2018年8月27日月曜日

2018.08.27 有楽町の三省堂書店の文具売場で

● 有楽町の三省堂書店。文具売場でアウトレット品を販売中。付箋とか,ビクーニャの5本セットとか,お子様用のハサミとか。
 結局,買わず。付箋はまとめ買いしてもいいかなと思ったんだけど,ぼくには百均付箋で充分だしなぁ。

● 都会の文具売場の特徴は,モレスキンの売場が広いことかなぁ。ノートだけじゃなく,バッグも展示されてたりね。
 すべてがそうだというわけではないけれども,わりとモレスキンが目立つ感じ。やっぱり都会で売れるものなんだろな,モレスキンって。

● 『ほぼ日手帳公式ガイドブック2019』が平積みになっている。来月早々には来年の“ほぼ日手帳”が発売される。
 9月なのに来年の手帳かぁ。ずいぶん前倒しになったよなぁ。

● ちなみに,ほぼ日で最も惹かれるのは5年手帳だ。ぼくはダイスキンにダラダラと書き殴っているけれど,メモ帳を手帳と切り離すことのメリットは,メモスペースがフリーになることだ。書きたいだけ書ける。
 が,逆に,スペースを制限して圧縮して書くというのもありなんだろう。書きたいだけ書けると,大半は書くまでもないことが占めることになるしね。
 そうして,5年後には圧縮された5年分が一覧できるというのは,けっこう魅力的だ。

● でも,それをやるなら,Facebookを日記代わりに使えばいいんじゃないかと思う。非公開にして,日記を書いていく。
 Facebookは自動的にその日の過去の分を表示してくれるから,スペース無制限の5年手帳になりそうだ。アカウントを2つ取れば,日記用と普通の使い方を両立できる。5年手帳を持ち歩くことはないだろうから,家でパソコンで書くやり方でも問題はないだろう。
 といって,やはり一覧性に大差があるか。完全代替は無理だね。3年前の明日の分を見たいというときにはどうしようもないしな。

● ともあれ。あと少しで,文具店と書店の風景が変わるわけだ。一番いい場所が手帳売場になる。
 昨年は手帳選びに少し迷走した。A6の薄いマンスリーにしようと思って,いったんそれを買ったんだけど,結局ずっと使っていたBindex(No.011)にした。
 今年は迷いなし。つまり,来年もBindexを継続使用の予定。

● それでも,いろんな手帳を手に取って見てみることになるんだよね。どういうわけだろうな。手帳って,手帳だというだけで,手に取らせる魅力があるんだよね。

2018年8月25日土曜日

2018.08.25 新大久保の百円ショップで

● “百人町文化通り”で地方では見かけない百円ショップを発見。とにかく暑かったので,涼ませてもらうことにした。
 涼ませてもらうだけでは申しわけないから,お礼に文具をいくつか購入。

● まず,極細フィルム付箋。いずれも300枚入り。かつてのダイソーでは600枚入りのが売られていた。今は姿を消したけれども,買いだめてあるので,あと6個残っている。
 極細フィルム付箋はいくらあつても必ず使う。ので,安心して購入。

● ダイスキンと同じタイプのノート。中国製。販売元は薦田紙工業株式会社。B罫。セリスキンと似た紙質。ちょっと厚めの白い紙。
 中紙は50枚で,セリスキンよりだいぶ少ない。ダイスキンよりはもっと少ない。ただし,1ページ目から使用可能。日付記入欄も印刷されている。
 ま,これも間違いなく使うことになるだろう。

● トンボのペン型消しゴム。ぼくは鉛筆もシャープペンも使わない。したがって,消しゴムも使わない。なのに,リフィルまで買ってしまった。
 だから,これは使う見込みはほぼない。字を消す以外の消しゴムの用途はないものか。

2018年8月24日金曜日

2018.08.24 スマホとBTキーボードでGoogle Keepを使う

● スマホとBTキーボードの組合せ,なかなか悪くない。泊まりの外出にはこれを持っていく。パソコンを持ち歩くよりスマートな気がする。
 パソコンでしかできない作業を出先でする人(あまりいないと思うが)以外はスマホ+BTキーボードでこと足りる。というより,その方が面倒がないのではないか。

