だったら,それを使い続ければいいと自分でも思う。なのに,安い万年筆(Preppy)にかかずらっている。
これって何でなのか,自分でもよくわからないんですよねぇ。そこをあえて考えてみたいわけです。どうして万年筆をスパッと思い切れないのか。
● ひとつにはこういうことがあるかもしれないと思うんですよ。大昔は,文字って石板に鑿のようなもので削っていたのかもしれませんよね。
万年筆はたんに紙にインクを載せるというのではなく,ペン先で紙を削っているような感覚がある。紙をひっかくような感じといいましょうか。これが太古の感覚を呼びさますのかもねぇ。
● 同じようなことは鉛筆にも言えますな。芯を尖らせた鉛筆で書くとね。鉛筆って子どものとき使っていたものだから,万年筆は子ども体験を思いださせるのかもしれない。
さらにいうと,鉄筆でのガリ切りまで思いださせてくれるかも。古い世代にはね。
● ブルーブラックインクの風合いがいい。若い頃はブラックを好んだものだけど,近頃はブラックは強すぎると感じるようになった。
水性やゲル,低粘度のボールペンのように滑りすぎることがない。適度に抵抗がある。その抵抗が心地いい。
● ぼくの年代だと,万年筆を持つことは大人に近づくことだった。中学校の入学祝いは万年筆に決まっていた。高校は腕時計。ネクタイとスーツはさらにあとになるわけだけど,万年筆を持つことは大人への通過儀礼的な色彩をおびていた。
しかし,その万年筆もそんなには使う機会がなかったと思うんですよ。中学や高校のノートをとるのに万年筆を使った人はあんまりいないと思うのでね。せいぜい大学生の中にいるかどうかってところでしょ。しかも,大人になっちゃうと,案外使わないものでさ。
● だから,今,万年筆を使うってのは,子供返り,青春返りの願望を満たしているのかもしれないなぁ,と思ったりもする。
● ぼくの年代だと,万年筆を持つことは大人に近づくことだった。中学校の入学祝いは万年筆に決まっていた。高校は腕時計。ネクタイとスーツはさらにあとになるわけだけど,万年筆を持つことは大人への通過儀礼的な色彩をおびていた。
しかし,その万年筆もそんなには使う機会がなかったと思うんですよ。中学や高校のノートをとるのに万年筆を使った人はあんまりいないと思うのでね。せいぜい大学生の中にいるかどうかってところでしょ。しかも,大人になっちゃうと,案外使わないものでさ。
● だから,今,万年筆を使うってのは,子供返り,青春返りの願望を満たしているのかもしれないなぁ,と思ったりもする。
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