● 旅するように毎日を過ごしてほしい,というトラベラーズノートのキャッチコピーが,なんか頭を離れなくて。旅先は発見の宝庫だ。誰であっても,その人なりの水準に合った発見が必ずある。
人によっては1週間でトラベラーズノートのリフィル1冊を使い終えるかもしれない。絵を描いたり,チケットやリーフレットを貼ったりして。
● 同じだけの発券を日常で行うことは難しい。そこにあるものが前提になるからだ。それを踏んだうえで生活している。踏んでいるんだから,それが風景として目に入ることはない。
が,10年20年単位で見れば,まず自分が変化する。街の風景や風俗も変わる。10年前,20年前の自分や風景や風俗を見るときには,たぶん,旅人の視点になる。
ならば,10年後20年後の自分という旅人に,時空の旅をしてきた証を残しておいてやるといい。
● 発見されるのを待っている事がらは,あるはずなのだ。10年後には面白くなっているはずのものが,面白くもない表情をして,そこにたたずんでいるはずなのだ。
数からいえば,旅をしているときと同じ頻度で,あるはずだろう。だから,旅行中にトラベラーズノートを1冊使いつぶす人ならば,日常においてもやはり1冊使いつぶせるはずなのだ。
といって,日常でそれをやったら,それ以外のことをする時間がなくなってしまうだろうけど。
● トラベラーズノートではない別の方法で,それと自覚せずにやっている人は,昔に比べれば今は増えていると思われる。SNSだ。自分のツイートや投稿を10年後20年後に読み返してみると,10年前20年前の自分の旅の様子がわかるのではないか。
問題は,10年後や20年後にTwitterやFacebookが残っているという保証は必ずしもないということだけだ。ので,安全を期すならばノートを使った方がいいだろう。トラベラーズノートである必要はないけれど。
● が,旅するように生きている気分を味わうには,あえてトラベラーズノートを使ってみるのはアリだと思う。そう思わせるだけのたたずまいをトラベラーズノートは持っているような気がする。
ぼくはダイスキンでいいと思っているが,負け惜しみかもしれない。トラベラーズノートは高くて買えないがゆえに,ダイスキンでいいや,と思っているのかも。
● 現在のモレスキンは,フランスはトゥールの製本業者が作っていたノートをパクったものだ(復活させたといっても,その製本業者の了承を得たという話はついぞ聞いたことがないから,パクったと言っていいのだろう)。ダイスキンはそのモレスキンをさらにパクッたものだけれども,オリジナルは元々旅行用というか,外で使うことを想定していたもの。ブルース・チャトウィンが,「この手帳をなくことは,パスポートをなくすのと同じくらい私にとっては災難だ」と語ったという。
というわけで,旅するように毎日を過ごしていく人に,ダイスキンもまたふさわしいノートなのだと思って,ダイスキンを使っていこう。
0 件のコメント:
コメントを投稿