● ただ,それでTwitterに直接入力してアップしようとすると「ツイートに失敗」する(ことがある)。Wi-Fiを認識しなくなるんだろうか。
 仕方がないので,Google Keepに入力してからBTを切って,Twitterにコピー&ペーストして,アップするなんてことをやっている。バカバカしさの極みとはこういうことだろう。
 ところが,これ,そんなことをしなくても,Keepから直接ツイートできたんですね。無知ですまんす。

● とはいえ,さすがにパソコンを使った方が入力は楽なので,家ではパソコンを使用。なんだけども,あらかたの作業は,やろうと思えば,スマホとBTキーボードでできるだろう。
 最小限度のガジェットですまそうとすれば,これになると思う。タブレットはいよいよ要らないなと思う,今日この頃。

● Evernoteは複雑すぎて,その全容をつかむことがぼくにはできない。が,Keepは単純で使いやすいと感じる。
 やったことはないが,音声メモもできるらしい(音声を録音しながら,その音声をテキスト化してくれる)。Googleのアプリなんだから,検索はお手のもの。

● と語れるほどに使っているわけではないけれども,スマホとBTキーボードとKeep,これでメモは充分じゃね?
 メモと言っては意味が狭くなりすぎるか。不定形のデータを何でも放り込んでおけるデータベースソフトと見立てることもできるのじゃないか。

● 宿泊先でOfficeを使うことはまずないけれども,Android用のMS-Officeって使いものになります? ぼくはとっとと見切りを付けて,いったんはインストールしたMS-Officeは削除してしまった。
 表計算だけGoogleのスプレッドシートを入れている。ワープロはなし。Keepで足りる。念のためにテキストエディタは入れているけど,これもほぼ使わない。

● それから,Android用のATOKって使いものになります? さっさとGoogle日本語入力に切り替えてるんですけど。

 パソコンもATOKからGoogle日本語入力に替えてるんだけど,パソコンはね,ATOKの方がいいかもしれない。

2018年8月16日木曜日

2018.08.16 『ゼブラ完全ガイドブック』

書名 ゼブラ完全ガイドブック
監修者 ゼブラ株式会社
発行所 実務教育出版
発行年月日 2018.08.10
価格(税別) 1,600円

● 8月7日に八重洲ブックセンター宇都宮店でこれを発見。ほぼ,衝動買い。

● ZEBRAといえば40年前に初代シャーボが一世を風靡したのをよく憶えている。ボールペンとシャープペンが一緒になったという機能にではなく,質感というか高級感というか,そちらの方が記憶に残っている。
 そのシャーボ,自分も使った。20代の頃。青雲の志があった頃。自分は何者かになり得ると根拠はないけれども,思うことができた頃。
 ところが,使っていたことは間違いないのだが,どんなふうに使っていたのかは記憶にない。仕事で使っていたのかもしれない。プライベートでシャーボで書いたものは何も残っていない。あの頃はワープロ以前だから,必ず手書きだったはずなのだが。

● 現在だとSARASAのブルーブラックにお世話になっております。0.5㎜を使用中。といっても,普段はダイスキンにPlaisirで書いているので,SARASAの出番はそんなに多くないんだけど。
 このあとさらに,0.7㎜,0.4㎜,0.3㎜を揃える予定。当面,使うあてはないんだけど,揃えたい気分。

● 野木町に工場があったのは知らなかった。遠いところにある企業だと思っていた。

● 最近はマイルドライナーが売れているらしい。蛍光ペンは受験生が使うもので,あとはサラリーマンが書類を読むときにちょっと使うものだという認識でいたんだけど,マイルドライナーでイラストを描く人もいるんだな。言われてみれば納得だ。画材として蛍光ペンを使うのはありだろうな。
 ぼくには絵心がない。ZEBRAに限らずだけど,使う製品は限られる。文具の楽しい使い方のかなりの部分を排除しちゃってるかなぁ。絵心がないから絵を描いちゃいけないってことはないんだけどねぇ。

