● 自分では使わないんだけど,気になる文具がある。トラベラーズノートはそのひとつ。文具店に行くたびに見ている(が,自分が使うことはないとわかっている)。
● 惹かれる理由は2つあって,ひとつは革素材の放りだしたような感のあるカバーと,同じくラフな作りに見えるノート中紙。
もうひとつは,「日常を旅するような気持ちで過ごしてみてください」という,トラベラーズノートのキャッチコピー。
● 旅行中は気づきの連続だ。ノートを持っていれば,書いておきたいことが次々に出てくる。あるいは,チケットやチラシなど,ノートに貼って保存しておきたいブツが溜まる。マメな人なら,1週間の旅行でノート1冊を使い切るのではないか。
● 旅は必ず終わる。人生もまた。いずれ終わるものなら,旅するように生きられれば,発見もあるしワクワクもできるだろう。
どうすれば旅するように日常を生きることができるのかという,その肝心なところを方法論としてまとめることは,もちろんぼくにはできない。“日々新た”という心構えで生きなさい,というのは,微妙に違うように思うんだけど。
● けれども,旅するように日常を生きろ,というこの言い方に妙に惹かれるんですよね。ここに大事な何かがある,と思うんですよ。
この言い方に惹かれるようになったのは,自分の持ち時間の残りが少なくなっていることを知らざるを得ない年齢になったからだ,ということも。
若い頃は,時間は無限にあるものだった。自分は何者にもなり得ると思うことができた。
● が,何ほどのこともしないで(できないで),年を取ってしまった。その思いが,“人生=旅”という,すでに言い古された常用句に自分をなびかせる。
少し,悲しい。ほんの少し。
● 旅するように日常を生きるための方法論に戻るんだけど,日常に“移動”を盛りこむことは必須だと思う。
どこにも出かけないで過ごすのではなく,近場でいいからどこかに行ってみること。家の中にいないこと。こもらないこと。
たとえば散歩でもいい。できるだけ“小さな旅”を日常に散りばめること。それが旅するように日常を生きるための出発点になる。
● 旅するように生きるためには,“小さな旅”を続けていないといけないってことだね。想像力だけで旅をする,“揺り椅子の旅人”にはならない方がいい。
いや,なってもいいんだけど,それだけではダメだと思う。
● では,なぜそのトラベラーズノートを自分は使わないのかといえば,高いからなんだな。ダイソーの百円ノートで充分じゃないかと思ってしまうんですよ。度し難い貧乏性。
もうひとつ。トラベラーズノートはとにかく独自の世界なんだよね。コンセプトもそうなんだろうけど,何より規格が。
使用済みのリフィルを保存するにも,TRAVELER'S COMPANY が用意している保存用バインダーを使わざるを得ない。でなければ,横に積んでおくしかなくなる。
● つまり,TRAVELER'S COMPANY に絡め取られそうなのがなぁ。TRAVELER'S COMPANY が拵えた世界の外に出られなくなりそうなのがイヤなんですよ。
生意気を言わせてもらうと,AppleのiPhoneやiPadを使って違和感を感じない人は,トラベラーズノートとの相性もいいんじゃないかと思うんですけどね。
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