● 手帳術の本やムックを見ると,手帳をどう使いたいかが先にあって,それに合った手帳を選べばよい,という記述があることがある。
しかし,それはできない相談だ。手帳をどう使いたいかなんて,使ってみなければわからないものだ。手帳をどう使いたいかがわかっているのは,けっこうなベテランユーザーに限られるだろう。
● さらに。ベテランユーザーであっても,はっきりとわかっているかどうかは,かなり疑わしい。手帳の使い方や可能性が全部で100あるとして,ユーザーが実地に体験できるのは10か20にすぎないだろうからだ。
物理的に手帳を替えてみると,おっ,こんな使い方もあったのかと気づく。そういうものだろう。
● だから,本当は,毎年手帳を替えてみるのがいいのかもしれない。ぼくはほどほどのところで妥協して,ずっと能率手帳を使ってきたんだけど,手帳を替えることによってしか得られない気づきがあったのだと思う。
その代わり,替えなければ味わわずにすんだ不便をもまた,味わうことになったろうけど。
● 永遠に未完成というのはディズニーランドだけではない。たいていのものがそうだろう。手帳の使い方といった卑近なことでも,試行錯誤に終わりはない。
ノートの使い方もそうだろうし,子育ての仕方もそうだろうし,お金の使い方もそうだろうし,装いの仕方もそうだろう。
● 200年も300年も生きられるのなら,あるいは完成形に到達できるのかもしれないけれど(いや,無理だろうな。自分をとりまく環境がどんどん変わっていくから),たかだか生きても100年じゃ,試行錯誤をし尽くすことなどできない。
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