳にはならない。ネタやアイデアを出さなければならないような仕事や生活はしていないわけでね。
日記のような使い方になってしまっている。自分の行動を追い書きしているだけだ。クリエイティブという言葉には憧れるけれど,ぼくのダイスキンにはクリエイティブな香りは一切ない。
● すべて文章だしね。図解などというのは薬にしたくても,ぼくのダイスキンにはカケラもないな。ズラズラッと文章の塊が並んでいる。
だから,横罫しかないダイスキンでも何の不都合もないわけだ。ダイスキンにも無地や方眼を望むっていう声をネットでしばしば耳にするけれども,ぼくは横罫でいい。方眼なんか持てあますだけだ。
● こういう使い方だと,検索性はほとんどないに等しくなる。自分が書いたものを後から確認することはそんなにないんだけど,たまにあるとわれながらウンザリするわけ。
このあたりは工夫の余地があるのかもしれないんだけど,滅多にないことなのでね,具体的に工夫する気にはならないでいる。