● “ノートを使うことによって自分と対話する”という言われ方を耳にすることがある。最近,そのことがわかってきたような気がしている。
上達すればエレガントなやり方で,自分との対話を実現できるようになるのだろうが,まずはとにかく書いてみることだと思う。
● 日記的なことでも問題解決的なことでも,とにかく最初の1行を書いてみること。その1行が次を引きだす。そうして書き続けていく。
どう書くかはどうでもいいと思う。単語を羅列してもいいし,文章の形で書きだしてもいいし,図解できるなら図解すればいい。
● 書きだすこと自体が,たぶん,自分との対話になっているのだ。書きだした単語なり文章なりを,書きだしながら自分で読むことになる。それ自体が対話の始まりなのだと思う。
ともかくまずは量を出すことで,対話の始まりを体験してみることだと思う。
● 同じ作業をパソコンのモニターでやってもいいだろう。キーボードで入力した方が速度がでるから,対話の展開もスムーズになるかもしれない。
しかし,一方で,手書きの方が「引きだし」効果は高いような気もする。ハッキリしたことは言えないけれども,手書きでしか引きだせないものがあるような気がしている。
● 頭に浮かんだことをそのままツイートするという手はある。そのツイートが対話のための素材になりそうだ。
が,ツイートする前に,それをノートに書いた方がいいかもしれない。そのことによって自動的に対話が始まる。その対話を経た後でツイートすると,ネットにあげる文章が変わってくるかも。
いきなりツイートするのは脊髄反射で言葉を吐き散らす結果になることが多いのでは。紙で対話をすると,一応は脳に届くのではないか。
● ただし,その脊髄反射がTwitterの醍醐味であるのかもしれず,そのあたりは何とも言えない。Twitterの真骨頂とされるリアルタイム性も,対話を経るとその分だけ損なわれる結果になるだろうし。
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