2020年5月7日木曜日

2020.05.07 ダイソーのレターセット

● トナリエ宇都宮4Fに入っているダイソーへ定点観測(?)に行ってきたんですがね。96枚のA6ダイスキンは赤が1冊しかありませんでしたよ。なくなるんですかね,96枚ダイスキン。
 前にもそう感じられることがあったんだけど,結局のところ,そうはならなかった。今回もたまたま1冊しかなかったということかもしれません。

● レターセットが出ておりまして。昔から便箋や封筒はダイソーにもたくさんあったし,レターセットもなくはなかったような気がするんだけども,こういう形で目立つ展示をダイソーがするということは,アナログな“手紙”が復活してきたってことなのだろうか。
 たぶん,男は蚊帳の外だろうから,女性の間でということなのだが。

● 女性誌では数年前から手紙の特集記事を見かけるようになっている。たとえば,『OZ plus』(スターツ出版)の2017年1月号では「手紙って楽しい」と題する特集を組んでいる。
 LINEやメールではなくて,便箋に万年筆か細字の筆ペンで手書きの手紙を書く。封筒に入れ,切手を貼ってポストに投函する。あるいは,自宅に届いた手紙を開封してゆっくり読む。そういう所作のある空間や時間。
 墨をすって筆で書くというところまでは行かなくとも,万年筆で,自分しか読まないノートやメモではなくて,相手に届くはずの便箋に文字を書いていくという行為。源氏物語的なそうした色彩に憧れるということなんだろうか。

● 自分が毎日何をしてすごしているか,どんな出来事があったか,自分はそれに対してどう考えたか。そういうものを誰かに知ってもらいたいと思うのは,自然の情というものだろう。
 日記に書いてしまっておくのではなくて,誰かに知ってもらいたい。その誰かというのは誰でもいい。1人でもいいし,2人でもいい。

● そのための方法は今ならいくらでもある。Facebookはまさにそのためのツールだろうし,Twitterも同じだ。
 が,不特定多数に対して一瞬にして開かれるような世界ではなく,2人だけの秘め事といった色合いを帯びた手紙のやり取り。そういうものへの回帰願望があるんだろうか。
 もしそうなら,アンシャン・レジーム回帰願望の裏側には,SNS疲れに代表されるネット不適応症候群(?)があるのかもしれないなぁ。換言すれば,“つながりたい”や“絆”に疲れたということ。

● ぼく一個はネットで個対個のコミュニケーションを深めるのは不可能だと思っているので,それを主目的にしているやに思われるFacebookは放棄した。繋がるにはリアル世界でなければならない。
 リアル世界だと繋がれる相手は限られた数になる。だからいいのだ。してみると,SNS疲れはむしろ自然の理に添うものだし,レターセットが売れるのも,人が本来いるべき野生に戻るための具体的な動きなのかもしれないよ。

● ネットはネットで,もはやなくてはならないものになっているが,ネットでは代替できない個人世界がある。その個人世界の関係性の上を便箋に書かれた文字が行き来する。
 これからは,文通とかペンパルという言葉が復活するんだろうか。そこまでは行かないだろうな。基本的にはニッチな動きにとどまるはずだ。
 ちなみに,自分が便箋や封筒を買って手紙を書くことがあるかといえば,おそらくないだろう。理由は単純で,手紙を書く相手がいないからだ。大半の男性が同じはずで,「男は蚊帳の外」というのはそういうこと。

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