2026年6月6日土曜日

2026.06.06 バカの草刈り場

● ショートサイズの「大人の鉛筆」。川崎のヨドバシで買ったもの。
 自分にはこちらの方が合うはずと思ってたが,長いタイプを使うことの方が多いかもしれない。

● 書いてるときにはクリップはない方がいい問題。若干頭重めにもなるが,そこは無問題だし,ルックス的にはクリップは必須。このアンビバレンツ。
 これを胸ポケットに挿して出かけることはないんだけどね。クリップに実用性は求めてない。

● ただ,これがあると鉛筆要らないよね。三生分か四生分の鉛筆の処分を大幅に前倒ししなきゃいけない。だって,場所を取るだけになった鉛筆群なんて邪魔なだけだからさ。
 「大人の鉛筆」よりも「鉛筆屋のシャープペン」の方が鉛筆の天敵かな。削る手間が要らないのは,特に旅先においては大きなメリットだ。
 が,旅先に限らず,ハンドル式の鉛筆削りが手元にある自宅においても,鉛筆から「鉛筆屋のシャープペン」 にすぐさま乗り換える事ができるわけだ。それで何かデメリットがあるかといえば,そんなものは何もないと断言できる。
 「大人の鉛筆」もそうだが,「鉛筆屋のシャープペン」 も鉛筆の風合いが移植されている。木軸シャープなんてこれで充分だろうよ。

● さて,ここからが本番なのだが。
 しーさー氏が有名にした,野原工芸に代表される木軸ブームがまだ続いているようだけども,言葉を選ばずに言ってしまうぞ。あそこはバカの草刈り場だ。
 それを端的に示すのが転売問題だ。転売ヤーのことではない。こういうもので小銭を稼ごうとするのは暇な貧乏人に違いないけれども,それ以上に転売ヤーを詰る側が本当にバカっぽいのだ。ぽい んじゃんくて,正真正銘のバカなのだ。

● 自分たちが転売ヤーを生んでいるという自覚がない。そもそも世間の潮流に群がること自体が馬鹿の証明であるわけだ。この状況下で木軸ペンに走っていて恥ずかしくないのか。
 今までも誰かのカモになって生きてきたのだろうが,これからカモであり続けるのだろう。カモりたい側は「推し」「推し活」などという言葉を編み出して,いっそうカモろうとしているようだが,バカは常に必ず搾取される側にいる。にもかかわらず,あまり世の同情を引かないのは,あまりといえばあまりにバカだからだ。

● 少しは考えろと言いたいが,そんなことができるくらいなら,その時点でバカではない。バカにつける薬はない,バカは死ななきゃ治らない,と昔の人は言ったが,まったくそのとおり。バカがバカを治すのは生まれた時点で手遅れだ。
 かつ,バカが自分の頭で考えてしまうのは,最悪の結果を招く。バカが自分の頭で結論を出すのだから,間違えるに決まっているからだ。賢人の意見を訊いて,それに従った方がいい。

● 書物でそれをするのを勉強というのだが,バカはその勉強を億劫がる。自分のスカスカの頭とごくわずかな経験だけで辻褄を合わせようとする。その方が楽だからだ。
 そういうバカが木軸ペン界隈に蝟集していると,ぼくには見える。バカに交わるとバカが伝染る。近づかぬが吉と思う。

● 自分の頭で考えていい人など,そうそういるものではない。たぶん,それが冷徹な真理というものだろう。
 当然,ぼくも自分の頭で考えてはいけない側の人間だ。そのことはわかっているから,できるだけ自分の頭では考えないようにしている。
 ソクラテスが言ったとされる “無知の知” とは,案外,こうしたことを指すのではないか。自分はバカだから自分の頭で考えてはいけない人間だ,ということを悟るのが “無知の知”。

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