● ダイソーで300円のダイソー版トラベラーズノートを手に取ってみる。機能に問題はないと思われる。トラベラーズノートと同じように使うことができるだろう。
しかし,トラベラーズノートは買えないけれどこれならというわけで,この安価版として使う気になる人はそんなにいないのじゃないかと思う。
● モレスキンは100%,ダイスキンで代替できると思う。ゴッホやピカソも使っていたというデッチアゲの“伝説”やら何やらをそっくり含めて,ダイスキンで代替できる。
モレスキンの場合,機能を除くとじつは何も残らないからだ。その機能もモレスキンならではの部分はない。
● しかし,トラベラーズノートはダイソー版で代替することはできない。機能は代替できるわけだが,トラベラーズノートは機能以外に何かがあるからだ。
その何かを説明しろと言われても少し困るんだけども,数千円を出してトラベラーズノートそれ自体を買わなければしょうがないと思わせるところの何かだ。ダイソー版はトラベラーズノートではないと言い切れる何か。
● そこがトラベラーズノートの強味であるわけだ。製品化する前の段階で,製品に吹き込もうとしたものにかけた時間と手間が,製品を通して存在を主張している感じ。
けっして使いやすいとは思えない。旅に持っていくのでも,測量野帳やダイスキンの方が取り回しが楽なはずだ。
しかし,それを超えてトラベラーズノートを選ばせる,トラベラーズノートが持つ魅力。
● 原始回帰願望を刺激するのか。装飾を削ぎ落としてシンプルになりたいという願望を刺激するのか。
トラベラーズノートの特徴をひと言で言ってみろといわれれば,ぼくはワイルドさと答える。変化球を投げられなくて申しわけないんだけど。
じつはとんでもなく手をかけているはずなのだが,佇まいはワイルドだ。紙の束を革で挟んでいるだけなのだから。
● 普通のノートは1冊ごとに全取っ替えになる。トラベラーズノートはカバーとリフィルが分離しているから,カバーは長く使うことになる。
長期間の使用はモノへの愛着を生む。愛着を持たせるノートはそんなにない(ペンにはあるが)。そこもトラベラーズノートの強味に数えていいと思う。
● トラベラーズノートというネーミングもいい。トラベラーはその地のしきたりや伝統に囚われない。移動していく人だから。友人もそこには存在しない。自分を縛るのは自分だけという立場を保持している。
トラベラーズという言葉で自由を宣揚している。リベラルというのと,ノートの使途を制限しないという2つの意味で。
● カバーとリフィルの分離はシステム手帳も同じだ。ぼくもシステム手帳を長く使っているのだが,たぶん,システム手帳よりトラベラーズノートの方が愛着を生みやすいのではないか。
機構がないからだ。挟むだけだからだ。リングがない分,人工感を感じさせない。自然に近い。
● さて,ここまで書いても,ぼくはトラベラーズノートは使わないと思う。すでに一生分のノートを持ってしまっているからだ。買ってしまったものは使わないと。
細かく言うと,ほぼ日手帳のカバーに無印良品のA6ノートを挿して使うのも,コクヨのSYSTEMICに手帳とノートの両方をセットして使うのも体験してみたいのだ(前者は体験済みだけど,まだまだ体験したい)。
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