● 石川真一社長の発言をいくつか転載。
 機構系の文具は昔から割とヒットするんですよ。(p93)
 シャーボも,以前からあった黒と赤の2色ボールペンの不良品から生まれた。ボディ中央部の接合部に隙間が発生してガタついてしまう余裕部分で,リフィルが動いてしまう不具合でしたが,「この隙間をシャープペンの芯を出すノックに利用できるんじゃないか」と着目したところからシャーボができた。(中略)思いつき,ひらめきですよね。(p93)
 書くって,「考える」行為にすごく近いものだと思うんです。自分の中では仕事の時の前工程が「書く」で,デジタルの「打つ」が後工程かなと。(p93)
 今,脳科学とか,触覚工学とか人間工学とか,いろんな研究分野が出てきた。その分野を追求していけば,面白い筆記具ができるんじゃないかと思います。筆記具の触る部分が人間のどういう部分に作用を及ぼすかを突き詰めていきたいと考えているんです。(p95)
 企業の究極的な存在価値は一つの文化を作ることだと思っています。道具によって生活の中に文化を作りだす企業は将来にわたっても存在価値が出ると思う。我々も,規模は小さいですが少しずつ文化を作っている。(p95)

2018年8月15日水曜日

2018.08.15 使わない筆記具をどうにかして使いたいと思って

● ぼくの筆記スタイルはいたって単純。メモはダイスキンにプラチナ万年筆のプレジール(細字)。手帳はBindexにハイテックCコレト(赤,青,黒,緑の0.3mm)。ずっとこのスタイル。
 だから,これ以外には何も要らない。ほんとに何も要らない。

● しかし,家の中にはダイスキン以外のノートやメモパッド,プレジールとハイテックC以外のボールペンやシャープペンや万年筆がかなりの数,転がっている。シェーファーやモンブラン,クロスといったブランド品もあるよ。
 こういうものは捨ててしまうのが一番いいと頭の中では思っている。だって使わないんだから。使わないモノがあるというのは,それ自体が精神衛生に良くないから。

● でも捨てられない。究極は自分の貧乏性のためだ。いつか使うかもと思う。むしろ,使い道を作れないかと考えてしまう方だ。
 要するに,ドツボにはまる発想ね。つまるところは,ムダな使い道を作ってしまうんだから,そのことによって失うものの方がずっと多くなるわけね。

● そういうことはわかっているんですよ。わかっているんだけどね。
 とりあえず,家にあったジェットストリーム2本。色が違うだけで同じもの。4色で0.7mm。どちらももらったもの。家に置いておいても使うアテかない。ので,職場に持ち込んでみた。仕事で使えないか。
 ゼブラのバンカーズボールペン。普通の油性。上野駅構内のアンジェで買ったもの。買ったはいいけど,やはり使うアテがない。これも仕事で使えないか。

● で,持ちこんでみたんだけど,使いやしないね。用途が同じモノは1本あればいいもんね。
 ノートや付箋は消耗品。いくらあってもいつかは使い切る。けれども,筆記具は消耗品というには,長くもちすぎる。
 いろんなメーカーがいろんな筆記具を生産販売していて,文具店はほんとに百花繚乱的な趣を呈しているんだけれども,この列島に1億人が住んでいるといってもこれだけの筆記具が必要なのかと,しばしば思う。

● 誰でも,あれだよね,死蔵しているのがたくさんあるよね。ボールペンなんて使い切るまえに紛失するものだと思ってる人,たくさんいるよね。
 紛失するというのは消えてしまうということではないから,どこかに残っているわけですよ。すなわち死蔵。

2018.08.15 トラベラーズノートの公式サイトは楽しい

● ダイスキン以外に気になるのは,トラベラーズノートだ。ずっと気になっている。でも,やはりぼくには扱いが難しいだろう。

● そのトラベラーズノートの公式サイトが楽しい。トラベラーズファクトリー オンラインのサイト。トップページの14の写真のスライドショーを見ているだけでワクワクしてくる。よく作ってあるなぁと感心する。
 メーカーのサイトなんだから,販促が目的に決まっているのだが,その販促を感じさせない。メーカーサイドの人たちがトラベラーズノートを楽しんでいるというか,遊んでいるというか,バンドマンがライブを前にして高揚している感じというか。

● 買わないけどね。この楽しさを味わわせてもらうだけで。早い話がぼくにはダイスキンがあるので。
 トラベラーズノートでできることはダイスキンでもできるはずだから。どんな使い方をするにせよ,ダイスキンなり測量野帳で充分以上に代替できる。むしろトラベラーズノートは重いし,カバーがフニャフニャしているので,立った状態では使いづらそうだ。

