2019年10月6日日曜日

2019.10.06 原稿用紙と便箋

● 小山の駅ビルに「Can★Do」が入っている。そのCan★Doにしかないものではないと思うのだが,モレスキンサイズの原稿用紙があって。
 原稿用紙って,何か惹くものがある。その小さな原稿用紙を手にとってパラパラとめくってみた。

● もとより,使い途などあろうはずがない。原稿用紙を必要とする筆記ならパソコンでやりたい。あの原稿用紙を仮に使うとすれば,普通にメモ用紙としてだろう。
 それでも原稿用紙に惹かれるのは,作家やプロとして文章を書く人たちへの憧れがあるからか。子供時代は学校で原稿用紙を使わされた経験があるので,過去へのノスタルジーを刺激されるのか。

● あと,便箋。大学に入学してからの数年間,高校の友人と“文通”をしていたことがある。コクヨの安い便箋(書翰箋というやつ)を使っていた。
 その友人とももう長く会っていない。どちらかが家庭を持ってしまうと,男の場合でも疎遠になるものだ。
 彼はパソコンもスマホも使わないタイプなので,電話か手紙しか連絡手段はないのだが,こちらから電話をかけることはないし,かかってくることもない。今さら,初老の男どうしで文通でもあるまい。

● しかし,文具店に行くと.便箋や封筒も見る。どうもそっち方面に風が吹いているようなのだ。売場面積も増える傾向。遊び心いっぱいの便箋や封筒が並んでいる。おそらく,女性が買っていくのだろう。
 ノートは自分ひとりで使うものだから,実用性に問題がなければ何を使ってもかまわない道理だが,手紙は相手に届くものだから,何でもいいというわけにはいかないか。

● 便箋を使ってやってみたいのは,いろんな筆記具を試すことだ。ノートではPlaisir1本やり。時々,ゲルインクのボーペンも使ってみることがあるけれども,すぐにPlaisirに戻ってしまう。
 便箋だったらたとえば“ぺんてる”のプラマン,呉竹のレターペンなんかを使ってみたい。どちらも持っているのだが,目下,使う局面がない。

● それらを使ってみたいので,誰かに手紙を書きたい。ま,しかし,手紙を出す相手はいない。どうしてもといえば,自分に手紙を出すという手があるけれど。
 ノートに思いついたことやその日やったことを書くのと,自分に手紙を書くのとでは,趣がだいぶ異なる。何より,かなりこそばゆい。

● 書くとすれば,中学時代の自分にか。星雲の志に燃えていた(燃えていなかったか)社会人になったばかりの自分に書くか。
 おまえの人生,ぜんぜん大したものにならないから,あんまり自分を孤立させてまで自分の道を行こうとしなくていいよ,とか。老境にかかる頃にまさかという坂を転げ落ちることになるよ,とか。あんまり自分のことにかまけていないで,家族も大事にしてな,とか。自分の豆腐メンタル,神経過敏にけっこう苦しむから,図々しくいくことを心がけな,それって教養より大事だよ,とか。おまえより頭のいい人なんか佃煮にするほどいるんだから,あんまり頭で勝負しようとしない方がいいよ,とか。

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