● ぼくの筆記スタイルはいたって単純。メモはダイスキンにプラチナ万年筆のプレジール(細字)。手帳はBindexにハイテックCコレト(赤,青,黒,緑の0.3mm)。ずっとこのスタイル。
だから,これ以外には何も要らない。ほんとに何も要らない。
● しかし,家の中にはダイスキン以外のノートやメモパッド,プレジールとハイテックC以外のボールペンやシャープペンや万年筆がかなりの数,転がっている。シェーファーやモンブラン,クロスといったブランド品もあるよ。
こういうものは捨ててしまうのが一番いいと頭の中では思っている。だって使わないんだから。使わないモノがあるというのは,それ自体が精神衛生に良くないから。
● でも捨てられない。究極は自分の貧乏性のためだ。いつか使うかもと思う。むしろ,使い道を作れないかと考えてしまう方だ。
要するに,ドツボにはまる発想ね。つまるところは,ムダな使い道を作ってしまうんだから,そのことによって失うものの方がずっと多くなるわけね。
● そういうことはわかっているんですよ。わかっているんだけどね。
とりあえず,家にあったジェットストリーム2本。色が違うだけで同じもの。4色で0.7mm。どちらももらったもの。家に置いておいても使うアテかない。ので,職場に持ち込んでみた。仕事で使えないか。
ゼブラのバンカーズボールペン。普通の油性。上野駅構内のアンジェで買ったもの。買ったはいいけど,やはり使うアテがない。これも仕事で使えないか。
● で,持ちこんでみたんだけど,使いやしないね。用途が同じモノは1本あればいいもんね。
ノートや付箋は消耗品。いくらあってもいつかは使い切る。けれども,筆記具は消耗品というには,長くもちすぎる。
いろんなメーカーがいろんな筆記具を生産販売していて,文具店はほんとに百花繚乱的な趣を呈しているんだけれども,この列島に1億人が住んでいるといってもこれだけの筆記具が必要なのかと,しばしば思う。
● 誰でも,あれだよね,死蔵しているのがたくさんあるよね。ボールペンなんて使い切るまえに紛失するものだと思ってる人,たくさんいるよね。
紛失するというのは消えてしまうということではないから,どこかに残っているわけですよ。すなわち死蔵。
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