● 96枚のA6黒ダイスキン,今回は25日間。仕事のことはほぼ書かない。私的な日記のようなものになっている。それで25日間で1冊消費するんだから,けっこうな量を吐きだしている。
どうでもよくないことをそんなに吐きだせるわけがないから,どうでもいいことを書き散らしているというわけだ。
● どうも,書くために書いているという色合いがある。何のために書くのかという,目的というのか,狙いというのか,必要性というのか,そういうものは,ない。
手で紙に何かを書くというそれ自体が好きなんだろうと思う。
● 書き方もいたって単調だ。図解だの箇条書きだの絵だのイラストだの,そんなものはほとんどない(ほとんどというのは,箇条書きだけはごく稀にあるからだ)。
ブルーブラックの万年筆でひたすら文章を書きつけている。したがって,ぼくのダイスキンは単色だ(手帳は4色だが)。文章の塊がコロンコロンと転がっているだけだ。
● 後から読み返すことも(今のところは)ほぼない。自分が書いた文章など,読み返そうと思うものか。たいしたことを書いているはずがないことは,自分が一番よくわかっている。
よくもまぁ,こんなくだらないことを延々と書いたものだな,と自分のつまらなさに嫌気がさすことになるに決まっているのだ。
● 自分の中に深く入っていって,自分と対話し,内省することが必要なときがある。自分と対話をするには自分の気持ちを書きだしてみるとよい,とはよく言われることだ。
ところが,本当にそれが必要な深刻な事態に見舞われたときは,書く作業じたいがかなりの苦行になる。いくぶんなりの余裕がないとそういうことはできないものだ。
● 図解とかイラストに無縁な理由もすこぶる単純だ。自分の中から出たアイディアや思いつきをメモすることがないからだ。なぜないかといえば,そんなものは滅多に出ないからだ。
というわけなので,深く内省できる人,思いつきの豊富な人にコンプレックスを抱いたことが,かつてはあった。が,今は居直っている。できないことはできない。
● さて。明日からは何を使おうか。って,同じダイスキンを使っていく。96枚のA6ダイスキンはあと6冊ある。黒が4冊,黄色が2冊。まずはそれを使う。そのあとは,先月買った80枚の黒ダイスキン11冊を使っていく。
このダイスキン,ダイソーは製造販売をやめたっぽい(確言はできないけど)。A罫64枚の新型ダイスキンしかない。新型ダイスキンも表紙の色や絵柄(木目調,大理石調)にあわせて一通りは買いそろえてみたけれど,これをメインに使っていこうとは正直思わない。64枚は仕方がないとして,A罫なのが自分の好みに合わない。ぼくはかなり小さい字を書くので。
● となると,ダイスキンの稀少性が一挙に増す。すでに手元にある分しか使えないわけだから,大事に使っていくことになる。
百円の製品を大事に使えるというのは,そうそうできない経験でしょ。
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