● バーチャルの楽しさをリアルと混同してはいけないよ。つまらない性格だとわれながら思うけどさ。跳べない性格っていうかね。

● トラベラーズノートのような製品は,万人に使いやすさをアピールするものではない。とんがったところが持ち味で,そのトンガリを良しとする少数の人に使ってもらえればそれでいい,という割り切りがあるのだろう。

2018.08.12 モレスキンタイプのノート

● ベルモールの落合書店の文具売場を覗いてみた。モレスキンタイプのノート,次々に出てるっぽい。ハードカバー+ゴムバンドのやつ。
 こんなのがあった。「LEUCHTTURM 1917 ノートブック」。ここにあったのは2サイズ。ポケットとA5。無地,方眼,ドット方眼,横罫と揃っているらしい。スピンが2本付いている。デザインはドイツ,製造は台湾。

● LEUCHTTURM(ロイヒトトゥルム)というのはドイツのメーカーですかね。カラーがたくさん揃っていて,これも想定ユーザーは主に女性かと思われますな。
 ドイツというと質実剛健というイメージを勝手に作ってしまっているんだけども,そのドイツにしてもこういうものを出してくる。

● にしても,モレスキンタイプのノートがこれだけ出るのを見ると,モレスキンっていうのは売れているんでしょうねぇ。モレスキンだけに美味しい思いをさせてたまるか,というメーカーが国内外にあるってことだもんね。
 不思議なんだよねぇ,モレスキン。品質が粗悪であることは使ってみればわかることだ。紙質にしろゴムバンドにしろ。モレスキン伝説の胡散臭さというか,デッチアゲもわかっているはずだ。伝説のノートの復活ではなく,単なるパクリだということ。
 一度使ってみれば,はいさようなら,となるはずだと思えるんだけど,そうはならずに延々と売れ続けている。

● これが本当に不思議。不思議だろうが何だろうが売れているんだから,最初にこの“伝説のノート”に目を付けたのは慧眼だったってことなんでしょうねぇ。
 でも,モレスキンっていうのは都市に似合うガジェットなんでしょうね。つまり,地方ではそんなに売れていないと思う。

● 左の写真はヨドバシ宇都宮店の文具売場のもの。モレスキンのラックにモレスキンが入っていない。地方でモレスキンが売れているとは考えにくいので,これは納得できる。
 で,モレスキンが好まれる理由のひとつに,都市的なオーラを放っていることがあるのかもしれない。とすると,デザインの勝利ということになるのかもね。

2018年8月8日水曜日

2018.08.08 コクヨという化け物

● 紙の書類を修正するという原始的な仕事をしている。修正テープのほかに,それまで使うことのなかった事務用品を使っている。綴じ紐だ。待て待て,いつの時代の話だ,と言いたくなるんだけども,平成最後になりそうな只今現在の話だ。

● その綴じ紐。そんなものを生産しているのはどんなメーカーなのだろう。と思ったら。王者コクヨがガッツリと出していたんだねぇ。
 こういう地味な,っていうか地味すぎる,製品もきちんと製造しているんですわ。

● もちろん,需要がなければ作らなくなるだろうから,今でも一定の需要はあるんでしょうね。2穴パンチで穴をあけて紐で綴じるという,じつに原始的なやり方が今でもけっこう残っているんだろう。
 原始的なやり方って,かえって小回りが利くんですかねぇ。チューブファイルのような厳ついものを必要としない。紐で綴じたままファイルボックスに入れておけばいい。かえって参照しやすかったりする。

● ところで,コクヨっていうと,ぼくには紙製品を主体にしているメーカーという思いこみがある。っていうか,ぼくだけじゃないと思う。
 小学生のときからコクヨのノートを使ってきたのだ。中学生になっても高校生になっても,コクヨの大学ノートだったのだ。大学になると,ぼくはコクヨのルーズリーフを持って講義を聞いていた。社会人でも,コクヨの代表的な商品といえば,Campusをあげる人がほとんどだろう。
 誰でも一度は使ったことがるであろうスクラップブックも,あれはコクヨ製品の商品名なのではないのかと思うほどだ。

