2019年2月21日木曜日

2019.02.21 次は“ARTIST JOURNAL”を使ってみるかな

● ダイスキンを順調に消費中。この後も手持ちのダイスキンを使い続けるつもりでいたが,また浮気をしたくなった。
 前に買っておいた“ARTIST JOURNAL”を使ってみようと思う。“ARTIST JOURNAL 革シボ調 ブラック S”というやつで,判型はダイスキンと同じ。中紙は90枚。値段はダイスキンの6倍(モレスキンの1/3)。ベトナム製。3点糸綴じ。
 ぼくが買ったのはA罫だが無地もある。製本はかなり丁寧で,おそらく中国製のモレスキンなど足元にも及ばない。
 ま,ぼくには同じ中国製でも,モレスキンよりはいくぶんマシなダイスキンで充分なのだが。

● それで何が変わるのかといえば,何も変わらないことはハッキリしている。判型も同じ。AかBの違いはあっても同じ横罫。それで何かが違ってきたら不思議というものだ。
 にもかかわらず,ノートを替えようと思うのは,文字どおりの浮気であって,それ以上の意味はない。

● 人は不満がなくても飽きる生きものなのだ。安倍政権に大きな失策はないと思うのだが,長く続いているとそれだけで飽きてしまう。
 その飽きを手なずけるテクニックとして浮気は有効だと思うけれども,浮気で何かが変わるわけではない。浮気じたいに飽きるわけだし。

● “飽き”に意識が行かずに,同じノートをずっと使い続けている人もいる。測量野帳ひと筋とかCampusひと筋とか。
 そういう人のことを雑誌の文具特集で見たりすると,すごいなぁと憧れてしまうわけだが,その理由はこちらが“飽き”に手を焼いているからだ。で,浮気を何度も繰り返しているからだ。

● どのノートを使っているかはどうでもいい。そのノートで何をしているかが本質のはずだ。それは誰でもわかること。
 したがって,同じノートを使い続けていようが,取っ替え引っ替えしていようが,そんなことはどうでもいいはずだ。
 にもかかわらず,“それひと筋”に憧れてしまうのは,浮気派が多数を占めているからという理由以外にない。

● “それひと筋”の“それ”に巡り合えた人は幸せだ。あらゆるものをひととおり試したうえで“それ”を決める人はいない。初期の段階でこれでいいと思うものに出合えたのだろう。
 もっといいものがあるかもしれないと考える必要がないほどにピンと来るものに出合えるのは,幸運以外の何ものでもない。

● 多くの人は青い鳥症候群に墜ちている。どこかにもっといいものがあると思い,それを求めてしまう。同時に,さほど変わるわけでもあるまいと思っている。だから,それ以上を求めるのをやめた人に憧れを持つ。
 そういうことなのだけれども,同じノートを使い続けていると,リアルに飽きるのは如何ともしがたい。それこそ,凡人の性というべきものだ。

● ペンも変えてみるか。“ARTIST JOURNAL”はA罫。だったら太い線の方がいいか。SARASAのブルーブラック(0.5mm)を使ってみるか。それとも,グリーンブラックを使ってみようかね。
 しかし,結局,Plaisirに戻ることになるだろうな。現在の筆記量をボールペンでこなすのは腕に負担がかかりすぎる。筆圧をかけないでもスラスラ書けるのがいい。現時点で万年筆を超えるものはないような気がする。

● いや待て。ぺんてるの“トラディオ プラマン”があったな。“ZEQUENZ CLASSIC360°”なるノートと一緒に買ったんだった。“ZEQUENZ CLASSIC360°”はすでに使用済みだが,“トラディオ プラマン”は使わずじまいだった。
 それを使ってみるかな。“ARTIST JOURNAL”は紙が厚いので,裏抜けの心配をする必要はないだろうからな。

● っていうかさ,ほんとどうでもいいことだよな。そんなの何だっていいじゃん,とこれを書いていて思いますよ。

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