● ぼくは OASYS 100G でキーボードに入門した。昭和60年(1985年)のことだったと思う。当時務めていた職場が OASYS 100G を導入したからだ。
かな漢字変換という機能があって,キーボードで日本語を入力できることにまず驚いた。自分が個人的に書いた文書が活字になって印刷されることにも驚愕した。
● しかも,加筆・訂正・削除が自在にできる。消しゴムや修正液が要らないし,直した跡も残らない。
さらに,大量の文書がペラペラのフロッピー1枚に保存でき,いつでも呼びだして,見ることができる。もう書棚なんて要らないじゃないか。魔法使いなのか,おまえは,とOASYSに対して思った。
一度作成した文書の使いまわしができることにも大きく驚いた。今までだって送り状なんかは鉛筆で書いておいて,あとは必要なところだけ消して直してコピーを取って,という具合でやっていたんだけど,OASYSがあれば使いまわしの範囲が大きく増える。
● OASYSが印刷している間に別の仕事もできるのだ。ずっとそばにいて見ている必要はないのだ。OASYSに仕事をさせながら,自分は別の仕事ができる。
凄い,凄すぎるぞ,OASYS。こいつを自分で所有できれば,有能極まる秘書を雇ったようなものじゃないかと本気で思った。
いくらするんだろうと思って,これいくらなんですかと訊いたところが,300万円といったか,400万円といったか。当時のぼくの年収より多い金額だったのじゃないか。
● けれども,OASYSに夢中になった。50人か60人いる職場に2台しかなかったけれども,窓際のお偉いさんは近づこうともしなかったから,わりかし専有できたんだな。
画面は40×40ドットなどと謳ってたっけな。牧歌的な時代だったと今なら言えるけれども,でもこのときに感じたほどの衝撃を,その後,受けることはなかったね。パソコンにも,インターネットにも,SNSにも。
● このあと,ワープロのスペック向上,小型化,低価格化はすさまじかった。3年後には OASYS 100G と同様の機能のワープロを自分で買えるようになっていた。OASYS 30ms をたしか10数万円で買った。
これで職場で作った文書フロッピーを持ち帰って,自宅で続きの作業をすることができるようになった。この時代はインターネットなどは影も形もなかったから,情報の持ち出し規制なんてのはなかったんだよね。
● で,ここまでずっと親指シフトでやってたわけですよ。タッチタイプのことを当時はブラインドタッチと言っていたが,ぼくはそのブラインドタッチができなかった。キーボードの打ち方なんて習ったこともないし,知りもしなかったから,完全な自己流。左右の親指と人差し指の計4本指で入力していた。
今はローマ字入力ですべての指を使ったタッチタイプができる。キーボードを見ないで入力できている。それでも,現在のローマ字タッチタイプと当時の親指シフト4本指を比べると,後者の方が速度も出ていたし,タイプミスも少なかったのではないかと思う。過去が美化されすぎて記憶となっている可能性を否定しないけれど。
● いや,その先も親指シフトだった。自分で買った初めてのPCもFM-TOWNSⅡfresh。この頃はWindows3.1が出ていて,NECのガリバー時代は終わろうとしていたから,何が何でもNECとは思わなかったってのもあるんだけど,何よりTOWNSなら親指シフトキーボードを選べたからだ。
結局,親指シフトを13~14年は使ったことになる。その後は,さすがにワープロからパソコンに切り替わり,それが1人1台になる流れに入っていく。当時はイントラネットと呼ばれた,その会社だけのシステムが導入される。
それに合わせて,ローマ字入力に切り替えた。多少の苦労はしたけど,短時日でどうにかなった。で,そのまま現在に至る。
● 今年の3月いっぱいで退職した。もう職場のパソコンやソフトやシステムに縛られる理由はない。だから再び親指シフトに切り替えようとすれば,誰にはばかることもなく,できるわけだ。
親指シフト復帰は前にも考えたことがあるので,親指シフト環境についても多少は知っている。富士通が親指シフトのサービスを停止しても,親指シフターにはさほどの打撃ではないこともわかる。が,本家が親指シフトから離れていくのは,象徴的な意味あいがあるんだろうかなぁ。
● さて,自分は親指シフトに復帰するだろうか。10数年も使ってきたのだから,身体が憶えているだろう。キー配列にも打ち方にもすぐに慣れるはずだと思っている。
が,かすかに感じる億劫さは何なのだろう。ローマ字入力に慣れたこと。パソコンやキーボードやかな漢字変換ソフトはローマ字入力を前提にしているので,ローマ字入力ならデバイスを問わず,デフォルトのまま使い始め,使い続けられること。そういうところから来るかすかな億劫さだろうな。
このかすかな億劫さが大きな壁になることは,ぼくも何度も経験している。
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