2017年5月28日日曜日

2017.05.28 モレスキンへの不信感

● ダイソーやSeriaからもモレスキンと同じ,ハードカバーとゴムバンドが着いたノートが売られている。判型もモレスキンと同じだ。
 それをして,モレスキンのパクリだという人がいるけれども,それはまったく当たらない。もしそうなら,モレスキン社は訴訟を起こして,生産や販売の停止を求めればいい。が,そんなことはできるはずがない。

● モレスキンの特徴とされるハードカバーやゴムバンド,判型に至るまで,モレスキン社にオリジナリティーはないからだ。モレスキン社じたいが,それ以前にあったノートをパクったわけだから。
 自分がパクるのはよくて,自分以外の者がパクるのはダメだというのは,どんな恥知らずでもなかなか言えることではないだろう。

● しかも,モレスキン社はモレスキンという名前までパクった。「MOLESKINEノートブックは2世紀以上の間,ゴッホ,ピカソ,ヘミングウェイなどの芸術家や思想家に愛されていた伝説的ノートブックの相続人であり継承者です」と語っている。
 正当な相続人であり継承者であるならば,被相続人,被継承者の承認を得ているのでなければならない。そんなものは得られるはずがないので(被相続人はとっくにこの世にいない),つまりは自称に過ぎない。

● モレスキン社は1997年にできている。ゴッホは1890年に死んでいる。少なくとも,現在のモレスキンをゴッホが使ったはずがない。だから,「相続人であり継承者です」と言わなければならないのだけれども,フランスの製本業者によって手工業で作られていた元々のモレスキンと,モレスキン社との間には,何の関係もない。
 Wikipediaには「副社長のマリア・セブレゴンディは「製品には“物語”があることが重要である」とし,ゴッホやピカソらが使っていたものに似せたノートを売り出すことを思いつき」とある。思いついてやったことだ。

● 以上を要するに,モレスキン社のパクり方はかなり“悪質”だ。形状の他に名前もパクった上に,“伝説”までまとわせようとしたのだから。
 強欲にもほどがあると言いたくなるではないか。

● そのモレスキンを1冊だけ,自分も使ったことがある。途中で使い続けるのが苦痛になった。そこは持ちまえの忍耐力(?)を発揮して,最後までとにかく使い切ったのではあるけれど。
 大衆品だ。ありていにいえば粗悪品だ。品質だけでいえば,コクヨをはじめ,国内メーカーが出しているノートのいずれにも劣る。
 こんなものを1冊2千円で販売して恥じないのだとすれば,モレスキン社の経営理念はおそらく次のようなものなのだろう。
 儲かりさえすればそれでいい。

● しかし,そのノートを珍重する人たちが世界中にいる。
 先日,ネットをザッピングしていたら,“伝説”を踏まえてのことだろうと思われるんだけれども,モレスキンを使うことに浪漫を感じると書いている人がいた。
 ここからわかることは,人間は際限なく馬や鹿になれる生きものだということだ。

● 自分のお金だ。どう使おうと勝手だ。ドブに捨てる自由もある。傍からとやかく言うことではない。
 しかも,だ。馬や鹿に付ける薬はないとも言うし,死んでも治らないとも言われる。どうぞ御自由にと申しあげるほかはない。

● というわけで,ぼくはアンチ・モレスキンなんだけど,アンチというのは関心が顕現する形のひとつであることは承知している。
 モレスキンが正真正銘どうでもいいのであれば,アンチになる必要もない。関心があるからアンチになるのだ。

● 以上に述べ来たったところは,文具好きなら誰でも知っていることだ。そんなことは知ったうえで,モレスキンを使う人は使っている(のだろう)。
 アンチのぼくもまた,モレスキンには元気でいてもらいたい。元気でいてくれればこそ,アンチはアンチとして活性化されるのだからね。

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