2020年2月14日金曜日

2020.02.14 “ノートに手書き”の曲がり角?

● コクヨのSYSTEMIC(A6)にCampus2冊を挟んで持ち歩いている。A6Campusは48枚だから2冊で96枚。モレスキンと同じ枚数になる。
 持ち歩いている間は読み返す可能性があるわけで,枚数が多ければ“可能性”を長期化できる。

● 1冊目は11/16に使い始めて12/8に使い切った。2冊めは12/9に使い始めて2/10までもった。つまり,最近は書かなくなっている。
 手書きでノートを書くようになって7年目になる。当初は,ワダカマリを吐きだすのにちょうどいいと思った。吐きだしてスッキリする。ノートには自分の吐瀉物が残る。汚くてとても読み返すなんてことはできない。
 それでいい,そのためのノートなのだから,と思っていた。

● しかし,このあたりはぼくのチキンメンタルゆえなのかと思うんだけども,吐きだしてスッキリした方がいいと思える局面になると吐きだせない。吐きだすためには,その対象物と正面から対峙しなければならないからだ。それが億劫でできないのだ。対峙する覚悟がないというかな。
 結局,吐きだしても吐きださなくてもどっちでもいいようなことしか,吐きだせていない。

● 結局,日誌というか日記というか,その日やったことをログを書いているのだ。場合によっては数日経ってからその日のログを書くなんてこともしている。
 すでにTwitterにあげたようなことでも律儀に書いているのだ。じつにムダなことをしている。

● 日記のようなものなら,何も手書きで書く必要はないのではないか。Twitterであれブログであれ端末に保存するだけであれ,キーボード入力で足りる。というか,キーボード入力の方が向いているような気がする。
 それこそポメラでもいいし,スマホ+BTキーボードでもいい。手書きは時間のムダだと思えてきた。

● どうしよっか。音声入力も含めて,スマホの高度活用(?)を考えようか。
 ポメラを買おうか。ヤフオクなら(当然,中古だけど)1万ちょっとで買えるようだ。

● 見開きをユニットにして使ってきたが,ぼくはとにかく文章しか書かないので,だとすれば見開きにこだわる理由もない。次からは単純に追い書きしていこうと思う。
 文章しか書かないというのも,手書きじゃなくてもいいんじゃないかと思う理由だ。

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