● 忙しいときはノートに日記的なことを書くなど,できない。誰でも身に覚えがあるだろう。忙しいときには手帳もノートも白紙のままになる。
ということを考えると,手帳やノートは基本的に暇人のものかもしれない。お忙氏はそういうものをかまっている暇がない。
● いや,言い直そう。手帳やノート自体が暇人のものなのではない。手帳やノートにログや日記・日誌を書くのが,暇人のものなのだ。ゆえに,ノート術や手帳術を説く書籍やムックや雑誌の特集のとおりにできるのは,暇人に決まっているのだろうな。ぼくにしたって,13~16日の4日間はノートから離れていた。
仕事で忙しいのか,遊びで忙しいのか,あるいはそれ以外のことで忙しいのか。忙しさの元が何であれ,忙しいとノートに向かう時間などはない。
● まして,複数の手帳を使って,デコったり,可愛くしたり,あとから見返すのが楽しい手帳づくりなんてのをしている人は,どんだけ暇なんだかってことになる。
そういうことをしている人で仕事ができる人はまずいないような気がする。もちろん,逆は真ではない。そういうことをしていないからといって,仕事ができるかといえば,かなりの確率でそうではない。
● では,忙しい人は,手帳やノートをどうしているのだろう。ぜんぶ秘書がやってくれるから手帳は持たないという人もいるかもしれない。が,そういう人は論外に置く。いろんな意味で論外だ。
たぶん,システム手帳を抱えていたりはしないだろう。システム手帳を使うのは,ほどほどに忙しい人までだと思う。自分が使っているから言うわけではないが,システム手帳も暇人の玩具だと思っている。
● おそらく能率手帳を使っているのかと思う。能率手帳じゃなくても,要するに綴じ手帳。小さめの手帳に大きめの文字で予定や気づきを書きこんでいるのじゃなかろうか。
したがって,書く量はそんなに沢山じゃない。たいていの事柄は書かれないで流れていく。手帳に書き留められたことは,いきおい,重要なことだけになる。自然にそういうことができるのではないか。
● と,ここまで書いてきて,長谷川慶太郎さんが中曽根元総理について書いていた文章を思いだした。中曽根総理は,長谷川さんの話を聞きながら,コクヨの小さなノートにメモしていたそうだ。たぶん,ぼくが使っているのと同じA6サイズのCampusではなかったか。
安倍総理も,かつては違ったが,二度目の総理になったときには,人の話をよく聞くタイプになっていたそうだ。やはりメモを録りながら聞いているのだろうか。
● ノートを作ることを最終目的にしてしまってはいけないな。それが趣味だという人もいるはずで,それはそれで悪いことではないと思うが,“その他大勢”に埋もれる人だろうな。
かく申すぼくもノートのヘビーユーザーに属するだろうが,“その他大勢”の域から出られないタイプだと思っている。いや,この歳になっていれば「思っている」は余計だ。“その他大勢”から出られなかった。
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