2019年9月16日月曜日

2019.09.16 百円ノートに戻る

● モレスキン(写真の左側)を使い終えたので,ダイスキンに戻るつもりでいたんだけど,その前に,1冊,これを使っておきたくなった。昨年の8月に新大久保の百円ショップで買ったもの。
 中紙は50枚。つまり,ダイスキンの約半分。ひと月かからないで使い終えるだろう。

● B罫。日付やテーマを書く欄がページの右上にある。が,こういうのはない方がいい。罫線だけが引かれていればいい,とぼくなんぞは思ってしまう。ダイスキン仕様を良しとする。 
 ダイスキンもモレスキンも1パージ目と最終ページは,事実上,使えない。糸綴じノートは糊付け部分が邪魔をするからだ。
 が,このノートは使おうと思えば,1パージ目も最終ページも使える。糊付け部分が小さいからだ。

● プラチナのブルーブラックで裏抜けは全くなし。モレスキンでは時々気になることがあったので,そこは特に感じる。
 万年筆の滑りはモレスキンの方が良いのだが,万年筆の場合はあまり滑って欲しくないとも思うわけで,これくらいがちょうどいいのだとも思える。
 何でも帳として使うんだったら,こういうのがいいんだよね。百円でワシワシと使える。何でも帳を前提にするなら,モレスキンよりも使い勝手はいいはずだ。

● いや,「一軍ノート」として使うんだって,こっちの方がいいかもしれない。少なくとも紙質はモレスキンよりいいと思えるのでね。
 Campusのようなノートにガンガン書いて,このノートを「一軍ノート」にするのはありだ。堅牢性にも問題はなさげだから。これはダイスキンにもあてはまる。

● 中紙が96枚なら完璧だ。2百円でもいいから出してくれないか,と思ってしまいがちになるのだが,それではダイスキンに太刀打ちできないよね。
 その完璧をすでに具現しているのが,ダイスキンかもしれないので。

● というわけで,何というのか,心の故郷に戻ってきたような気分だ。
 その安いノートとペンだが,もうだいぶ使ってきた。字もたくさん書いてきた。もうノートとペンは使ってはいけないと言われても,思い残すことはないんじゃないか,オレよ。
 いやいや,死ぬ直前まで書いていたいね。書いたノートが残ってしまうのはイヤだけどね。

● とにかくまだまだ書いていきたい。安いノートとペンでいい。っていうか,安いノートとペンがいい。ダイスキンをはじめとする百円ノートとPlaisir。当面,これで書いていこう。
 書くことには快感があり,その快感はウンコを排泄するのに似ている。頭の中で用済みになったものを出していく感覚。

● 書いているのではなくて,書かされているのだと思うことがある。ぼくがノートとペンを使っているのではなくて,ノートとペンにぼくが使われている。ノートとペンに書かされている。
 おそらく,そっちの方がリアルに近いような。自分は主体ではなくて客体だという感覚にとらわれる。

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