● 対して,三菱鉛筆やパイロット,ゼブラやぺんてる,サクラやトンボは総合筆記具メーカーで,それぞれ得意分野で棲み分けているのだと思っていた。
 けれども,コクヨはこんなものも作っているのだ。ラインマーカー。ホワイトボード用のマジックペンもあった。コクヨ製のシャープペンはぼくも持っていた。
 つまり,コクヨは万年筆以外の筆記具も作っている,総合文具,総合事務用品メーカーなのだった。

● ファイル用品でもコクヨとキングジムが双璧だものな。コクヨに死角なし。航空母艦も戦艦も戦闘機も爆撃機もヘリコプターも潜水艦も魚雷も,何でもありという感じ。
 いや,それがコクヨにとっていいことなのかどうかはわからないんだけれども,これだけの商品群を抱えていると,入ってくる情報も膨大なものだろうなぁ。

2018.08.08 修正テープ

● 昨年度から,紙の書類を修正するという作業が増えた。以前は修正液で間に合わせていたんだけど,最近はこういうものを多用している。便利なものができてたんですなぁ。
 プライベートでは修正すること自体ないから(手書きを修正するときは,見え消しですよね),これはまさしく事務用品だ。

● どういう機構になっているのか,不思議でしょうがない。とにかく,テープ面を下にして消したいところをロードするとテープが貼りつくようになっている。
 自分は使わないから知らなかったけれど,だいぶ前に出ていたものですよね。

● ただし,問題がないわけではない。起点の位置合わせが難しい。少し手前から引っぱらないといけない。そうしないと消し残しが出てしまう。そのあたりの加減がうまくいかないことがある。
 あと,これだけ樹脂を使っていると,環境にはあまり優しくない印象を受ける。自動車を連想させる。60キロの人間が移動するのに,1.5トンの車体が付いてきてしまうという。
 実際のところはどうなのかわからないけど。むしろ修正液の容器の方が環境的にも問題なのかもしれないんだけど。

● 便利な商品には違いない。修正液のようにモッコリを作らないしね。
 パソコンがあたりまえの仕事環境にあって,紙文書を修正するなんてのは日陰に咲く花か草のような仕事だけれども,そういう分野においても文具はキッチリと進化している。

2018年8月6日月曜日

2018.08.06 BTキーボードすら大仰

この写真は6月のもの
● 泊りの外出にはパソコンを持参していた。そのためにWinのタブレットPCを買った。それがChromebookに代わった。
 最近(5月から),スマホとBTキーボードに変わった。軽量化したわけだ。

● が,FBをやめてみると,Twitterにツイートするだけになった。出先でのログを残すためにはそれで充分なのだ。
 が,そうなるとBTキーボードすら大仰になる。フリック入力ですむわけで。ツイート1本のためにBTキーボードを開くのは,かえって時間効率が悪くなる。

● ので,せっかく持ってきたBTキーボードも開く機会がない。これを活かすには,何本かまとめてツイートするのがいい。
 リアルタイム性と時間効率のどちらを取るか。基本的に時間効率を取りたいけれども,ツイートはメモ代わりでもあるので,すぐにツイートしないと忘れてしまうこともありそうだ。

● WinのタブレットPCやChromebookはまったく使う機会がなくなった。お金を捨てちゃったかね。
 普段はパソコンが主でスマホは従。出かけたときにはスマホが主で,従はなし。何かそんな感じになりつつある。スマホ依存度があがってきた。パソコン依存度が下がってきたというのが正しいか。

● ちなみに,タブレットというのはいずれ消えるデバイスではないかと思っている。というか,タブレットとノートパソコンの境界が曖昧になるんだろう。MSのSurfaceはその象徴ではないか。
 つまり,境界が曖昧になると,タブレットはノートパソコンに吸収されるのじゃないか。

2018年8月3日金曜日

2018.08.03 やっとダイスキンを使い終えた

● 5月22日に使い始めているので,あしかけ4ヶ月にわたった。1冊を使い切るのに要する期間が長くなっている。理由は単純で,まったく書かない日が多くなっているからだ。
 なぜ書かないかというと,Twitterに書きこんですませているからだ。それですませられるようなことしか書いていないわけだ。

