● 5月14日から6月24日までの42日間。毎日,千円のプレジールでシコシコと書いた。使い終えて,たっぷり在庫のある中から新しいダイスキンを1冊下ろすのは気分のいいものだ。
● ただし,だ。最近は少しマンネリが兆してきたように思われる。内容は完全に日記になった。1日の記録になっている。
その時その時にダイスキンを開いて何事かを書きつけるというより,1日の終わりあるいは翌日になってから,その日の出来事ややったことをまとめて書くことが増えた。
● ノートを書くことにしたもともとの理由は,憂さを捨てるためだった。自分でも持てあましてしまう自分の感情の高ぶりを,手書きで書きつけてノートに捨てる。そういうことを考えていた。
だから,同じことを何度書いてもかまわないし,憂さが捨ててあるんだからわざわざ読み返すこともない。ネタ帳やアイディア帳ならあとから何度も読み返さなければ意味がないだろうけども,ぼくのノートはそういうものではない。
● しかし,実際にやってみると,そうした必要があるときにはかえって書くのが億劫になることがわかった。
気持ちが強い人ならそんなことはないんだろうけど,ぼくのような心的弱者は,感情に搦め捕られてしまう。書くことに向かえるのは,嵐が去ってだいぶ経ってからになるのだ。
● 読み返さないのは実行できている(?)。1冊使い終えたあとに,読み返すなんてことはない。日記になってしまっているのだ。自分が毎日面白いことをしているわけはない。密度の薄い定型の繰り返しであることは,自分が一番よくわかっている。
だから,使い終えたダイスキンは捨ててしまってもかまわないと思う。
● Twitterを始めてからは,Twitterのツイートがそのまま自分の1日のログにもなっていて,いよいよダイスキンに何事かを書いていくのは時間のムダのように思えてきた。
もちろん,ネットにはあげられないこともある。そういうものはダイスキンが唯一のよすがになるんだけど,そんなのは意外に少ないものだ。
● ダイスキンの在庫が大量にあるのも,とにかく(ダイスキンを)早く使わなくちゃというプレッシャー(?)になっているかも。
● これからは,ネットにあげるわけにはいかないことしか書かないとか,書く量を減らす方向で検討する必要があるかなぁ。
書いてあることの大半はゴミだというのも,読み返さない理由になっているわけで,使い終えたら本当に捨ててしまってもいいものなら,そもそも書かなくてもいいんだもんね。
ともかく。少し考えないといけないところに来ている。もし,Twitterで間に合ってしまうなら,紙とペンは要らない。
0 件のコメント:
コメントを投稿