● この傾向はこれからも続くだろうから,溜めこんでしまったダイスキンの在庫を使い切れるかどうか,不安になってきた。
 ダイスキンに書くことを全面的にやめてしまっても,じつは何の支障もないのだなとも思い始めている。
 Twitterにあげるまでもないことは,ノートに書く必要もないだろう。Twitterにあげるわけにはいかないことも,そんなにあるわけじゃない(ぼく限定かもしれないけど)。

● たとえば,旅行中のあれやこれをどこに記録しておくか。旅行中のことは細大もらさず,記録しておきたくなる。だからノートとペンは持っていく。けれども,じつはぼくのこれまでの経験では,ノートに書き留めておくことはほぼない。直接,Twitterに入力する。
 旅行中はチケットやショップカードなども溜まる。それをノートに仮どめしておく(貼っておく)必要もない。そのまま封筒にでも入れておけばいい。旅行には必ず終わりがあるから,帰宅後,スキャンできるものはスキャンしてTwitterにあげればいいのだ。それがそのまま記録(ログ)になる。そうなれば,チケットやショップカードの現物は不要になるから捨てる。
 帰宅するまで待てないのなら,スマホで写真を撮ってトリミングして,あげておけばいいのだ。

● ゆえに,たとえばトラベラーズノートを持っていったとしても,トラベラーズノートをその名のとおりに使う局面はあまりないように思える。
 あるとすれば,絵を描くくらいか。絵心のないぼくには,それも無用だ。ノートでTwitterなりブログの下書きをする? Twitterに下書きなど必要ない。Twitterが下書きなのだ。

● というわけで,ひょっとするとノートは要らないかもしれない。でも,そうは思いたくない。
 ダイスキンに書き始めると,書くことが次々に浮かんでくることがある。もちろん,大したことは浮かんでこない(ぼく限定かもしれないけど)。けれども,それが書くことの魔力というか,このときの快感は何とも言えない。
 頭の中だけで回そうと思っても回らない。手も一緒に使うといい。

● この場合,パソコンの画面とキーボードでやるよりも,紙のノートとペンの方がいい。手書きの方が芋づるを掴みやすい。
 ので,Twitterやブログの便利さを噛みしめながら,これからもノートに手書きを続けていこうと思っている。

2018.08.03 ブログやTwitterはとんでもないツールだよね

● もはやあたりまえになって,あるのが当然と思っているブログやTwitter。とんでもないツールだよね。
 相手に何事かを伝えるとか,コミュニケーションとかじゃなくて,自分のために使うと割り切って,自分の役に立つ使い方を考えるのが吉。様々に使えるはずだ。

● テキストと画像を無尽蔵に溜めておけるのだ。いずれは動画の容量制約も外れるかもしれない。クラウドの典型だから,端末の変更や記憶メディアの不具合による影響も受けない。
 ある日突然にサービスが停止されて,あげておいたものがすべてパーになることも理屈のうえではあり得るわけだが,現実にはそういうことは起こらないだろう。バックアップを取る余裕は与えられるはずだ。

● GoogleのBloggerは,非公開に設定できる。ブログを非公開にできるメリットはいろいろとありそうだ。
 読めるのは自分しかいなくても,その自分が読むときにはGoogleの検索エンジンを使えるということだから。

● FBをやめることにした理由のひとつはここにある。FBはGoogleの検索を拒否する。FBの中では検索が可能だけれども,その使い勝手はGoogleの検索エンジンの比ではない。
 もし,FBがGoogle検索を受け入れてくれれば,ブログをそっくりFBに移行することもできたかもしれない。

● Facebookページを作るのは大仰だ。タイムラインか“ノート”を使いたい。非公開にする必要のないものはFBユーザーではない人たちに読まれてもかまわないわけだし,読まれては困るものは非公開(あるいは限定公開)にしたうえで,でも自分はGoogleで全文検索をかけられる状態にしておけると便利なのだ。
 ブログは全体を公開にするか非公開にするかしか選べないが(できるものもあるのかもしれないけど),FBは細かく設定できる。これでGoogle検索が使えたらと,今でも思っている。

● とはいえ,実際に読み返すことはほとんどないのが実際のところ。ここは努めて読み返すようにした方がいいと思っているんだけど。